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随筆 小林秀雄

 前回、小林秀雄先生は、何事もまず「まねよ」だった、人間は、頭で覚えるより先に身体で真似る、そこから始めるように造られている、したがって、人間生活のあらゆる面で「真似る」こそは大事であると言い、そのことを最も精しく、最も強い口調で語った「モオツァルト」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第15集所収)の一節、―模倣は独創の母である、唯一人のほんとうの母親である…を引いた。そして、「満洲の印象」(同第11集所収)で出会った「模倣の果てには真の理解が現れざるを得ない」という言葉に鑑み、私は小林秀雄を知るために、理解するために、小林秀雄を模倣しよう、模倣の果てまで行こうと思い定めたと書いた。今回は、それを承けて、私が「小林秀雄の模倣の仕方」を模倣した、その実際を振り返ってみようと思う。

 まずは、絵や彫刻をどう見るか、どう鑑賞するかである。昭和十六年六月、三十九歳で書いた「伝統」(同第14集所収)で、小林秀雄は「伝統の問題は、伝統を回復するかしないかという僕らの実際の行為の問題なのであり、その行為は古典の鑑賞という形で一番はっきりと現れている」と書き、次いでこう言っている。
 ―鑑賞という事は、一見行為を拒絶した事の様に考えられるが、実はそうではないので、鑑賞とは模倣という行為の意識化し純化したものなのである。救世(ぐせ)観音の美しさは、僕等の悟性という様な抽象的なものを救うのではない、僕等の心も身体も救うのだ。僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするのである。そこに推参しようとする能力によって、つまり模倣という行いによって。
 絵画でも音楽でも、私たちがふだん使っている鑑賞という言葉には、どこかとりすました感じがありはしないだろうか。けっして熱くはならず、冷静を保って、相手が訴えてくるものを理路整然と受け止める、そういうニュアンスがありはしないだろうか。そのため私たちは、しばしば鑑賞しているつもりで観察しているだけのことがある。すぐ目の前に絵や彫刻があるにもかかわらずそれらには面と向かわず、解説に書かれた美術史上の特徴や、構図・配色の斬新さといった「事柄」を確かめているだけのことがある。すなわち観察である。
 先の引用に出ている「救世観音」は、奈良・法隆寺の夢殿の本尊で、飛鳥時代を代表する彫刻である。この文は、小説家志賀直哉が言った、「夢殿の救世観音を見ていると、その作者というような事は全く浮んで来ない。それは作者というものからそれが完全に遊離した存在となっているからで…」に触発されて書かれたのだが、ここではその文章全体の主題には立ち入らず、小林秀雄の言う「鑑賞とは模倣という行為の意識化し純化したものなのである」を十分に噛みしめたい。
 私たちは、しばしば鑑賞しているつもりで観察しているだけのことがあると言ったが、しかし私たちは、別のあるときは一枚の絵、一体の彫刻の前で釘付けになり、これを持って帰りたいという衝動に駆られることもよくある。だが救世観音を持って帰ることはできない。ならばこの美しさをわがものにしよう、この美しさをしっかり眼に焼き付けて帰ろう、そういう思いでいっぱいになることがある。そのとき、私たちは、さほどに絵を描いたり彫像を彫ったりした経験はなくても、画家の筆づかい、彫刻家の鑿づかいをいつのまにか追いかけている、なぞっている。小林秀雄の言う「僕等は、その美しさを観察するのではない、わがものとするのである。そこに推参しようとする能力によって、つまり模倣という行いによって」とはこのことであろう。 

 では音楽はどうか。音楽は耳で聴くのだ、何よりもまず耳を澄ますのだと小林秀雄は言い、昭和二十五年四月、四十八歳の春に発表した「表現について」(同第18集所収)でこう言っている。
 ―音楽を聞くとは、その暗示力に酔う事ではありますまい。誰でも酔う事から始めるものだ。やがて、それなら酒に酔う方が早道だと悟るのです。音楽はただ聞えて来るものではない、聞こうと努めるものだ。と言うのは、作者の表現せんとする意志に近付いて行く喜びなのです。どういう風に近付いて行くか。これは耳を澄ますより外はない、耳の修練であって、頭ではどうにもならぬ事であります。
 ここで言われている音楽は、クラシック音楽だが、私の身辺にいたクラシック・ファンの多くは、なるほど音楽の暗示力に酔っていた。たとえばモーツァルトの音楽は、一般に優美な、繊細な、均斉のとれた、などという言葉で言い表されるが、この「優美」「繊細」「均斉」などがすなわち「音楽の暗示」であり、人を酔わせるのである。モーツァルトは、どの曲であれ、「優美」「繊細」「均斉」などが聴いてもらいたくて作ったのではない。モーツァルトが聴いてほしいと思ったもの、すなわち「作者の表現せんとする意志」は厳然として別にある、と小林秀雄は言うのである。
 こうして小林秀雄は、音楽を聴く喜びは、その「作者の表現せんとする意志に近付いて行く」ところにあると何度も言うのだが、これは、小林秀雄が、「人生いかに生きるべきか」を終生考え続けたことと深くかかわっていたはずである。小林秀雄の批評は、作品を論じるに留まらず、作品の奥にいる作者に会いにいく、これだった。小林秀雄は、「罪と罰」の奥にいるドストエフスキーに会いにいき、「烏のいる麦畑」の奥にいるゴッホに会いにいった、それと同じように、たとえば「交響曲第四十番ト短調」の奥にいるモーツァルトに会おうとしたのである。これはむろん、批評家として立つより早く、小林秀雄の生まれつきの気質に人間に対する烈しい関心があったからであろう。
 そして、言う。
 ―耳を澄ますとは、音楽の暗示する空想の雲をくぐって、音楽の明示する音を、絶対的な正確さで捕えるという事だ。私達のうちに、一種の無心が生じ、そのなかを秩序整然たる音の運動が充たします。空想の余地はない。音は耳になり耳は精神になる。
 ここで言われる「音楽の暗示する空想の雲」は、ありとあらゆる演奏がいともたやすく聴けるようになった現代ではいっそう重く垂れこめているように思われる。私の身辺のクラシック・ファンには、作者の「表現せんとする意志」よりも、それを演奏する奏者の「表現せんとする意志」に夢中になり、たとえばモーツァルトの「四十番」は、あの年、あの指揮者が、あのホールで、あのシンフォニーを率いたのが最高だった、といったことに熱弁をふるいあう者たちが少なくない。むろんこれはこれでクラシックの楽しみ方のひとつだし、それが作者の意志・奏者の意志を無心の境地で汲もうとしたものであれば何も言うことはないのだが、しかし、ここにも、音楽の暗示力に酔う危険はある。それは、演奏者の「解釈」である。小林先生は、指揮者・奏者の「解釈」を最も嫌った。彼らは、私はこの曲をこう解釈したと誇らしげに言って弾き、評論家もあの解釈は卓抜だなどと褒め上げるが、なんのことはない、奏者・評論家が本家本元の作者を置き去りにして自我を主張しているだけのことだと先生は言い、指揮者・奏者の演奏比較論などにはまったく耳を貸さなかった。
 「空想の雲」は、まだある。
 ―現代人は、散文の氾濫のなかにあって、頭脳的錯覚にかけては、皆達人になっております。一方強い刺戟を享楽して感覚の陶酔を求めているので、耳を澄ますという事も難かしい事になっている。黙って、どれだけの音を自分の耳は聞き分けているか、自ら自分の耳に問うという様な忍耐強い修練をやる人は少くなっている。併し、そこに一切があるのだ。
 現代は散文が隆盛を極めている、散文の言葉が氾濫し、音楽の世界でも皆々すぐ音を言葉に翻訳したがる。音楽評論だの解説だのが毎日飛び交い、多くの人がその評論や解説の用語を頭脳に蓄えて音楽を聴いた気になっている。これも「空想の雲」である。
 ―音楽の美しさに驚嘆するとは、自分の耳の能力に驚嘆する事だ、そしてそれは自分の精神の力に今更の様に驚く事だ。空想的な、不安な、偶然な日常の自我が捨てられ、音楽の必然性に応ずるもう一つの自我を信ずる様に、私達は誘われるのです。これは音楽家が表現しようとする意志を、或(あるい)は行為を模倣する事である。音楽を聞いて踊る子供は、音楽の凡庸な解説者より遥かに正しいのであります。
「空想的な、不安な、偶然な日常の自我が捨てられ、音楽の必然性に応ずるもう一つの自我を信ずる」ように誘われるとは、徹底的に耳を澄まして自分をその音楽に委ねきれば、さしたる理由もなく己れを誇ったり蔑んだり、悩んだり疑ったりしている日頃の自分が消え、代って秩序整然たる音の運動という必然性を信じようとする自分が現れる。これが、音楽家が表現しようとする意志を、あるいは行為を模倣するということだと小林先生は言うのである。そしてこれこそが、作者の人間性に全身で出会うということだろう。

 さらに前回、最初に引いた「本居宣長」(昭和五十二年七十五歳、同第27集所収)である。「『學』の字の字義は、象(カタド)り効(ナラ)うであって、学問の根本は模傚(もこう)にあるとは、学問という言葉が語っている」とあったが、これに続けて小林先生はこう言っている。「模傚」は「模倣」と同じである。
 ―彼等にとって、古書吟味の目的は、古書を出来るだけ上手に模傚しようとする実践的動機の実現にあった。従って、当然、模傚される手本と模傚する自己との対立、その間の緊張した関係そのものが、そのまま彼等の学問の姿だ。
 「彼等」とは、本居宣長をはじめとして中江藤樹、伊藤仁斎、荻生徂徠ら、近世日本の学者たちであり、ここで言われている「古書」は「古典」の意だが、その「古書を出来るだけ上手に模傚しようとする実践的動機の実現」は、たとえば伊藤仁斎にあってはこうであった。
 仁斎の学問で、まず挙げられるのは「論語古義」と「孟子古義」である。今日、私たち日本人が、「論語」を心の糧にできるのは、江戸時代に仁斎が、そして徂徠が、「論語」を正しく読んでおいてくれたおかげである。わけても仁斎は、「論語」を正しく読むことに一生をかけた人である。「論語」を正しく読むとは、「論語」に残された孔子の言葉と行為に関し、孔子がその言葉や行為によって表現しようとした意志を正しく汲み取り、そのうえで「論語」の読み方を導くということである。
 しかしこれは、容易なことではなかった。「論語」が成って二千年、その間に多種多様の注釈書が現れ、その夥しい注釈書の前で誰もが右往左往していた。これら先行注釈の空想の雲をかき分けて、孔子の本意に到り着くためには、いっさいの注釈を無視して「論語」の本文そのものを読み返すしかない。こうして仁斎は、京都堀川の古義堂と名づけた自らの塾で「論語」の講義を繰返し繰返し行い、生涯にわたって「論語講義」の原稿に手を加え続けた。
 ―その点で、彼は、孔子の研究家とは言えない。むしろ深い意味での孔子の模倣者なのである。彼は孔子の思想を正しく説明したのではない。むしろ、孔子という原譜を正しく弾いた人である。
 小林先生は、「考えるヒント」の「哲学」(同24集所収)では仁斎をこう評した。仁斎もまた、孔子の肉声を微妙な文(あや)まで聴き取ろうとして耳を澄ませ、眼を洗い、眼を洗いして「論語」を読んだのである。
 仁斎に倣って、私は小林秀雄という原譜を正しく弾きたい、それは、小林秀雄に倣って小林秀雄を正しく弾くということでもある。これまでもそうだったが、これからもそうありたい、それだけを願っている。

(第二十三回 了)

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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