いま富士山は、夏山シーズン(7月1日の山開きから2ヶ月間)のまっさかり。毎年30万人を超す登山者であふれるそうですが、今年6月22日にユネスコの世界文化遺産に登録され、登山ブームにも拍車がかかっています。
やや常軌を逸したような富士山への熱狂ぶりは昨今の情報化がもたらしたものかと思えば、さにあらず。日本人はいにしえの時代から、富士(不二)をかけがえのない特別な存在として、畏れたりあがめたり、憑かれたように夢中になったりしてきました。
日本の真ん中にそびえ立ち、ひときわ高く美しく、ときに噴火などしてあらぶる霊峰、富士。絵や詩歌、紀行や文学、科学などで扱われ、時代時代で信仰の対象であったり国家の象徴であったり、軍事や農業、工業に利用されたり、とても複雑な歴史を持っています。
この、とてつもなく大きな富士山という存在を描き出すために、時代と空間を俯瞰したり、時には一人の人物の眼を通したり、あたかも伝記のようにつづりたい。――そんな提案で、この連載は実現しました。
池内紀さんはご存知の方も多いように、ドイツ文学研究や翻訳とともに、「山」も主要な執筆テーマのひとつ。小誌2012年冬号特集「ひとは山に向かう」の対談では、山に対する深い造詣と自由なつきあいかたをたっぷり語っていただきました。ところが意外なことに、富士山について本格的に執筆されるのは、これが初めてだそうです。富士山と日本人にとって記念碑的な年に、満を持してのスタートとなりました。

第一回目は「御師(おし)の町」。御師とは、信仰の対象である山と登拝者とをとりもつ、ときには案内や宿泊の世話人であり、ときには加持祈祷の実践者ともなる、ユニークななりわいです。
七世紀に体系化された山岳信仰が、江戸時代の半ばには「富士講」として全国津々浦々に広まり、庶民はお金をつみたてて富士登山(富士詣で、富士参り)に備えました。そして関東からの参拝の拠点として北口(現在の吉田口:富士吉田市)に御師が集まり、ひとつの町を形成するほどになりました。
当時の日記や記録、御守や御札などを紹介しながら、富士講の想像もおよばないほどの賑わい、組織作りの巧みなシステム、御師たちの宿の亭主としてのサービスぶりなど、富士山と日本人の300年を俯瞰し、現在にもつながる歴史が、いきいきと描きだされています。

この連載の次回は、「北斎は見た」――富嶽三十六景と富嶽百景をイコノグラフのように読み解くという、これもまた楽しみなテーマです。これから2年にわたり展開される「富士――ある山の伝記」に、どうぞご期待ください。