(前回の記事へ)

 ハイ、僕はただいま間違いなくコペンハーゲンにおります。道路を渡ろうとしたら、ライクラ素材の服を着た、ムッキムキのデンマーク人が、車輪のついたクロスカントリー用のスキーを履いて足早に通り過ぎて行ったよ(雪不足だったから車輪つき)。

 僕はデザインの「上級特別クラス」(って、僕を呼んでくれた人が言ってた)のレクチャーをするためにデンマークに招待されたのだ。僕はコペンハーゲン経由で旅行のスケジュールを組んでいた。というのも、実は僕の象のプロジェクトに手を貸してくれたらいいなと思う人と、会う予定があったからだ。僕はバルーン公園という、コペンハーゲンの中心地にある場所を探していた。そこには、第二次世界大戦中に建てられた小屋が百棟あり、かつては防空気球が収められていたそうだ。現在、その小屋には「独立した自治団体」である地域共同体の人々が暮らしており、支配的文化に逆らって生きるための家として役立っているらしい。そこに暮らす人々の一人がシャーマン(霊媒師)であり、僕が会いたいのはその人なのだ。

 僕の人生観は、「はじめに」に書いた憂鬱(ゆううつ)な日々以降、刻一刻と変化していた。僕の世界に対する怒りは収まり、彼女との喧嘩は過去のこととなり、そして自分に対する情けない嫌悪感(けんおかん)はどこかへ消えていた。出版社に手紙を送った僕への彼らの答えは、もし僕がこのプロジェクトを成功させることができたら、出版してもいいだろうということだった。もし僕がこのプロジェクトを完遂することができたなら……。「読者のみなさん、お久しぶりです!」ってことになる。

 スマートフォンが壊れてしまって、五分おきにニュースをチェックできないのが原因かもしれないけれど、世界が滅亡しそうな雰囲気はないみたいだ。もちろん問題はたくさんあるけど、物事は正しい方向にむかっているように思える。貧富の差はますます開いているのかもしれないけれど、貧困自体は解消されつつあるし、世界の人口は数年後にピークを迎え、そして減少していき、技術はよりいっそう発展して、気候を悪化させ続けることもなく、快適で実り多い生活を送ることができるようになるのだ。ヒャッハー!(あ、テロリスト? テロリストって何それ食えるの? ヤツらはとんでもなく腐ってしまった現代のバナナで、どの時代にもそんなヤツらはいるものさ)

 短くまとめると、世界も僕もいい感じってこと! でも、気分がいいっていうのに、象になるという壮大なプロジェクトは静かに停滞をはじめたのであった。僕だって、楽しく色々とやりながら(上級特別クラスを教えるなんてこととか)、一生懸命がんばってはいる。だから、ウェルコムトラストには内緒にしてほしい。わかってもらえるかなあ、この「象になりたいプロジェクト」の本当に基本的な部分で、問題が発生してしまったんだよ。つまり、象になりたくなくなっちゃったんだ。

 

 僕が象になることに決めたのは、現実的な理由があってのことだった。ウェルコムトラストに申請書を書いている時には、どういうわけか、象になることへの設計上の制約は、克服できるように思われた。自然のなかを自由に移動するという僕のビジョンに合った人間以外の動物になることの制約と、象になることの制約は、まったくの別物だったんだ。

 この制約の違いは、こんなことだ。まず、象の外枠はとても大きいから、僕が入る十分なスペースを確保できるし、同時に複雑なマイクロエンジニアリングも必要ないということ。次に、身体(からだ)が大きいから、象の動きはゆっくりで、重々しいでしょ? したがって、僕が作る外骨格の動きが遅くて重くても、問題はないと僕は考えた。そして最後になるけれど、これが一番重要なことだ。僕が気になっていたのは象の首の短さにあった。

 僕が首の短さについて考えた理由はこうだ。僕の両腕が前脚になることは簡単に想像できるわけだけれど、僕にはどうしたって自分の首をそれに合わせて伸ばす方法が思いつかなかった。そして象は、草食動物としては、長い脚に比べて首が短いとされる。

 動物として生きていくなかで最も重要なのは、他の動物に捕食されないことだ。生きながらにして食べられるのを防ぐためには、長くて速く動く脚が有利になる。しかし同時に、動物として生きていくために重要なのは、自分でエサを食べるということ。草食性の四肢動物の場合は、エネルギー密度の低い、草と葉を食べることになる。つまり、大量に食べる必要があるということなのだ。実際のところ、起きている時間の六十パーセントは顔を食べ物に突っ込んでいなくてはならない。そして食べ物は大体足元にあるものだから、できるだけ苦労せずに顔を下に向けていられるような長い首を持つことは、強みになるのだ。

象(ランダム変異!)


 ということで、移動の迅速さと、草食の効率という、二つの有利な特性を最適化するため、そして動物が生きながらにして捕食されたり、飢え死にすることのないように(最悪の場合、その両方だ)、すべての草食性の四肢動物の首は、その脚の長さに合わせて進化した。つまり、伸びたのだ。でも、象だけは例外である(※1)。象に関して言えば、進化はまったく異なる道を辿(たど)った。脚は伸ばしたが(ちくしょう、伸ばすなら、全体を伸ばしやがれ!)、首を短いままにした。ハ? 顔を食物に近づけるのではない、食物を顔に近づければいいのだ! ハイ? そう、鼻を使うんだよ!

 ということで、象と人間は(比較的)短い首を持つという共通の特徴があり、それが僕を象に導いたというわけだ。

象と人間の首が短いという共通点。ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンス著"A Comparative View of the Human and Animal Frame"(人間と動物の骨格比較図)より。


 しかしながら、最近南アフリカに行く機会があったので(状況は上向きだって言ったろ?)、象を見たくて、ある意味当然の成り行きでサファリに行ったんだ。でも、自然のなかで象を見ると、それも(おそ)ろしいぐらいに近距離からやつらをながめてみたら、象にならばなれるのではないかと思う根拠は、どうしようもなく、想像の域を出ないものだったと気づいたんだ。そのなかの一つである、中に入り込むスペースのある大きな外骨格を作るというアイデアは、象の巨大な姿を見て、消えてなくなった。象になって暮らすという感覚を僕が本当に得るためには、僕が身につける外骨格を、最低でも大きめのファミリー向けの車のサイズにすることが必要だし、木を楽々となぎ倒すだけのパワーがなくちゃならない。これを実現しようとしたら、エンジンを積み込むことが必要だろうし、それって自動車に脚をつけることと同じではないか。それはすごく褒められるだろうし、今まで誰も達成したことがないゴールだろうけれども、僕のやりたかったことはそれじゃないだろって話で。

 

 そして象の短い首もとても大事なんだけど、あの鼻だってめちゃくちゃ重要なんだ。あんな風に機能する鼻を作ろうと考えれば考えるほど、見通しは暗くなっていった。マサチューセッツ工科大学はかつて人工的に象の鼻を作ったことがあるけれど、でも僕はマサチューセッツ工科大学じゃないし、そしてそれは圧縮空気を使ったものだった。この場合、コンプレッサーが必要になってくる。そしてそれにはエンジンも必要で、ほらほら、脚付き自動車のアイデアに逆戻りだ。たしかに車は人に自由を与えてくれるものだ。道路を走ったり、そういうことさ。でもその自由ってのも、システムあってのこと。僕は、そのシステムそのものから自由になろうとしてたってのに! だから、ガラガラ音の出る(あるいは不気味な音を出す)エンジンを搭載せねばならず(しかもガソリンを満タンにしなくちゃいけないとかバッテリーの充電をしなくちゃならないとか心配ごとだらけだ)、それってなんだかおかしいよ。動物の外骨格は、僕の力だけで動かしたかったんだ。

 そして、たとえ肉体的な問題が克服できて、なんとかして僕が象のように大きく、強くなった気分になれる外骨格を作り上げることができたとしても、象になることにはもっと重要な問題が隠れていることに僕は気づいたんだ。彼らは、あまりにも人間に似ているのだ。

 このプロジェクトのもともとのゴールは、心配事や、人間でいることの痛みから解放されることだったのに、心理的に象になることがそこまでバラ色なのかって言ったら、そうでもないんじゃないの? って思いはじめていた。

 だってさ、象って道徳を理解するらしいのだ。人間と同じで、やつらは死にゆく運命にある他の象の介抱をするんだ。死期が近く、かろうじて立っている状態の象と、その象を必死に支える象が目撃されたことがある。その死期の近い象がとうとう体を横たえ、死へと向かいつつるある時、他の象はその病気の象の口に鼻を使って草を押し込むんだ。そしてとうとうその病気の象が死ぬと、他の象たちは何日もその傍らに立ち続ける。象の家族が、死んだばかりのメスの象の亡骸(なきがら)のある場所に何日も通ったという記録もある。それは家族である象が、その象の死を(いた)んでいる姿に違いないのだ。そしてとうとう、命を落とした家族のもとを去る時には、木の葉や枝でその亡骸を(おお)うという。象の家族の行動パターンは、密猟者などによる暴力的な死や淘汰(とうた)の後、通常の状態に戻るまで数年もかかり、それは彼らがPTSD(心的外傷後ストレス)のようなものに苦しんでいるということを示している。限られた種ではあるがイルカ、チンパンジー、そしてゴリラなどは、畏敬の念を持って同じ種の遺体を扱うとされているけれど、象は人間以外で(そして絶滅したネアンデルタール人以外で)唯一、「骨」に対して儀式を行うことが目撃された種である。象は太陽光によって漂白された骨や死後何年も経過した象牙のそばを通る際、通常とは明らかに違う方法で、何か興味深いものを探し当てたときと同じように、鼻を使ってそれらをじっくりと調べたりするのだという(象以外の骨に興味を示すこともあるという)。

 そして象になるという、そもそもの僕のアイデア自体が、子供の頃に抱いていたダンボへのあこがれに、強く影響されていることに気がついた。現実には、象はとても複雑で知的な野生動物であり、恐ろしいほど力が強く、時に凶暴だ。彼らはきっといつかは死ぬという運命についても理解していて、家族単位で暮らしている(そして僕ら誰もが知っていることだけれど、家族とは終わりのないストレスと悩みの種でもある)。悲しみの感情、憂鬱な気持ち、パーソナリティ障害に、人間と同じように苦しんでいるようにも感じられる(ちょっと待てよ、実際に、ダンボのなかでもそれについては描かれていたじゃないか)。僕にはすでにこういった問題に関しては動物っぽさがあるので、象になってそれらから逃げようとすることは、実存的フライパンから、別のフライパンに飛び移るのと同じことだ。ということで、象になるというアイデアがすっかり変わってしまって南アフリカから戻った僕は、象になんてなりたくないと悩みはじめてしまった。だからパブに行って、もちろんビールを何パイントか飲んだんだ。そしたら僕の友達が素晴らしい提案をしてくれた。デンマークに住む彼女の知人で、シャーマンである人物に教えを()えと言うのだ。彼女の話をまとめると、シャーマンとは、人間と動物の関係性の専門家みたいなものらしい。ということで、デザインの上級特別クラスを教えるためにデンマークに行くことが決まった僕は、コペンハーゲンに立ち寄ることにした。

次の回へ進む

イグノーベル賞受賞! 世界があきれた爆笑実験の数々!

 

ハロー! ぼくはトーマス・トウェイツ、33歳。いい年して父親と同居、銀行からも口座の開設を断られちゃった。仲間はキャリアを得て、人生上向きなのに、今の僕には何もない。そして、これから先も……。こういう人間特有の悩みっていうのを、数週間だけ消しちゃうってどうかな!? 本能だけで生きるって楽しそうじゃない!? 人間をお休みしちゃって、少しの間、動物になれたら、すごくない!?

全部本気(マジ)でやってみた! 

四足歩行で歩きたい→ヤギを解剖して人の骨格との相同関係を研究!
草から栄養を摂りたい→草に含まれるセルロースを糖に変える装置を開発!
何も考えたくない→脳に電気ショックを与える(※よい子は真似しちゃダメ!)

世界があきれた爆笑実験の数々! 抱腹絶倒サイエンス・ドキュメント!

人間をお休みしてヤギになってみた結果

トーマス・トウェイツ/著、村井理子/訳


2017/11/1発売