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分け入っても分け入っても日本語

 細かいところまで気をつける様子を表す「丁寧」は、漢字から意味が取りにくいことばのひとつです。漢字で書く必要はないと考えて、仮名で「ていねい」と書く人もいます。いったい、どういう成り立ちのことばなのでしょうか。
「『丁寧』は、もともとは中国の(かね)の名前だったのではないですか」
 そんな質問をテレビ番組の制作会社から受けたのは、2004年の春のことでした。「えっ、まさか」と思い、『日本国語大辞典』(日国)第2版を開いてみました。
〈①昔、中国の軍中で、警戒の知らせや注意のために用いられた楽器〉
 と説明があり、中国古典の『春秋(しゅんじゅう)()()(でん)』から例が引用されていました。
 昔、伯棼(はくふん)こと闘椒(とうしょう)という人物が、戦いの時、王に向けて矢を放ちました。その矢が、王の乗る車についた(ながえ)(棒)を越え、車に据えた太鼓の台も越えて、鉦(つまり「丁寧」)に当たったというのです。確かに、「丁寧」が鉦の意味で用いられています。
 ただ、「丁寧」が「鉦の名前に使われたことがあった」というのと、「ことばが成立した時点で鉦の名前だった」というのとでは、大きな違いがあります。
 制作会社の担当者からは、「もともと鉦の名前だった」と番組で解説してくれないか、と依頼されました。「もう鉦の模型まで作っています」ということでした。
 そんなばかな。それなら、今さら私に質問しなくてもいいではないですか。私が「その説は違います」と言ったら、どうするつもりなのでしょうか。
 私には、「『丁寧』は、もともと鉦の名前ではなかっただろう」と判断する理由がありました。『角川大字源』の「丁寧」の項目に「畳韻(じょういん)」という表示があるからです。
 畳韻とは何か。『角川大字源』自身に解説してもらいましょう。
〈二字の韻(母音、または母音+子音)が同じであること。また、その形をとる二音節語。逍遙(しょうよう)彷徨(ほうこう)優游(ゆうゆう)などがこれで、擬態語が多く、二字でまとまりをなす〉
 分かりやすく言えば、2つならんだ漢字同士が韻を踏んでいる熟語です。たとえば、「逍遙(syō・yō)」は「~yō」の部分で、「爛漫(らんまん)(ran・man)」は「~an」の部分で韻を踏んでいます(現代日本語の発音で示しておきます)。
 畳韻は、多くは物の様子を表す擬態語に使われますが、音や声を表す擬音語にも使われます。日本語で無理に例を作れば、「ワーギャー」というわめき声や、「ワンキャン」という犬の鳴き声のようなものです。
 実際の漢字熟語を見ると、音を表す畳韻として、以下のような例があります。「欸乃(あいだい)」(()のきしる音)、「淅瀝(せきれき)」(雨・落ち葉などが立てる音)、「潺湲(せんえん)」(水がさらさら流れる音)、「剝啄(はくたく)」(足音などのコツコツという音)、「玲玎(れいてい)」(玉石が涼しげに鳴る音)、「瑯璫(ろうとう)」(腰に下げた玉や金属が鳴る音)…。
「丁寧」も畳韻ならば、こうした擬音的な性質を持ったことばのひとつと考えられます。実際に、『全訳漢辞海』第4版によると、「丁寧」は〈楽器名。(ショウ)(=鐘)〉であるとともに〈楽器の出す音〉という意味もあります。
 音の意味と楽器の意味と、どちらが先に成立したかといえば、音が先だったと考えるのが自然です。
 現代日本語で、電子レンジのことを「チン」と言います。カプセル玩具の販売機を「ガチャガチャ」とも言います。でも、「『チン』は、もともと電子レンジのことだった」とは、誰も考えません。音の意味が先で、物の意味が後なのです。
「丁寧」も、畳韻の形をとるところから考えても、もともとは擬音だったと考えられます。ちなみに、古代中国音では、「丁寧」はding ning に近い音だったようです(『角川大字源』に基づく)。
 もともとは楽器の音だったにしても、それが現代日本語では「細かいところまで気をつける様子」という意味に変わっているのは、やっぱり不思議なように思われます。でも、日本語にも似た例があります。
「ちゃんちゃん」ということばは、もともと〈金属や木材などを打ち合わせる音やさまを表わす語〉(『日国』)でした。それが、明治以降には〈物事が滞らないさまを表わす語。きちんきちん〉(同)の意味で使われるようになりました。音を表す意味から、様子を表す意味が派生したのです。
「丁寧」も、楽器の音の意味から、「細かいところまで気をつける様子」の意味が派生しています(この意味では「叮嚀」とも書きます)。不自然な変化とは言えません。
「このようなことを、テレビで解説しようと思いますが、よろしいですか」
 担当者に確認すると、「それでけっこうです」という返事でした。私は語源の解説を引き受けました。
 ただし、担当者からは「『丁寧』は中国の昔の楽器です」というフレーズは必ず入れてください、と求められました。その後に、本来は擬音だったらしいこと、それが鐘の名前にも使われたことを説明するのは差し支えありません、とのことでした。
 私は、「それならいいだろう、多少の妥協は必要だ」と承知しました。
 これは甘かったですね。放送された番組を見ると、解説の中間部分はカットされて、「『丁寧』は中国の昔の楽器」ということだけが強調されていました。
 私が、テレビなどでの語源解説を引き受けるのに慎重になったのは、それからです。結論が決まっていて、取材VTRまでできているような場合は、まずお断りします。もちろん、内容が固まる前に相談してもらえれば、できる範囲で協力します。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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