銅版画・オバタエミ


 愛用しているiPhoneのアプリの一つに「タップタップシー」というのがある。対象物にカメラを向けて写真を撮ると、画像がネット上で解析され、ややあって、写したものが何かを音声で説明してくれる。
 セーターの色が知りたいときは、ハンガーにかけて撮影すると「白にオレンジの水玉模様のセーターです」などと教えてくれる。缶詰や瓶詰め、洗剤の詰め替えパック、ペットボトル入りの液体など、形を触っても識別が難しいものは、製品の文字が読み取れればネットで情報を検索して商品名まで正確に読んでくれたりする。
 レモンを手にもった母を写したら「黄色い果物をもった女性です」と言ったので感動し、今度はゴルフから帰宅した父を写したら「徳利セーターをきた男です」という。「男」なんて、何かの犯人みたいな言い回しで吹き出してしまったが、認識の正確さには恐れ入った。
 iPhoneのカメラを活用したアプリにはほかに、かざすだけでOCR技術によって文字を認識し、とりあえず読めたものを読み上げる「ライブ読み上げ」をしてくれるものや、衣服の色柄を読み上げてくれるものがある。昨今では、アマゾンがリリースしている認識アプリで商品を撮影し、情報を得ているシーンレスたちもいる。この方法だと、自動販売機の品目も正確に読めるので、写すこつさえ分かればけっこうな確率で独力でほしいものを買うことができるらしい。ただし認識に時間がかかるので、写しているうちに後ろに行列ができてしまうような場所では無理なのだが。
 こうしたアプリで私が魅了されるのは、言葉の選択の正しさと、翻訳の限界の面白さである。
 「タップタップシー」は米国で作られたので、認識結果は各国の言葉に機械翻訳されているらしい。あるとき講演の壇上でこのアプリを実演したら、演台におかれた水のコップを写したつもりが「人々の集団の前にある明確なグラスです」と説明した。一瞬「何のこっちゃ」となったが、落ち着いて考えてみると、アプリ君はとても真面目に、正しく仕事をしていることが分かった。
 撮影したとき、コップの向こうにいる客席の人たちが写ったのだ。アプリはそれを英語で“a group of people”と認識したのだろう。そして目の前にあるものは“a clear glass”だと思った。これを大変真面目に翻訳したために「人々の集団」と「明確なグラス」になってしまったのだ。特に「クリア」については「透明」と言ってくれれば、かなりいい線行った感があるが、惜しかった。こんなふうに機械翻訳を分析するとき、私はまず、日本語を一度原文の英語に訳し戻してから再度訳す。二度手間どころか三度手間ともいえるが、それでも私には見えないものをこれほど正しく認識して教えてくれるのだから、そのくらいの労を厭うてはバチが当たるというものだ。
 現在、カナダの高校生が製作した物体の認識・説明アプリや、世界中のボランティアとビデオで話しながら「私の目になって」もらうアプリが話題になっている。都内の福祉施設では、最寄の駅からの道順を言葉で説明した「ことばの道案内」をホームページに掲載する流れが定着してきている。「駅西口改札を出て十歩行くと十三段の階段があり、それを降りて点字ブロック沿いに左方向に五十メートルほど進むと……」といった具合だ。
 アプリもことばの道案内も、見えている情報を音声言語化する「言葉訳」の試みだ。古くは、活字を音読する発想につながるだろう。「見えない人と情報を共有しよう」と考えてくれた「()(びと)」たちが、地図、商品、衣服の色など、目の前のものや文字を言葉訳してくれた。私たちはそれを手がかりに、視覚と違う世界での「シーン」を得て、さらに深めた情報を共有しようとしている。
 もちろん、言葉がすべての情報をカバーできるわけではない。けれど、言葉訳を続けるたゆまぬ努力は、必ずや実を結ぶとも思う。一昔前、パッケージを開けずに自力で中身を知ることができる時代がくるなど、想像だにしなかった。いまや「分からなければまずiPhoneで読ませてみよう」という選択肢が普通になった。言葉訳の努力が切り開いてくれた新しい生活である。
 これらのアプリやシステムを作ってくれる人たちは、私たちをどう助ければ最大限に能力を発揮できるかを実に正確に分かってくれている。何より、助けることを恩に着せない。それどころか、助けた結果共有できることが増えるのを楽しんでくれている。ユニバーサリズムとは、この感覚だとつくづく思う。
 忙しい仕事の中で、あるいは厳しい通勤や移動の中で、ちょっとだけ周囲に目を配り、隣人に気軽に手を差し伸べたり、コンビニや飲食店など日常の場でお客さんの「困り」をさりげなくフォローしたりするといった「心のレベルアップ」を図るうえでも、相手と明確に情報を共有する手段となる「言葉訳」の発想に大いに学ぶところがあると思う。

(「考える人」2017年春号掲載)