読書の秋。北イタリアの秋冬は長雨も続き、しんとする。本好きにはなかなかの季節の到来だ。
 ところが、町から書店が消えてしまった。商店街に数軒あった書店が、この数年ですべて閉業した。裏通りにあった古書店も、いつの間にかなくなっている。買い物に行った帰りに、待ち合わせの途中で、時間潰しに。一日の予定と予定を繋ぐように、あちこちに書店があったのに……。
 通勤をしない私に、書店は現実と非現実の間に立ちクッションのような役目を果たしてくれて、ずいぶん助けてもらってきた。立ち読みするひと時のおかげで、諸事難題からいったん距離を置いて気持ちの切り替えができたものだった。
 なくなってみて、書店は本を買うだけの場所ではなかったことにあらためて気付く。

©UNO Associates Inc.
 

 2010年にミラノ中央駅が大々的に改築された際、24並ぶプラットフォームに直結するショッピングエリアができることになった。全長341メートル、66,000平方メートルという巨大な駅舎に入った中で床面積最大の店舗は、書店だった。
 海がない、よって港を持たないミラノの玄関は、鉄道の中央駅である。迎えて、見送って。ミラノの顔を書店が担う。そういう駅に生まれ変わった。

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 大型書店には、総合病院のような良さがある。最先端の情報と選択肢が揃い、広々とした空間で本と(自分と)対面するのは、ある種の安堵感だ。
 しかし近所の個人書店には、また違った良さがある。掛かり付けの町医者のような。すぐ近くで、待っている。たいていがこぢんまりとしていて、手の届くところに旬の本が、あるいは店主が今こそ、と勧める本が置いてある。
 そういう書店の通い分けができなくなって、道しるべを失ったような気持ちになる。

 「うちの倉庫を見にきませんか?」
 古書市で知り合った店主から誘われた。毎夏トスカーナ州の山奥の村で開かれる青空古書市には、イタリア各地から個人書店が集まり露店を張る。中に軒先にタイプライターを置いた店があり、訪れる子供や若者たちが次々とキーに触れて物珍しそうにしている。目に止まって、店主と話した。ノヴァラという北イタリアの都市で、長らく書店を営んでいるという。
 ミラノとトリノのちょうど真ん中に位置するノヴァラを訪れた。古い名作映画『にがい米』の舞台となった水田地帯に囲まれた、中世からの穏やかな地方小都市だ。町の中央にその書店はあった。
 車両通行止めの区域にあり、店内に聞こえるのは客たちが棚から本を引く音、足音、ページを繰るそよりとした感じ、客の問い合わせに応じる店員の低い声の受け答えばかりである。

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 数代続く書店の倉庫は、そこから少し離れた住宅街にあった。
 だらだら坂になった地下への通路を下りていくと、二重になったガラス戸の向こうに思いもかけない広い空間があった。200~300平米はあるだろうか。そこにぎっしりと、しかし整然と床から天井まで本が並んでいる。
 低い書棚からスチール製の備え付けまで、書棚の間にできた道を伝う。あの古い紙独特の、埃臭い甘い匂いがしている。日本もイタリアも、本の匂いは同じ。 
 稀少本の類もあれば、百科事典もある。化粧箱入の文学全集が並ぶ。美術展の図録は、持って閲覧できないほど重厚だ。いつの頃のものなのか、味わいのあるイラストが表紙になった、少年少女向けの雑誌の束もある。
 無数の本の中に小さな作業台がある。台上の紙箱に、多数の絵葉書が入っている。
 「ここで登録作業をしてから書棚に仕分けするのですが、買い上げの本から実にさまざまなものが出てくるのです。しばらくの間こうして箱に入れて保管し、持ち主がわかったらお返しするようにしています」
 本に挟まれた、数々の思い。
 書店は、本を売るだけの場所ではない。物語をページの間に抱いて、本は書店に戻ってくる。

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