一年で一番寒い時期が来て、町が無彩色に沈む。ミラノとトリノ、ヴェローナにヴェネツィアはほぼ横一列に並ぶ北イタリアなのに、ミラノの冬は他都市と比べて曇天が圧倒的に多い。強い季節風が吹かないだけでもましだが、それまでカラーだった映画が突然、モノクロの写真に変わったのかと思う日がある。

 

 もう二十年近くも前になるが、京都議定書の制定に伴い各国の関係当局が環境について調べたことがあった。ミラノは欧州で最も大気汚染が酷い都市、という結果に。当時のミラノは、赤ん坊を含めた住民の一人につき一台、という自動車所有率を誇った。最先端でスピーディーな都会、というステータスのように喧伝されていた。ミラノは、厳寒で酷暑の町である。寒ければ乗り、暑くても乗る。あれば、乗る。

 歴代の市長は、なんとかして排気ガスを規制しようと、あらゆる策を講じた。ノーカーデーはもちろん、ナンバープレートの末尾で偶数の日と奇数の日で走行できる車を二分したり、歴史的中心地への乗り入れを禁止したり、車種や車の製造年により通行税を課したりして、ややましにはなったものの、相変わらず空は重く垂れたままだ。

 そういう日が続くと恋しくなるのは、うららかな日差しや青空もさることながら、緑だ。 

 「ミラノの未来は、<水>と<緑>にある」

 新生ミラノの都市計画がさかんに論じられている。遡ること2015年。万博開催にあたり、すでに市内に水路を復活させよう、という計画が持ち上がっていた。

 紀元前からミラノには、河川の支流やそれを引き込む水路があったという。中世、防衛のために濠が造成されて、以来、長らく縦横に水路が走る都市だった。ヴェネツィアのように。

 現在、円形のミラノを同心円状に走る道路は、かつての水路が埋め立てられた跡である。

 「もう一回、掘り起こしましょう」

 水が戻れば、環境も良くなる。

 「緑を増やしましょう」

 木々はミラノの肺、と論じる。

 ところが万博開催が決まるや、あちこちで大掛かりな再開発工事が始まり、老木はほとんどが引き抜かれた。名木もあったし、町の一部となっていた並木道もあった。広場からは馴染んだ木陰が消え、木の下でのお喋りや考えごと、待ち合わせ、読書が減り、日常の妙味がずいぶん消えた。大急ぎで代わりに植樹された低木が風景の一部になるまで、いったいどのくらいの年月がかかるだろう。

 自然の力を借りて省エネルギーを、というキャンペーンも続々と打ち上げられた。どれも流行りに乗った、上滑りの広告の匂いが強かった。ある日突然、人通りが多く目立つ広場前に建つ集合住宅の壁面いっぱいに、スポンサーの名前が大きく記された看板とともに、ソーラーパネルと植木鉢入りの苗木が数千個も設置されたことがあった。前を通るたびに、壁に垂直に貼り付けられた植木鉢から木々の呻き声や恨み節が聞こえてくるような気がしたものだ。ようやく木々が貼り付けにも慣れてきた頃にキャンペーンが終了し、あっという間に壁から引き剥がされて、その後の数千の木々の行方を知らない。

 ドゥオーモ広場の裾には、昔から緑地がある。現在は、外国のコーヒー専門店がスポンサーとなって緑化を担っている。昨年、いきなりバナナと椰子の木が植樹されて、「植物に対する暴力であり、ミラノの印象を損ねる悪趣味」と、町は批判した。壁に貼り付けられた木々へと連想が飛ぶ光景だった。 

 連れてこられた当初は細い幹に葉をうな垂れていたトロピカルな植物たちだったが、酷暑も厳寒も乗り越えて、もともとここで生まれ育ったかのように生い茂っている。その裏に、連日通っては土を盛り、空気を入れ、通気を考えて剪定し、肥やしで労う担当者たちがいる。

 

 最初は場違いに身を竦めていたバナナたちは、嬉しそうである。グレー一色の空に薄っすらと太陽が見えるようで、異国のコーヒーも飲んでみようか、という気になる。

 

 知らない町に着くとまず、そこの地方新聞を買い、バールに入り、タクシーで町をひと回りして、生花店と植木店を探すことにしている。どこでも、大きな劇場と病院と墓地のそばにたいてい生花店は見つかるが、住宅街に入るとそうはいかない町は多い。

 これまで訪れた中で生花店や路上の花売りが最も多かったのは、ミラノである。ちなみに、ベジタリアンの数もミラノがトップだ。

 水と緑が増えて、これからミラノ人もだんだん植物のようになるのだろうか。