小林秀雄と音楽、といえば、代表作『モオツァルト』の中の有名な一節を思い浮かべる読者が多いことと思います。

「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」

「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」

 後年、自ら語っているように「文学青年であるとともに音楽青年でもあった」小林秀雄にとって、音楽との深い関わりは、生涯変わることのないものでした。長女である白洲明子さんによれば、彼女が物心ついてからというもの、小林家の中で、音楽の鳴らない日は一日もなかった、といいます。原稿が一段落すると、椅子に身を沈めたり、ソファーに寝ころがったりして、レコードを聞いている父親の姿がありました。

 ところが、晩年になり、その日常にもやがて終焉の翳が忍び寄ってきます。今回の特集に再録した小林秀雄・河上徹太郎の最後の対談「歴史について」の末尾にはこんなやりとりがあります。河上が、「小林、僕この頃変になったんだ、音楽って嫌いになったよ」と述べます。言うまでもなく、河上は文学、音楽を通して小林の60年来の盟友です。すると小林は、「それは、当り前のことが起こってるんだ。君、さしみは好きだろう。ところが、年齢とってきて、この頃はさしみがちょっと生臭くなってきたっていうところがあるだろう」と答えます。暗に、音楽との距離感に変化が生じていることを自らも認めているのです。そして、亡くなる1年くらい前からは、疲れると言って、大好きだった音楽をまったく聞こうとしなくなりました。

 しかし、天はふたたび小林に、音楽を振り返る機会を与えます。永眠の約2ヵ月前、NHK教育テレビで1時間半の音楽番組が放送されたのです。それは、終戦から間もない昭和26年に、初来日したその人の演奏会を聞きに行った小林が、翌日の新聞に「あなたに感謝する」の一文を寄せた巨匠メニューインの3度目の来日公演の映像でした。終生ヴァイオリンを愛してやまなかった小林に訪れた、メニューインとの再会、そして別離のひと時でした。

 そこで何が演奏されたのか。ベートーヴェン、バルトーク、フランクという3人の曲目は、小林の人生にとってどのような意味を持っているのか。音楽との別れの時を刻んでいた小林の中で、この日の演奏はどのように鳴り響いたのか――。もはや想像でしか語り得ないその内面のドラマを見事に描き出したのが、杉本圭司氏の「契りのストラディヴァリウス――小林秀雄、最後の音楽会」です。

 杉本さんは1968年生まれ。東京大学文学部フランス語フランス文学科中退後、11年間の舞台創作活動を経て、2001年に小林秀雄研究を志します。意識的に全集を愛読し始めてから20年余。小林秀雄がドストエフスキーを、ベルグソンを、本居宣長を徹底して読み込んだのと全く同様に、小林秀雄の世界に没入し、その声に耳を傾けてきた最初の成果がこの力作です。気鋭による渾身の長篇評論を、是非味読していただければと思います。