日曜日。ミラノは空いている。この時期、学校には<白い一週間>と呼ばれる中休みがある。 雪山を楽しんで来るように、で白い休暇なのである。
 3年前に開催された万博以降、見知らぬミラノがあちこちに生まれている。時間が経って、よそよそしく周囲から浮いていた新名所も、そろそろ生活臭が出てきた頃か。いつもの日曜日よりも人通りの少ないのを利用して、訪ねてみることにした。

 


 かつては郊外の始まりだった環状道路の外側に沿って、巨大な建物が見える。正面はガラス張りで、鋭角な庇が重なり、三角の屋根へと連なっている。日本の都市部を見慣れた目にはさほどの真新しさは感じられないが、ここはイタリアなのだ。鉄筋コンクリートからふと視線をずらすと、石畳の上に石造建築が連なる古色蒼然とした景色が広がっている。

 


 灰色の空の下、枯れ枝の並木道を前に伸びるその無機質な巨大な建物の正体は、出版社直営の文化複合施設である。一階には、自社の書籍を中心にした本揃えの書店がある。道をそぞろ歩いていた人たちが、例外なく書店へと入っていく。つられて店内へ入ると、低い本棚が並んでいる。書店といえば、壁に沿って天井まで届く棚にびっしりと本が詰まっているもの。ところが、ここにはせいぜい大人の背丈ほどの高さの本棚が、いくつかの列を成して並んでいるだけだ。
 本棚の先には、ゆったりとした空間に小さなテーブルが十分な間隔をとって配してある。一人で座る人、カップルがせいぜいで、家族連れや大人数のテーブルはない。低い本棚を背景に、遅い朝のコーヒーを一杯。店内には音楽も流れていなければ、アナウンスもない。奥にあるカウンターからグラスが触れ合う音やカップを受け皿に置く音、エスプレッソコーヒーを淹れる蒸気の音が聞こえてくるだけだ。軽食も取れるようだが、煮たり焼いたり炒めたりはしないのだろう。心地よい匂いだけが、柔らかく流れている。穏やかな日曜日の朝の匂いだ。

 

 建物から出て大通りを渡ると、これといった特色のない住宅街が広がっている。目印もなく木々も植わっておらず、ここに住む人はどのようにして迷わず家まで帰るのか、と心配になるような、のっぺりした印象の区画だ。
 ところが、ここに海がやってきたのだという。
「開店したらすぐに入って」
 無表情の建物の一階がガラス張りになっていて、店内は緑や青の派手な色のセラミックタイルが床から壁に貼り付けてある。てっきり総菜屋か魚屋かと思っていたら、魚介類だけをメニューにする食堂なのだった。

 


 人がほとんどいない町の、郊外への入り口の環状道路の近くにこんなざっくばらんの店を出して、気取った人の多いミラノらしくないことこの上ない、という印象である。
 開店と同時に入ったので、店内には私一人だけだ。店員が全員で挨拶し、メニューを説明してくれる。
 全員男性。若くて、強い訛りがある。
 シチリアでもなければ、ナポリでもない。
「僕たち皆、プーリア州のポリニャーノ・ア・マーレから来たのです」
 南部イタリアの港町である。これほど美しい海岸線が、と目を疑う海の町だ。夏はもちろんのこと、真冬に訪れても絶景である。港町にある本店は、漁師から仕入れたてのネタを客の目の前で焼いたり揚げたり、そのまま生で切り身にしたり、叩きにしたりして出してきた。改まったテーブル席などはなく、紙皿を受け取ったら、そのまま海を前に埠頭に腰掛けて頬張る。
 ミラノの枯れた並木と灰色の鉄筋コンクリートの建物が並ぶ窓を前に座り、叩きたてのマグロを頬張る。チリチリと口の中で粗塩が甘味たっぷりのマグロと混じり、上からかけたアボカドを練ったソースに、シャキシャキの青いトマトの薄切り、その間に挟んであるのは、「今朝、空輸で届きました」というリコッタチーズである。 マグロが口の中を跳ね泳ぐ。それをリコッタが、穏やかになだめている。

 


 つい今しがたまで私一人しかいなかった店内には、いつの間にか入り口の外にまで長蛇の列ができている。大半の人が、通り向こうの書店の袋を提げている。
 どの人も直ちに魚を選び、生のままなのか焼くのか煮るのかを口早に注文し、番号札を貰って空いた席に嬉々として着く。たちまちどのテーブルも相席である。
 タコの天ぷらを挟んだサンドイッチを待つ間に、隣に座った見知らぬ人と雑談する。
 イギリスでは、挨拶代わりに天気の話をすると聞く。イタリア人とは、出身地の話だろう。
「僕はジェノヴァです」
 あら、私はKOBE。
「ならばお互い魚には一家言、ですね」

 期せずして、灰色の日曜日のミラノで海に会う。本と、バーチャルの南部の海に。食べながら、各人各海へ気持ちが泳ぐ。