南部イタリアへ行った。
 道は、一本。土日には公共交通機関が休み、という一帯である。360度、広大な農地があるだけだ。
 「最寄りの町で開催されるバーゲンに合わせて、日曜日に行きに一本、帰りに一本の臨時電車が出ますよ」
 教えられて、駅に向かった。最寄りといえども、電車で一時間半かかるという。
 朝には遅く、昼には早い日曜の時間に、駅のプラットホームで電車を待つ。逃すと大変。早めに来て待っている。乗客は私ひとりだ。
 プラットホームからは、駅前の集合住宅が見える。最上階のベランダにもう若くはない女性が出てきて、ゆっくりと洗濯物を干し始めた。次々とシーツを広げる。ベランダは三部屋分のガラス戸に面していて、その幅いっぱいに何枚も干している。敷布に上掛け、ダブルサイズにシングル。何人家族なのだろう。どれも無地で、幼子はいないのかもしれない。奥から背を丸めた老いた男性が出てきて、何か言っている。日曜日なのだ。普段は離れて暮らす娘が昼食がてら訪ねてきて、実家の家事を手伝っているのかもしれない。あるいは、年の離れた夫婦だろうか。
 女性は、奥へひっこんでしまった。
 数分もしないうちに三階のベランダにその人が現れて、もっとたくさんの枚数を干した。果たして次は、隣家に出てくるだろうか。それとも四階か。
 気になって、バーゲン行きの電車を見送った。昼を挟んで待ったけれど、洗濯干しはそこでおしまい。
 南部イタリアの駅に時間を捨てた、か。
 宿に戻ろうとしたとき、女性がベランダに出てきて干したシーツを伸ばしながらふと駅側に身を回して、目が合った。「電車に乗り損ねたのね」。あちらも見ていたのだ……。

 


 
 マドリッドにいた。夕方のフライトで発つ予定だった。
 市外の新興地区へと繋がっている路線に乗って、河川に近い駅で降りる。水際に新しいマドリッドが生まれつつある、と聞いていた。
 どちらを向いても濃厚な旧跡ばかりで圧倒される市内と違って、空の下に河川、という景色である。対岸へ行くにも河川敷を移動するにも、あまりに空間が広すぎて所要時間の見当が付かない。
 何世紀もかけて今のマドリッドが出来上がっていったように、あと数百年経てば伽藍堂のこの地区も生活が詰まった都会になるのだろう。
 歩いても歩いても、着かない。
 <どうぞ>
 声を掛けられたような気がして脇を見ると、道沿いにベンチがあった。
 やっと河川敷ができ上がり、道が通ったばかりで、人通りはまだ生まれておらず、木々の背は低い。それなのに、大賑わいになるだろう週末を待つかのように、ベンチがあるのだった。

 

 ミラノは一見、長方形で飾り気のない建物が大半で無機質な印象の町なのだが、建物の玄関門や扉をくぐってみると、先に思いもかけない風景が待っていることがある。
 訪ねたその建物には、玄関門から延々と廊下が続いている。表通りからは、各階にせいぜい二、三軒が入る中規模の建物かと思っていたが、玄関門から先の長いこと。建物の胴体が、どんどん奥へ延びている。まるで<鰻の寝床>だ。
 入り口で押した訪問先のインターフォンからは、
 「怯まずにとにかくまっすぐ進んで。そうすると中庭に出るから、そこでもう一回、呼び鈴を押してちょうだい」
 呼び鈴には名前が記されていないから、と押す番号を告げられる。
 長い廊下には窓がない。トンネルだ。
 抜け出ると、中庭というよりも広場だった。手すり付きの回廊で結ばれた建物が、四方を取り囲んでいる。これが、<ミラノ長屋>と呼ばれる集合住宅である。
 言われたまま番号を押すと門が開き、中庭から繋がる次の廊下へと入る……。
 表通りから一つ目の玄関門、廊下、中庭、二つ目の門、廊下、中庭、と四つ目か五つ目をくぐると、外環状道路沿いに面する建物に到着した。
 入る住所と出る住所が異なる怪。
 からくり仕掛けの箱に入り込んだような、不思議な訪問だった。
 「そのくらいで驚いているようでは」
 地上と同じくらいの規模で地下に逆転した町がある、と建築家から聞いた。

 辺地にも都会にも、不思議な空間がある。そこから先を越えて訪ねていっていいのか、逡巡する見えない境界線がある。先には、パラレルワールドが待っている。