イタリアの学校は、秋に始まる。自治体により数日のずれはあるが、多くの学校が九月第二週から始まっている。

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 今年の秋は、ワクチン問題でかまびすしい。消滅したものもあれば、新たに追加された種類もある。夏前の国会では、義務ワクチンを十二種類に増やそうという提案まで出た。審議の末、今年度のゼロ歳から十六歳を対象とした義務ワクチンは、合計十種類と決定。接種証明を提出しなければ、幼稚園や小中、高等学校には公立私立の差なく入れない。
 「ワクチンは、政治家と関係者の癒着の温床だ」 
 「副作用などの薬害があることも説明しなければ」
 「いや、ワクチンのおかげで消滅した病気は多い。効能を評価するべき」
 インターネット上や口コミで、ワクチンに関連する賛否両論が錯綜、沸騰。ワクチンが本来持つ、伝染病などを未然に抑えるという公衆衛生の役割についての論議から離れ、接種するしないは個人の自由に任せるべき、と論点が移っての喧々諤々になっている。現在も混乱は続行中である。 
 ミラノでは、保育園と幼稚園合わせて、この秋、三万三千児の新規入園が予定されていたが、そのうち三割の児童が接種証明を未提出という。もし接種しなければ入園できないだけではなく、親には社会責任を守らないかどで一〇〇〜五〇〇ユーロの罰金が課される。接種を拒否する人が増えれば増えるほど、義務化への流れはますます強まる。
 「うちの子には、絶対に受けさせない。でも幼稚園に通う権利がある!」
 そう宣言して未接種のわが子の手を引き、力ずくで幼稚園に入ろうとした両親と学校側が校門前で言い争いとなり収拾がつかず学校側が警察を呼んだため、いっそう騒ぎが大きくなったケースもあった。
 
 <引越しすることに決めました>
 そろそろ幼稚園にも慣れて楽しく通っている頃だろうか、と知人に電話をしようと思っていた矢先に、その相手からメッセージが届く。
 断固ワクチン反対派の知人一家は、接種義務のない外国への移住を決意したと言う。ヨーロッパ共同体内でも、ワクチン接種に統一義務はない。各国が各々の状況に合わせて決めている。
 この三十代の夫婦には、保育園児と新生児の二児がある。夫婦揃って伝統工芸の職人で、住まいから離れたところに工房と店を持っている。多忙に疲労が積もり積もって、このところ夫婦が衝突することも多かったらしい。さらに、地続きで夫の実家がある。
 「最初のうちは、ありがたかったのだけれど……」
 妻は舅姑との人間関係に息が詰まる思いで暮らしていた。ワクチン問題は、一家のこれからを見極めるリトマス試験紙になったようだ。接種を拒否して移住に選んだ先は、温暖で美しい海に囲まれた島である。裕福な観光地としても知られる。母国を離れ、言葉や習慣の違いを乗り越え、幼子たち連れで移住を決める気力があるのだ。イタリアの職人の技能とセンスを生かして、新たな活路も見出せるかもしれない。接種しなくても、ワクチンはある意味、効能を発揮したのかもしれない。

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 しばらくぶりに会った友人は、老齢の一人暮らしだ。大学時代からずっと、イタリアを離れて暮らす一人娘がいる。就職も結婚も出産も、外国だった。
 「いよいよ娘たちが帰ってきますのよ」
 会うたびに、友人は目を細めて喜んでいた。孫が小学校に上がるのを機に、異国の地から引き揚げてくる予定だった。
 ところが、ワクチン。
 娘夫婦は、拒否派なのだった。
 「イタリアに戻るのは、子供が十六歳を過ぎてからに先送りしました」
 娘に告げられ、友人は悄然としている。娘は、自分たちが老母の活力剤であることに気が付いていない。

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 収束しない賛否論争は、国会での審議と国民への説明が足りなかったからだろう。フェイクニュースも随分と出回り、世間の不安を煽った。テレビや新聞、学校や保健所では保護者たちに対し、ワクチンの効能と必要性について繰り返し説明されている。しかし反対派は、もう聞く耳を持たない。賛成派は、不安と疑いを持つ人がいることを認めない。次第に個人か集団か、というような議論の火種へと変貌していく。誹る人が出ると、刃向かう人も出る。子供を守ろうという思いは、どちらも同じはずなのに。
 楽しいはずの新学期の秋が、波立っている。

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