いよいよ底だ。冬本番。
 北イタリアは緯度から言えば北海道と同じ位置にあるものの、地中海気候のおかげでやや平均気温は高い。とはいえ年が明けてからの二ヶ月は、厳寒への正念場である。
 <今晩、決行>
 携帯電話にメッセージが入る。
 そうか……。にんまりと、頰が緩む。
 メッセージの送り主ダリオは、名うての料理人である。

 まだバカンスから明けきらない、夏の終わり頃だったか。近所のバールには、奥に二、三人の見知った顔がいるだけだった。行くあてもない私たちはがらんどうの町での長い一日を持て余して、店に寄ってはエスプレッソ・コーヒーやらビール、カンパリソーダなどその時間帯に合う飲み物を注文し、暇を潰していた。
 「こう暑くて雨も降らないと、今年は木の実の付きが悪くなるかもな」
 カウンター仲間の一人、ダリオが独り言ちている。天変地異が心配なのか、と尋ねると、
 「いや、鍋だ」
 秋の山に植生する木の実でイノシシが太り肉になるのを楽しみにしているのだ、と返した。ダリオは、ひと冬に一度だけ、これぞというイノシシで煮込みを作ることにしているという。これまでにその煮込みを食べたことがある人たちの間では、<夢の逸品>として有名らしい。そういうわけで寒さが厳しくなってくると、
 「ダリオは来た?」
 「今年のアレは、どうなっているの?」
 店に入るなり、店主に異口同音に尋ねるのである。

 ダリオと初めてバールで同席したとき、他の客がいなくなるのを見計らって、
 「ちょっと見てもらいたいものがある」
 と、彼はリュックから筒状に巻いた布の包みを取り出した。
 包みを解くと、ずらり。果物ナイフのような小型から菜切包丁や刺し身包丁のような長くて幅広のものまで、何種類もの刃物が並んだ。
 「日本の包丁の切れは凄いよ」
 惚れ惚れしたように言った。

 


 料理人ダリオはなかなか気難しい。群れず媚びず。いつも独りで飲んでいる。けれどもイノシシを仕込むときだけは別で、ふと二、三日前にバールにやってきて、居合わせた人たちを招待する。
 今日ダリオから届いた、あたかも討ち入りの合図のようなメッセージは、イノシシの煮込みへの招待なのだった。

 バールの並びにある一軒家の厨房を借りて、ひと晩だけのレストランが開業する。もとは市内に流れ込む河川の水量の測定所だったところで、測量人が非常時に寝泊まりできるよう設えてあった。市内の河川の大半が埋め立てられ測定所としての役目が終わり現在では、諸事情で居所を失った人や家はあるものの戻るに戻れない人、さみしい人など、世の問題に寄り添う場所となっている。数名の協力者たちが交代で待機し、見守っている。地域の共有の居間、というか、皆の食堂というか。
 ダリオは旬の逸材を提げて、この<皆の食堂>へやってくる。
 ビールケースを積み重ねた上に廃材の板を置くと、食卓のできあがり。食卓につく客たちも即席で集まった高校生から老年までの男女混合、十人十色だ。
 小さな空間に、大勢が集まっている。隅に流しとコンロが数台並び、痩身のダリオが大鍋を木じゃくしで混ぜている。互いに顔見知りではあるけれど、名前も身上も知らない。祭りの屋台というよりも、厳寒の中、炊き出しに集まり皆で暖を取る、という雰囲気である。天災も人間関係の諸事情も、災いには変わりない。

 


 一脚ずつ異なる小椅子が並ぶ。子供用の樹脂製の皿があったり、ジノリがあったり。招待された人たちは一様に、ラベルのないボトルを手にやってくる。赤ワイン。やはり近所に、量り売りのエノテカがあるのだ。
 耳たぶが千切れそうな外から入ると、甘い濃い湯気が出迎える。食卓からいっせいにこちらを振り返る顔は、どれも福々しい。

 


 コートを脱ぐなり、「はい、どうぞ!」と深皿が手渡しされる。山盛りのポレンタ。ほのかなトウモロコシの匂いと湯気の向こうから、ダリオが黙々と玉じゃくし一杯の煮込みを脇へ(よそ)ってくれる。皿の底に添えた手に、イノシシの煮込みとポレンタの熱々がじわじわと伝わってくる。

 


 一人ひと瓶はいくらなんでも多すぎるのでは、と気になった赤ワインは、大半は今年のイノシシと皆の腹に収まり、残った分は来年のイノシシを煮込むまで待機しているのである。
 <皆の食堂>は、ガイドブックに載らない冬ひと晩だけの名店だ。