青年たちが起こした奇跡

 1880年代、米国オハイオ州のオーバリン大学に、フランク・ジューエット(1844 - 1926年)という教授がいた。彼は学生のやる気を引き出し、興味を持たせるため、アルミニウムの性質を詳しく語り、この金属を多量に製造する方法を編み出した者は大金持ちになれるだろうと説いた。これを聞いて、本気でアルミニウム精錬に挑むことを決意した学生がいた。彼の名を、チャールズ・マーティン・ホールという。

チャールズ・マーティン・ホール
 

 それまで行なわれていた方法は、塩化アルミニウムに金属ナトリウムなどを作用させ、塩素を奪い取らせることで金属アルミニウムを作るというものだった。しかし、この方法に用いる金属ナトリウムの製造および反応には大きな危険が伴い、コストがかかる。どうあがいても、大量生産は不可能であった。

 もうひとつの方法として、電気エネルギーによってアルミニウムを引きはがす手がある。中学の時に化学の授業で習った、塩化銅の電気分解を思い出していただこう。塩化銅を水に溶かし、2枚の電極を浸して電流を流すと、陽極に塩素が、陰極に銅が発生する。電気エネルギーにより、銅と塩素が引き離されたのだ。

 銅ならこれでいいが、アルミニウムではそうは行かない。塩化アルミニウム水溶液を電気分解しても、陰極に金属アルミニウムはできず、代わりに水素が発生する。水に含まれる水素イオンが、アルミニウムの代わりに電子を受け取って水素になってしまうのだ。水素とアルミニウムの競争は常に水素の圧勝で、これを引っくり返す術はない。かといって、溶かして液体にせねば電気は流れない。

 この時までに、アルミニウムを含むボーキサイトという鉱石から、ほぼ純粋な酸化アルミニウムを取り出す方法が確立されていた。そこで、この酸化アルミニウムを強熱して熔かし、この液体に電極を入れて電気を流すという力技が考えられた。これなら水素の邪魔が入ることなく、アルミニウムだけが得られるはずだ。

ボーキサイト (saphon / Wikipedia Commons)
 

 これは原理的には正しいが、実行するのは難しい。問題は、酸化アルミニウムの融点が2000℃以上と極めて高いことだ。この温度に耐える材料は少ないし、消費エネルギーとコストも膨大なものになる。

 これを解決するため、ホールが失敗に次ぐ失敗の末に編み出した工夫は、アルミニウムを含んだ氷晶石という鉱物を用いることであった。これは1000℃程度の熱で熔けるので、ここに酸化アルミニウムを加えると、両者は混じり溶け合ってゆく。この液体を炭素電極で電気分解することで、金属アルミニウムが得られる。23歳の若さで、ホールは偉大な先人の成し遂げられなかったアルミニウムの生産を、見事実現してのけたのだ。

氷晶石 (Didier Descouens / Wikipedia Commons)
 

 しかしこのアイディアを思いついたのは、ホール1人ではなかった。大西洋を隔てたフランスで、化学者ポール・エルーがほぼ同じ方法を、同じ1886年に発見したのだ。このアルミニウム精錬法は、彼らの名を讃えて「ホール=エルー法」と命名され、現代でも基本的にこの手法でアルミニウムが生産されている。

ポール・エルー
 

 このホールとエルーは、いずれも1863年に生まれ、1886年に23歳でほぼ同じアルミニウム精錬法を見出して、共に1914年に亡くなっている。遠く離れた国に生まれ、互いに面識もなかった二人だが、不思議な宿縁だ。

 このように、科学の世界においては、同じような発見が全く違う場所でほぼ同時になされる偶然がよく起きる。アルミニウムに関する知識の蓄積、発電所の整備と普及による豊富な電力供給といった条件が揃ったことが、その背景にあるだろう。この時代にアルミニウム製造が可能になったことは、歴史の必然であったに違いない。

 ホールは1888年に、この技術を活かして起業する。彼の興したアルコア社は急速に拡大し、当初は1日あたり50ポンド(約23キログラム)程度であったアルミニウム生産量は、わずか20年後に88,000ポンド(約40トン)へと成長した。価格もあっという間に下落し、アルミニウムは急速に世界に普及していく。これにより、ホールは現在でいえば数百億円に相当する資産を得て、史上最も経済的に成功した化学者のひとりとなった。彼の師・ジューエット教授の予言は、見事に成就したわけだ。

ホールによるアルミニウム精錬の成功を記念するプレート(takomabibelot / Wikipedia Commons)
 

天翔ける合金

 こうして世に出たアルミニウムだったが、鋼鉄などに比べれば強度が低いという弱点は残った。そこでこれを補う研究が進められ、銅・マグネシウム・マンガンを少量添加することで大幅に強度が上げられることが判明する。ドイツのデュレナー金属工業がこの独占製造権を手に入れたため、この合金は「Dürener」と「aluminium」を合わせ「ジュラルミン」と命名された。

 この発見の意義は大きく、前篇で紹介した盾や防護服の他、現金輸送ケースなどにもジュラルミンが利用されている。また添加する金属の組成を変え、さらに強度を上げた超ジュラルミン、超々ジュラルミンなども開発された。

 これらアルミニウム合金の応用として最も大きな意義があったのは、航空機の分野であっただろう。空をとぶためには軽量かつ丈夫なことが最優先されるから、アルミニウムの活躍の場としてこれ以上の場所はない。実際、ライト兄弟による最初の飛行機・ライトフライヤー号(1903年)のエンジンにも、アルミニウムが用いられている。

初飛行に成功したライトフライヤー号
 

 この後、航空機の設計技術は急速に進歩した。1912年には時速200キロメートルもの速度が実現し、1914年から始まった第一次世界大戦では、早くも軍用機が活躍するまでになる。だが現代の感覚では少々信じがたいことに、1930年代まで飛行機の機体は木と布で作られたものが主流であった。1927年に、チャールズ・リンドバーグ(1902-1974年)が大西洋横断に初めて成功したスピリット・オブ・セントルイス号も、機体は合板、翼は木枠に布を張ったものであった。

 全体が金属でできた航空機を初めて作り出したのは、ドイツのフーゴー・ユンカース(1859-1935年)であった。宮﨑駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」にも、彼をモデルとした人物が登場するから、その名をご記憶の方も多いだろう。

フーゴー・ユンカース
 

 ユンカースは1915年に、初めて鋼鉄の機体を持った飛行機「J1」を飛ばすことに成功し、その性能を確かめた。そしてジュラルミンの噂を聞くや、これを用いた飛行機の製造にとりかかり、1919年に6人乗りのJ13を完成させた。この機体は燃費もよく、熱帯から寒冷地まで幅広く飛行可能であるなど、優れた性能を見せつけた。

ドイツ博物館のユンカースF13[初期はJ13と表記] (Author: de:Benutzer:Softeis, improved gamma correction by en:User:Pibwl. / Wikipedia Commons)
 

 彼は1923年の論文で、木材は火災や腐朽の問題があること、熱などでわずかでも変形すれば飛行性能に大きな影響が出ることを指摘し、金属製の機体ならばこれらの問題は無縁だと主張した。また、木材は長さや薄さなどに制限があり、強度も一定しない。しかし金属はどのような形にも成形可能で、全体を一定の強度に仕立てることができるとも述べた。まことにごもっとも、という他はない。

 こうして実際の機体で優れた性能が示され、誰もがうなずかざるを得ない指摘が公になされたにもかかわらず、全金属製の飛行機はなかなか普及しなかった。金属製の機体が主流になるのは、ユンカースが初めてJ1を飛ばしてから20年後の、1930年代半ばになってからのことになる。

 かくも転換に時間がかかってしまったのは、人の命がかかっている飛行機の設計については、どうしても技術者も保守的になってしまうこと、また金属の機体が安全に空を飛ぶというイメージを、なかなか人々が持てなかったことに起因するようだ。新しいテクノロジーが優れていることがわかっていながら、そちらに乗り換えるのは存外に難しいというのは、現代の技術者も感じるところではなかろうか。

新素材がもたらす革命

 以後、航空機にはジェットエンジンをはじめとするさまざまな技術革新がもたらされ、今や誰もが飛行機で旅をすることは当然の時代になった。アルミニウムはそこに大きく貢献し、たとえばボーイング747型旅客機では、機体の81%がアルミニウム合金から成っている。低温に強いアルミニウムは宇宙開発にも欠かせず、ロケットの燃料タンクや国際宇宙ステーションなどもアルミニウムがふんだんに使用されている。20世紀の交通革命をもたらしたのは、アルミニウムであるといっても過言ではないだろう。

ボーイング747-8F(moonm / Wikipedia Commons)
 

 もちろんアルミニウムの用途は、そうした特殊な場所に限らない。身近な飲料缶から高層ビルまで、およそ目に入るものでアルミニウムを全く使っていないものを探すほうが難しいほどだ。

 先ほど、アルミニウムは金属としての美点をほとんど兼ね備えていると述べた。しかしアルミニウムは「軽い」という一点以外には、他の金属でどうしても代替できないほどの特徴があるわけではない。それでいて、アルミニウムは20世紀の社会を大きく塗り変えてしまった。

 今後、予想もしないような性質を持った材料がひとつ現れるだけで、社会が根底から変わってしまう可能性は十分にある。自由に色や形を変えられるガラス、目に全く見えない金属、電気を生み出す紙――そんなものがあったら、我々の暮らしはどう変わるだろうか?

 これらは決して夢物語ではなく、すでに実際にこうしたものが研究されている。これからコストが下がりさえすれば、世界を大きく変えられる潜在能力を秘めた材料も多々あり、研究所の棚で出番を待っていることだろう。

 「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という言葉がある。あなたなら、どんな未知の新素材を胸に描くだろうか。そして我々は、社会や文明を確実に次のステージへと飛翔させてしまう新材料に、これからいくつ出会えるだろうか。

(おわり)

※ご愛読ありがとうございました。本連載をまとめた本を、新潮選書から来春刊行予定です。