安部公房の家が取り壊される! そんなニュースが舞い込んできたのが、昨年の11月半ばのことでした。年内には工事が始まると聞いて、あわててカメラマンと共に駆けつけたのが、11月の末。

 京王線仙川駅から歩いて10分ほどの丘陵の西側斜面、真正面に富士山を望む高台に、その家はありました。愛車だった真っ赤なジープが眠る車庫の脇の階段を上って、蔦の絡む玄関のドアを開けると、久しく人の気配が絶えた家の中の空気は、どんよりと澱んでいました。家というのは不思議なもので、ほんの少しの間でも人が住まなくなると、とたんにその空気が重く濁ってしまいます。まして、没後すでに20年。雨戸を開け、風を通し、たとえそれらしく片付けたとしても、作家の気配を写すことは難しいのではないか。これはとても絵にならない……というのが、正直な第一印象でした。
 しかし、家は人の記憶を失ってはいなかったようです。立ち会ってくれた家族の方々や撮影スタッフが、廊下を歩いたり椅子に座ったり、ものを動かしたりしているうちに、家はだんだん息を吹き返し、止まっていた呼吸をゆっくりと甦らせていったのです。

 最初にそれを感じたのは、大きな丸テーブルとピアノが鎮座するリビング・ルーム。特に大掃除をしたわけでもないのに、テーブルを囲む椅子に人が腰掛け、ピアノの蓋を開いて鍵盤に触れていると、澱んでいた空気が動き始めたのです。それは単に空気が入れ替わったということではなく、眠っていた家自身の記憶が、徐々に覚醒していったように感じられました。

『砂の女』『他人の顔』『箱男』など数々の傑作を生み出す拠点となった空間は、二階の書斎です。階段を上がって書斎のドアを開くと、遺品を整理した段ボール箱や紙袋が部屋中に積み上げられていました。東側の壁全面を占領する書棚の本も、作家の生きた時代とは大幅に入れ替えられたという事で、ここもまた、作家が過ごした気配を感じとる事は無理だと最初には思えたのです。それでも、段ボールや紙袋をひとつひとつ取り除いていくうちに、この部屋もまた、ゆっくりと呼吸を取り戻していきました。

 やわらかな木漏れ日が差す南側の大きな窓のすぐ下に眠っていた作家のデスクが、目を覚まします。その前に据えられた一人用のソファに胡座をかいて、作家は膝の上に置いた画板で執筆していたといいます。冷凍保存されていた空気が徐々に融け始めるように、作家の気配が部屋を満たしていくのが感じられました。
 家は、そこに生きた人の記憶を、しっかりと保ち続けていました。カメラで切り取られた空間には、まぎれもない作家の「気」が漂っています。もう二度と目にすることのできない「安部公房の創作の空間」を、その濃密な気配を、誌面でご堪能下さい。