さあ、年末。整理整頓、大掃除。
 イタリアも数年前から分別ゴミでの収集となったが、各自治体で規則が異なるのでややこしい。ミラノなど、ある程度の規模の都市では、集合住宅ごとにゴミを出す。建物の敷地内にゴミ収集所が決められていて、一括して住民たちのゴミをまとめて担当責任者が建物外の指定収集所へ運ぶ。担当責任者といっても住民が交替で当番になるわけではなく、たいていの建物は館内の清掃のために業者と契約しているので、ゴミ出しもその業者が引き受けてくれるのである。

 


 ただし、である。
 不燃ゴミを生ゴミと混ぜて捨てたりすると、市の清掃局は必ず発見して、共同責任として建物の住人全員に対して罰金を課す。四の五の言わせず、即、支払い通告が届く。例えばミラノでは一万円弱、と結構な額面で、ゴミの捨て間違いは高く付く。 
 大学がある町では、下宿生の入れ替わりが頻繁だ。他都市からやってくる上、親元にいた頃はゴミ出しなどしたことがない若者が多い。一人暮らしになると、まず仕分けを間違う。分別がない、とはまさにこのことか。
 あるいは、イタリアでも急増中の民泊が入っているマンションは、より悲惨である。数日ごとに利用者が入れ替わり、他都市の旅行客だけではなく外国人も多いため、そもそもゴミを分けて始末しない。
 「捨てていくのは、まだましなほう。室内にゴミを置きっぱなしにしたり、玄関口に放り出したまま、発つ客も多くて」

 


 観光客の激増で、年内に環境の改善が見られなければ世界遺産の認証を外す、とユネスコから警告を受けているヴェネツィアは、ゴミ問題も深刻である。
 路上にゴミ箱は設置されているものの、瞬く間にあふれてしまう。捨てきれないものをまわりに置いていくので、小山ができている。晴れたら腐臭がし、冠水になれば水路や運河に流れ込み拡散してしまう。ゴミ箱があるためにいっそう町が汚れてしまう、という矛盾ぶりである。
 衛生は、ヴェネツィアの死活問題である。ゴミ収集は、曜日ごとに分別内容が決まっている。観光客が大勢詰めかける中央地区は、早朝にゴミ出しをしておかなければならない。ところが中央には店舗が連なっているため、早朝にゴミ出しをするために専任を雇うか早出しなければならない。ほとんどの店が少人数でやりくりしているので調整は難しく、ゴミ出しを巡って常に市当局と揉めている。
 一般住宅のゴミは、曜日に合わせて分別ゴミを各家の玄関口に置いておくことになっている。清掃局の職員が、手押し車を引いて路地を一筋ずつゴミ袋を拾って回るのである。
 前の晩からゴミ出しをしてはならない。カモメとネズミにやられてしまうのだ。
 カモメは虎視眈々と生ゴミを狙っている。運河の上空を回旋しながら、ゴミ出しを待っている。
 出た途端、すわ、と低空飛行、超高速で突撃してくる。
 毎朝、大量に生ゴミが出る青果店の店主に、狙われないコツを教えてもらう。
 「路上に直置きしては、けっして駄目。吊るすのよ。そうしたら、突かないから」
 たかだか2、30cm持ち上げる程度で、と半信半疑で聞き、生ゴミの日の早朝、路地から路地へ偵察に歩いた。
 細い路地の奥は、ゴミ袋が直に路上に置いてある。ところが、運河前の岸壁沿いの家は、宙にゴミ袋がぶら下がっている。少しでも下げ位置を間違えると、カモメは空から直行で袋を破き、そこへ仲間も急降下してきて群がる。

 


 粗大ゴミは予約しておけば、専用船が軒下まで取りにきてくれる。有料。
 かつて離れ干潟の最西端に、ヴェネツィアで出るゴミ専用の焼却場があった。焼いては処理して、また焼いて。
 そういう不要物を埋め立ててできた島がある。その島には迷路のような路地はなく、まっすぐの道に並木が植わり、碁盤の目のような区画になっている。
 ゴミが新しいヴェネツィアを造ったのか。
 しかし考えてみれば、数世紀の死屍累々が積み重なる上に、そもそもこの町は存在しているのだった。

手前は、廃棄物を埋め立ててできた島。