私が信州の辺境にある大学に通っていた頃、今となっては定かではないが一時ものすごい勢いでトビケラに嵌りかけた時期があった。幼虫期の、種ごとにめざましく異なる巣の形や、その機能的な美しさに感化されたのかもしれない。中でも、微小ながら目の細かい砂粒を集めてカタツムリそっくりな巣を作るカタツムリトビケラという種がどうしても見たくて、かなり熱心に近所の裏山を探し回っていたのだ。今でこそカタツムリトビケラは、ちょっと探せばいる場所では馬に食わすほど見つかる超弩級の普通種に落ちぶれてしまったが、当時はまだ全国的にも発見されている場所が数箇所くらいしかない、割と珍しい種という位置づけだったと思う。といっても別にこの虫が大発生したわけでなく、単に効率の良い探し方が確立されただけのことだが……。

有象無象のトビケラたちがいっぱい潜む、典型的な日本の清流。探せばヒメドロムシくらいは見つかるだろう。


 カタツムリトビケラは、池や川の水底に生息する他の有象無象のトビケラとは、生息環境が根本的に異なる。すなわち、川の源流部分にあたるような、山間部の山道の際から水が染み出て滴り落ちているような環境に限って見られるのだ。ほとんど陸生と呼んでもいい (ただし、南西諸島の個体群は完全に水生)。そうした環境は、私が足繁くうろつき回っていた裏山の随所にあったのだが、当時まだカタツムリトビケラ経験値のゼロだった私の目には、どこをどう探せどもそれらしきブツを発見できなかったのである。聞く所によれば、カタツムリトビケラはとにかく小さいらしく、慣れないと野外で目視にて探し出すのは困難だという。そこである日、私は一番それがいる可能性の高いと踏んでいたある沢の源流域に行った。そして水際の土砂を適当に摑み取って、白い容器にぶちまけた。こうして、砂粒の中に紛れた小動物を見つけようとしたのである。

直径2mmぐらい。これを一生懸命探していたのだ。


 しかし、いくらやっても、出てくるのは関係のない水生生物ばかり。平べったい半透明の体を横たえ、へろへろと泳ぐ甲殻類のヨコエビ。細身の体で落ち着きなく歩き回る、水生昆虫のカワゲラなどなど……。カタツムリトビケラらしいものは、一向に採れる気配がなかった。カタツムリトビケラは用心深く、野外でこういうやり方で探すと動きを止めて砂粒と同化してしまうのではないか。そう思い、私は摑み取った土砂のいくらかを持ち帰り、小さな容器にいれて水を張り、半日ほど放置することにした。落ち着かせれば、あちこちをチョコチョコ動き回って見つけやすくなるだろう。だが、私の目論見とは裏腹に、半日経って見ても、容器の底にそれらしきものの姿はなかった。あそこはそもそもいない場所だったようだ。急速にやる気が失せて、その砂を庭に放りに行こうと、私は容器を手に取った。と、その時私の目にふと場違いな物体が目に入ったのだ。
 水を張った容器の砂に紛れるように、見たことのない赤い甲虫が動いていた。体長2mmちょっと、気をつけないと見逃すくらいの大きさ。動きは鈍く、よくよく見ないと動いているのか止まっているのかも定かではない。私は、その時それが何の虫なのか皆目見当がつかなかった。最初私はそれを、たまたま野外で砂を取った時に、周りの草から落ちて紛れたハムシか何かだと思った。それは、その甲虫が見るからに水生のものに見えない風体だったことによる。
 一般に甲虫で水生の種、例えばゲンゴロウやガムシ、ミズスマシであれば、脚が水をかくように変形していたり、毛が密に生えていたりと、泳ぐための何らかの形態的適応をしているのが普通だ。「俺は泳ぐぞ!」というオーラを、大なり小なり体の随所から放っているものなのである。しかし、私が見たそれはどう見ても泳ぐための姿をしておらず、実際全く泳がなかったのだ。ただ水底を当て所なく這い回るだけだった。溺れているならば助けねば、とも思った刹那、待てよと思いとどまった。容器に張った水は浅く、また底に敷いた砂は緩い傾斜にしておいた。傾斜の最上部は水面からギリギリ出した状態にしていたため、逃れようと思えばこいつはいつでも水中から出られたはずだ。だが、こいつは今までずっと水中にいて、さっきから見ていても上陸する気配がまるでない。どう見ても水生昆虫に見えないそれは、しかし明らかに自分の意思で水中から出ないのだ。
 何なんだこいつは?
 そんな不思議な甲虫を見つけた日から大分経った頃になって、私はヒメドロムシという甲虫分類群の存在を知ったのである。

アシナガミゾドロムシ。河川中流域に住み、水中に伸びたヨシの根っこに付いている。


 ヒメドロムシ科の甲虫は、日本に60種弱が知られる仲間で、れっきとした水生の甲虫である。しかし、その暮らしぶりは同じ水生の甲虫たるゲンゴロウなどとは、まるで違う。まず、彼らは水生昆虫なのに泳げない。泳がず、彼らは水底の石や流木にしがみつき、それらの表面にこびり付く藻類を餌にしているのだ。ゲンゴロウにせよミズスマシにせよ、水生の甲虫には肉食性のものが目立つ。成虫は水草などを食うガムシも、幼虫期は肉食する。そんな中、一生を通して生肉とは縁のないヒメドロムシは、少し異端な存在に思える。
 彼らが住む水中というのは、ほぼ例外なく川や沢など多少とも水流のある場所に限られ、池や沼など淀んだ溜まり水には生息しない。常時流れに身を置いているため、彼らは流されないように脚の先端の爪が発達している。種によっては、体格の割に信じがたい大きさの爪を持つものがいて、まるで敵の城に忍び込む忍者が、外壁をよじ登るのに使う鉄カギを連想させる。

ナガドロムシの一種。池の岸辺の湿ったところにいる。


 ヒメドロムシは、どの種も清涼な水の流れる河川の、あまり泥や分厚い堆積物が溜まっていない川底に住んでいるため、名前と違って泥の中にはいない。昔の甲虫分類学者は、生活スタイルの詳細はいざ知らず、水底や水辺にへばりつくように生きている甲虫はどうせ泥にでもまみれて生きているんだろうと思ったのか、何かれ構わずドロムシと名付けている(ヒラタドロムシ科、ナガドロムシ科、マルドロムシ科など。いずれもヒメドロムシ科とは別の仲間)。私があの時、裏山の細流から土砂とともに捕まえた謎の甲虫は、ヒメドロムシだったのだ。さらにその後、この分類群に詳しい専門家の方から、あれが山間部の源流域でよく得られるツブスジドロムシという種であることを教えてもらった。ちなみに、ヒメドロムシは発達した翅を持つため、たまに水から出て飛ぶことができるが、それ以外の用途で陸に上がることはない。他の多くの昆虫と同様、腹にある気門という穴から空気を吸っているのに、息継ぎで水面に出てくることもない。彼らの体の裏面には、ビロード状の細かい毛が密に生えていて、水中にいる間はここに空気の泡をまとっている。もともと彼らは陸上生物なので、エラを持つ魚と違って水中の溶存酸素を直接呼吸に使えない(幼虫は別)。そのため、腹面にまとった空気の中に水中の溶存酸素を一回取り込み、これを使って空気呼吸するという、巧妙なのか回りくどいのかよくわからない呼吸の仕方をしている。だから、ずっと水中にいるままでも問題なく息ができるのだ。いちいち定期的に水面に出てきて、尻から空気を取り込み翅の下に蓄えるゲンゴロウ、あるいは細い呼吸用の管を水面から出して呼吸するタガメやミズカマキリとは違う、不思議な呼吸法だ。

ツブスジドロムシ。赤みを帯びた個体が多い。山間部の細流で見つかる。


 ヒメドロムシの仲間は小さく地味なため、少し前までは虫マニアからも注目される事が少なかった。しかし、その形態の珍奇さが再評価されてきたこと、効率良く採る方法が分かってきたことなどから、近年この仲間にハマる同好の者達が増えてきている。ヒメドロムシの採り方は、至極単純だ。川底の石や流木を拾い上げ、その表面を舐めるように見回す。すると、そこが好適な生息地ならば、表面に小さな甲虫がしがみ付いているのを確認できるだろう。一方、中には水の中に伸びた植物の根っこにしがみついて住む奴もいる。こういう種を採りたければ、金魚をすくうような目の細かい網で水中の根っこを丹念にすくう。ただ、この仲間はとにかく小さい。どの種も基本的に2-3mmサイズがデフォルトであり、これよりさらに小さい種もざらにいる。だから、仮に視界に入ったとしても、慣れないうちは小さな砂粒か何かと間違えて見逃す可能性が高い。

ヒメハバビロドロムシ。他のヒメドロムシとは生息条件の傾向が異なり、水中にはいない。山間部の細流脇に落ちている湿った枝、深く泥にはまった石の裏などにいる。


 日本を代表する昆虫学者の一人で、馬場金太郎(1912-1993、医学博士でありながら『昆虫採集学』という大著の筆者)という人が昔いた。彼はヒメドロムシを採集するにあたり、上記のようにチマチマ肉眼で探すのが面倒なので、もっと楽に沢山集める方法がないか思案した。その結果思い付いたのが、フンドシ採集法である。川底を足で引っ掻き回すと、そこにいたヒメドロムシはしばし驚いて脚を引っ込め、しがみ付いていた石や流木から離れてしまう。しかし、彼らは泳げない。そのままだとどんどん流されていってしまうため、彼らはとりあえず何はなくとも脚の爪を周囲のものに引っ掛けようとする。この習性を利用し、あらかじめ下流側にフンドシ状にタオル等を広げて設置しておくのだ。それから上流側の石を派手に起こすと、泥煙とともに巻き上がったヒメドロムシが、下流側のフンドシにしがみつく。巻き上がった土砂だけがそのまま流れていき、虫だけがフンドシに引っかかって残るので効率よい、という触れ込みの方法で、ちょっと虫に詳しい人間なら大抵知っていると思う。
 先述の通り、日本産ヒメドロムシの仲間は、基本的にゴマ粒サイズがデフォルトである。このサイズに見慣れてしまうと、それよりほんの1mmでも大きい種を見ただけで、ものすごく大きく見えてしまう。しかし、日本には想像を絶するほど超巨大なヒメドロムシが存在するのだ。その名もケスジドロムシ。本州から九州にかけて局所的に分布する種で、最近では西日本で見つかる例が多いように思える。どのくらい巨大かと言えば、なんと驚くことに5mmもあるというのだ! 「5mmなんてせいぜいご飯粒程度じゃねーか!」と、普通なら誰でも思うだろうが、それはヒメドロムシという分類群の平均的なサイズを知らないから。小学生の頃、クラスの皆がほぼどんぐりの背比べ的な身長の中、一人だけ巨人みたいにでかい奴がいたという経験は誰しもあるだろう。日本各地から採集された数多のヒメドロムシ類の標本を机上に並べていって、ケスジドロムシの番になった時、思わずのけぞって見上げてしまう。そんな感じだ。
 私がちょっと前まで住んでいた九州のとある川で、昔その「進撃の巨虫」が見つかった記録がある。やや古い記録であるため、いるかどうかわからなかったが、ある初夏の日に試しに探しに行ってみた。本数の少ない山間の電車、バスを延々乗り継いでたどり着いたのは、周囲が山ばかりの農村地帯。田畑をぶった切るように、大きな浅い川が流れていた。しかし、川べりはどこもガッチリと護岸されていて、なおかつ深さ数メートルの堀のようになっており、川へ降りられる場所が見当たらない。近年急速に高まる自然災害の危機に備えてのことだろうが、これではあまりにも気分が萎える。萎えすぎる。降りられる場所を求めて、少し上流側へと歩いてみることにした。しかし、何しろ田舎なのでバスや電車の本数が極端に少なく、下手に遠くまで歩くと帰りの便の時間までに戻ってこられず、乗り損なってえらいことになりそうな様相だった。次の帰りの便の時間は、およそ30分後。短期決戦である。
 上流に向かって歩いておよそ10分、やや川幅が狭くなり、何とか下に降りられる場所が見つかった。急いで降りて、川にザバザバ入った。件の虫は、他のヒメドロムシ類とは少し生息環境の傾向が異なり、上流から流れてきて川底に沈んだ太い流木にしか付いていないらしい。この流木というものが、なかなか川底にない。探せど探せど、虫もつかないような細っこいのしか落ちていない。帰りの便まで残り10分、いよいよ焦った時、目の前に太さ5-6cm、長さ60cm程度の流木が沈んでいるのを見つけた。細いが、そこで見つけた中では一番の太さ。祈る思いで拾い上げ、舐めるように表面を見回す。いない、いない・・と、流木の先端近くのくぼんだ部分を見たとき、驚いて腰を抜かしそうになった。深いベージュ色、脚の長い卵型の超巨大昆虫(5mm)が、たった1匹だけしがみついていたのだ。あまりの巨大さ、そして尊さに、川の真ん中で虫の付いた流木を空に掲げ、つい神に祈りを捧げてしまったほど。制限時間ギリギリでどうにか無事に見つけ、慌てて駅までダッシュして電車に飛び乗ることができた。

ケスジドロムシ。日本産ヒメドロムシ中最大種。夜間、灯りに飛んでくることもある。


 ケスジドロムシを始め、日本産ヒメドロムシ類の多くの種は、近年その生息地である河川の環境が悪化し、絶滅が危惧されるようになってきた。平地の河川中流・下流域に住むものは、水質汚濁や河川改修により各地で生息状況が悪化の一途を辿っている。特に、ケスジドロムシやアヤスジミゾドロムシなどといった種の場合、上述のように川底に沈んだ流木の存在が生息の重要な条件になっているため、上流に大きなダムなどができて定期的に流木が下流に供給されなくなると、個体群の存続に関わる事態となるようだ。これら昆虫達の好適な住処は適度に氾濫する河川なので、我々の生活の安全に直結する治山・治水工事と全くなじまない。加えて、一般社会において知名度が皆無に等しく、小さくて見た目もぱっとしない虫ケラ(実際はそんなことはないが)なので、いくら存続の危機に瀕してもあまり積極的に保護されないのは悲しいものである。

アヤスジミゾドロムシ。美しい模様、大柄の体格、巨大な爪など、風変わりな格好。日本産ヒメドロムシの中でも一二を争う人気種。産地は局限され、簡単には採れない珍種でもある。


 最後に、知らない人にとっては衝撃の情報を記しておこう。海外には、その名もなんとElmidae(ヒメドロムシ科)という名の婦人服メーカーが存在する。偶然でも何かの間違いでもなく、会社のロゴにばっちりヒメドロムシの絵が描いてあるので、本当にヒメドロムシを名乗る会社だ。よりによって、ファッションブランドでヒメドロムシとは。会社のホームページ(http://www.elmidae.com/index.asp)を見ても、社名の由来に関しては明記されていないが、社長はヒメドロムシにどんな思いをはせたのだろうか。海外では一会社を背負うシンボルにさえなっているヒメドロムシ。日本国内でも、もう少しは注目されていいと思う。

 

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