『考える人』2014年秋号〜2016年秋号まで8回にわたり連載された「岡倉天心 日本近代絵画を創った描かぬ巨匠」の続編を、「Webでも考える人」で連載します。

 「アジアは一つ」の言葉で知られる明治期の思想家、岡倉天心(1863-1913)。彼の最大の偉業は、西洋化の時代にあって、近代日本画、そして近代日本美術を創りあげたことにあります。長年校長をつとめた東京美術学校(現東京芸術大学)を辞して日本美術院を設立した天心は、横山大観、下村観山、菱田春草など後の日本画の土壌を形成する多くの弟子たちを指導しました。

 天心が甦らせたのは絵画だけでなく、仏像やその修復、漆などをも含めた日本の美そのものでした。それを高次の意味における「霊性」の問題として捉え、同志フェノロサ、インドの宗教者ヴィヴェーカーナンダ等との邂逅を通じてアジアに流れる霊性のありかを探求した天心は、「芸術家以上のものすなわち芸術そのもの」のような存在でした。 その生涯を辿りながら、彼が残した三冊の著作にあらためて向かいます。

1904(明治37)年頃の岡倉天心 

 著述家としての天心の日本語を、私たちは知らない。彼が残した三冊の本はすべて英語で書かれている。天心にとって英語が第二の母語というべきものだったことは先の章でふれた。岡倉一雄の評伝『父 岡倉天心』によると天心は、十歳のころすでに英語での会話には困らず、かえって日本語に不十分なところがあり、親が慌てて母語を学ばせたという。
 最初の著作である『東洋の理想』The Ideals of the Eastの刊行は1903(明治36)年、次作の『日本の目覚め』が翌04年、最後の『茶の本』が06年である。わずか三年間の執筆で天心は世界の精神史にその名を刻んだことになる。
 三冊の著作を天心は旅先で書いている。異国の空の下で彼は、長く自らの胸に宿っていたものをまるで、湧水を汲み出すように世に送り出そうとした。現代の著述家が部屋に関連書を積み上げるなかで記すのとはまったく異なる環境下で生まれている事実は注目してよい。
 『東洋の理想』には、マーガレット・E・ノーブルによる序文がふされている。アイルランド生まれの彼女は「ニヴェーディター」というもう一つの名前をもつヒンドゥー教徒だった。ヴィヴェーカーナンダと天心を結びつける役割を担ったひとりであり、のちに天心のボストンでの生活を準備する人物でもある。序文の著者であることが暗示しているように、出版実現のために尽力したのも彼女だった。ノーブルは天心を「日本の芸術の理想を論じた」者であると紹介している。
 事実、天心が論じたのは、「東洋」全般の歴史ではなく、その象徴としての日本の歴史、それも日本における美の精神史というべきものだった。
 戦前はもちろん、戦後になっても天心は、国粋主義のイデオローグのように思われていた時期がある。しかし、天心の著作のどこを開いてもそうした思想は見られない。彼は日本文化の固有な意味を語ることに大きな熱情を注いだが、他国を蔑むようなことはなかった。むしろ、彼にとっての日本はつねに、「東洋」と共にあり、「東洋」の伝統に生かされている存在であり、日本の歴史を考えることはそのまま、東洋の歴史を再考することにほかならなかった。
 『東洋の理想』は「アジアは一つである」Asia is one.というよく知られた一節で始まる。本書を手にしたことのない者もこの一節は知っている。しかし、そうした言葉の流布がかえって、天心の本意を覆い隠すことになったのかもしれない。
 人々は、日本が盟主となってアジアを一なるものにするべきだと読んだのである。だが、天心の実感はまったく別なところにあった。

アジアは一つである。ヒマラヤ山脈は、二つの強大な文明、すなわち、孔子の共同社会主義をもつ中国文明と、ヴェーダの個人主義をもつインド文明とを、ただ強調するためにのみ分っている。しかし、この雪をいただく障壁さえも、究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがりを、一瞬たりとも断ち切ることはできないのである。そして、この愛こそは、すべてのアジア民族に共通の思想的遺伝であり、かれらをして世界のすべての大宗教を生み出すことを得させ、また、特殊に留意し、人生の目的ではなくして手段をさがし出すことを好む地中海やバルト海沿岸の諸民族からかれらを区別するところのものである。(富原芳彰訳)

 儒教に貫かれた中国文明とヒンドゥー教をかかげるインド文明を現象から眺めるとき、まったく相容れない二者のように映る。しかし、それは西洋近代が常識とする「分類」に基づく認識に過ぎない。「東洋」とは不可分なまでに強く結びつく一なる境域の呼び名にほかならないと天心はいう。
 西洋はさまざまな現象の別を見てそれを細分化する。しかし東洋は、多様なもののなかにそれらをつなぎ止めている不可視なはたらきを見いだそうとする。西洋はアジアの諸国を占領し、自国の文化に追従することを強い、そこに一致を生み出そうとした。東洋はそうした道を選ばない。むしろ異なることに共鳴と共振の契機を発見しようとする。
 人間の目には異なって見えるものも、一なるものから生まれていることにおいて深くつながっている。むしろ万物は、大いなるものの自己顕現にほかならない。花が在るのではなく、大いなるものが花となっている。大いなるものが川に、山になる、といったように万物のうちに大いなるもののはたらきが生きている。大いなるものを分有していることにおいて万物は「不二」、すなわち同質なるものである、と天心はいう。
 ここで述べられていることこそ、天心がヴィヴェーカーナンダから受け継いだ「不二一元」の世界観にほかならない。天心がヴィヴェーカーナンダから受けた影響は深甚だった。世界観を刷新し、行動のありようを大きく変えた。天心と出会ってほどなくヴィヴェーカーナンダは亡くなる。その後の天心の生涯は、この人物の代わりに美を通じて不二一元の教えを世界に弘めることだったといってもよい。
 「東洋」をつなぎとめるものを「究極普遍的なるものを求める愛の広いひろがり」であると天心は書いている。人と世界をつなぎとめ、彼方の世界へと導くもの、それを天心は「愛」と呼ぶ。原文では“broad expanse of love for the Ultimate and Universal”となっていて、Ultimate and Universalの二語が大文字で表記されているのを見るだけでも、従来の訳文である「究極的」、「普遍的」という文言よりもいっそう強いおもいが込められているのが分かるだろう。
 「愛」が、キリスト教の根本を流れるはたらきであることを十分に認識したうえで天心は、あえてこの一語を用いている。愛は西洋社会にだけあるのではない。西洋が考えたこともないような姿をした愛が、東洋的霊性の底をながれていることを語ろうとする。西洋列強は帝国主義を掲げ、他の地域を占領し、自分たちの都合のよいように「分類」する。しかし、東洋の「愛」はそれを一なるものへと回帰させようとする。  

分類万能の時代にあって、われわれは、型というものは、結局、近似せるものの大海にあって際立って輝く点にすぎず、心理上の便宜(べんぎ)のために、崇拝さるべく故意に設けられた(いつわ)りの神であり、たがいに入れ換え得る二つの学問の別々の存在と同じく、究極的な、あるいは相互に排他的な、妥当性を持つものではないことを、忘れている。(前掲書)

 ここで「型」と称されているものの一例は国境である。国境は何ら定まったものではない。戦争が起これば境界線の位置は変わる。それは人間が付した暫定的な目印に過ぎない。天心の考える東洋の「愛」は、そうした「偽りの神」を超えてはたらく。
「愛」はさまざまな顔を持つ。それはときに真理となり、善となり、また、あるときは美となって、争う者たちのあいだに調和をもたらす、という。
 彼が残した著作はすべて、今日でいう研究書でも学術書でもない。それは一つの宣言(マニフェスト)、美の国を建設しようとする在野の思想家による世界への提言だったのである。