秋を目前に、山奥の小村で本の市場が立つと聞いた。ヴェネツィアで行きつけの書店が教えてくれたのだ。山村で本を売る、という様子が想像できない。周囲に尋ねても、その村のことを知る人はいない。「行ってみるしかありませんね」。

 ミラノから南に車を駆って、二時間半ほど。高速道路は、ポー川流域の広々とした平野を突き抜けていく。北イタリア最大の農地は肥沃で、牧畜業もさかんだ。生ハムやチーズの産地、サッカーの中田英寿選手も暮らしたパルマ市を過ぎたあたりから、山が近づいてくる。アペニン山脈の最北端へ差し掛かる。
 山裾を縫い、渓谷をなぞっていたかと思うと道は山腹を這うように上っていく。
 ぐるりと山に取り囲まれたところで、高速道路を下りた。
 山村モンテレッジォはそこからさらに県道、市道、村道を辿った先にあった。

©UNO Associates Inc.


 道はそこでは果てず、さらに奥へと繋がっている。険しい坂道に面した食堂に入った。遅れた朝食を取りながら、本の村のことを尋ねてみようと思ったのだ。

 入ってみると、深い山中にある食堂とは思えないほどの大広間があり、ざっと二十卓ほどのテーブルが並んでいる。奥から顔を出した店主にコーヒーとパンを頼み、テーブルに付いた。
 他に客などいないだろう、と見回すと、隅のテーブルで老いた女性が一人、本を読んでいる。顔を上げた彼女は私が連れていた犬に声を掛け、
 「あなたも村の本の市場へ?」
 と、訊いた。
 私が朝食を済ませるのを見届けてから、「よろしいかしら」と、控えめに相席を乞うた。
 ミラノから来た、と私が言うと、満面の笑みで、ミラノ近郊の高校で国語の教師をしていたのだと話し、
 「定年退職した後、書店を開業いたしましたのよ」
 と、誇らしげに言った。
 長年の夢だった。古本から新刊、雑誌や漫画、同人誌も置いた。ときどき店内の本を片付けて椅子を並べ、作家や評論家を招いて読者との集まりを開いたり、子供たちへの読み聞かせ、熱心な客たちと読書会も開いたりした。
 「いろいろな客が来ました。それはそれは、楽しかった!……」
 毅然とした居住まいである。背筋を伸ばし、袖を通さず肩に掛けたカーディガンに、きれいに梳かした髪がいっそう映えて見える。オレンジ色の髪を褒めると、
 「子供の頃からずっとこの色でしてね。派手でしょう? でも、この髪のおかげで楽しいこともありました」
 長らく会っていなかった幼馴染が髪の毛を見て、「あなた、ロベルタでしょう?」と、声を掛けてくれたのだという。
 小中学校はどちらで? と訊くと、長い吐息の後、
 「本当にひどい時代でした」
 と言い、自分は母方の苗字を名乗っているのだ、と付け加えた。それは偶然にも、この山麓の地の名前だった。地名を苗字代わりに付けるのは、戦後、ユダヤ人によくあることだった。
 そうなのです、と頷いて、
 「一族で生き残れたのは、母と私だけでした」

©UNO Associates Inc.


 八十七歳。さまざまを経て老婦人は目が悪く、現在は左目だけで暮らしている。それでも、本は離さない。
 学校に通えず、独学で字の読み書きを覚えた。すべてを失って母は、「勉強なさい」と勧めた。小学校すら終えられなかった人が大勢いた当時に、大学まで進学した女性は周囲には他にいなかった。
 文学部を選んだのは、美しい言葉を学びたかったからだった。
 子供たちに読むことを教え、書店を開き、本を読み。文字に囲まれての一生だった。 
 この元書店主が、元国語教師が、たった一人でこの深い山奥までやってくるのは、本の市場が立つからである。
 「文字に助けられて生きてきました。本を売り買いする人たちの中にいたい。モンテレッジォには、古い友人と会うような気持ちで参りますのよ」
 彼女が窓際で熱心に読んでいた分厚い本には、『ファシズム時代のユダヤ人たちの暮らし』とあった。山村の本の市の露天商が、古い顧客である彼女のために見つけ出してきた本なのだった。

 
Thanks to: Associazione Montereggio Paese dei librai
  Associazione “Le Maestà di Montereggio”