高いところが好きなので、いつも上を見ながら上がれる場所がないか探している。イタリアには古い町が多く、聖堂や時計台、中世の城の監視塔など、堂々とした石造建築物が多い。どれも古く、国宝や世界遺産に指定されていて、たいていオリジナルのままの姿でそびえ立っている。掘ったり削ったりできない。上に行くには、階段があるのみ。
 そもそも大勢の人を上階に招くために建てられたものではないので、階段や通路は幅が狭く傾斜も急である。地上から天まで、縦穴のような中に螺旋状に段が並ぶ。そこを行く。狭い縦穴には、窓もない。後ろから続く人がいるので、もう引き返せない。
 それでも、上りたい。
 狭くて薄暗く、息苦しい階段を上がり詰めた先には、いったいどんな景色があるだろう。

 


 
 ヴェネツィアは、ぽうっと周囲に見とれていると、すぐに足元を掬われて身動きがつかなくなる町だ。冠水に濃霧、複雑怪奇な路地。ぬかるみや黒カビを見ながら、歩く。
 「そろそろ人も引いた頃だろうから、上ってくるといいわよ」
 私の高所好きを知るヴェネツィアの友人が、鐘塔を勧めてくれた。
 ヴェネツィア本島の北側から水上バスを二度乗り継いで行く、離島にあるという。
 長雨が上がるのを見計らって、船に乗った。

 そのトルチェッロ島は、ヴェネツィアとその周辺の干潟の中で最も古い離島である。五世紀には、もう人が暮らし始めていたらしい。
 水上バスは手前の島までは大型の船だが、乗り換えた船は船首が細く鋭く、船体の幅も狭い。甲板も、二人も立つともう窮屈だ。
 本島から遠く離れている上、水上バスの運行数が少なく乗り継ぎも面倒なため、観光シーズンを過ぎると乗船客はぐっと減る。 
 ぐんと速度を落として、船は行く。そろりそろりと怯えたように進む。あたりの風景は湿地帯に近い。船の上からでも水底がわかるほどの浅瀬が続く。葦が生え、その根本に海藻が黒く絡みついている。
 停留所を離れた途端に船長は前傾姿勢になり、前方の水面に連なる木杭を注意深く見ている。杭は、水深の標べなのである。ふつう海に浮かぶブイは、<ここより先は危険>と深さを警告するためにある。しかしこの杭は、<ここを離れると、泥にスクリューを取られて危険>と浅さを知らせるためにある。
 数人の乗客は天井の低い船室に座り、曇った窓越しに動かない水面を見ている。

 かつてこの島の周囲は、潮の流れが速く、相当の深さがあったという。東からの異国の船も、ここまで入ってきては商いをしたり情報交換をしたりしていたという。
 潮の流れが変わって、港も海路も機能しなくなってしまった。泥に船底を取られて、前にも先にも進めなくなったからである。
 栄枯盛衰。
 島に上がると、引き込みの水路が内陸へと伸びている。店は雨戸を閉め、湿地にはススキや葦が茫々と立ち枯れている。
 島の反対側の縁に着く。教会と巨大な祈祷所があった。いっしょに船を降りた人たちは、いつの間にか姿が見えなくなってしまった。
 一人で、上る。
 いったい何段くらい上がったのか。
 段が消えて坂道になり、踊り場のような空間がときどき現れる。息を整え、さあと、最後の段を上りきると、そこには360度、1600年前のヴェネツィアが広がっていた。

 

 杭を抜いては差し。
 浅瀬が迫ってくると、島に残った人たちは知らずに近づいてくる他所者たちの航路を杭を動かし欺いて阻んだのだった。
 そうして残ったものは、ぬかるみに漂う時間だけである。
 サン・マルコ広場にはないヴェネツィアが、ずっとそこに揺蕩(たゆた)っている。