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AI時代を生き延びる、たったひとつの冴えたやり方

 ここからしばらく、AIと英語について考えてみたい。
 AI時代は、同時に超グローバル時代でもある。現在、世界中で17.5億人の人が英語を使っている。そのうち、英語を母国語とする人口は3.9億人にすぎない。つまり、13.6億人もの人々は「外国語」として英語を活用している計算になる。
 先日、カナダ留学時代の友人(日本人である)と酒を呑みながら、こんな話をした。

友人「ウチの次期社長は帰国子女で英語がぺらぺらで、新入社員もみんな英語に堪能で、だんだん、会社の居心地が悪くなってきました」
私「Hさんだって、ふつうに英語使ってるじゃないですか」
友人「いや、私なんぞは、まさにギリギリで生き残ってるような状況ですわ」

 某大手メーカーの法務部に勤めているこの友人は、頻繁に海外の顧問弁護士とやりとりをし、海外出張も多い。端から見ると「国際派で敏腕」だが、驚いたことに、英語に苦手意識を持っており、社内で肩身が狭いのだという。
 英語は、グローバル言語としてビジネスシーンで使われているだけではない。インターネット上の情報もほとんどが英語化している。英語ができないことには、さまざまなチャンスを失ってしまう。
 だが…やがて、AIがあたりまえのように英語の翻訳をしてくれるようになるはずだ。それは、数年後? それとも、十数年後? はたして、今、大人が、英語の勉強に時間を費やすことに意味はあるのか。子や孫に英語の早期教育を受けさせるべきか否か。
 英語学習の可否は、AIがらみで、実に難しい問題だ。
 前にも触れたが、AIの円卓会議に出席したとき、こんなシーンがあった。

AI専門家「Other jobs that AI would take over, include simultaneous translator...」
同時通訳「他にAIが奪うであろう仕事としては、同時通訳者…って、ええ? わたし?(絶句)」

 多少脚色したが、とにかく、現場の同時通訳の人が「自分の仕事がAIに取って代わられる」と翻訳しなくてはいけないという、なんとも気の毒な状況であった。
 私はそのやりとりを見ていて、ああ、私の仕事もAIが持ってゆくのだなと感じた。今から10年もたつと、

『奇跡の脳』ジル・ボルト・テイラー著、竹内薫訳(新潮社)

といった本は出なくなる。そう、科学書の翻訳だってなくなるのだ。そうなったら、

『奇跡の脳』ジル・ボルト・テイラー著、機械翻訳(新潮社)

とでも明記するようになるのか。あるいは、架空のAIサイエンス作家を出版社が作り、竹内愛AI訳『奇跡の脳』とでもし、訳者プロフィールには「2024年、機械学習開始。現在、新潮社AI部門所属」などと書くようになるのだろうか。
 私はしがないサイエンス作家だが、これまでに何冊もの英語本を日本語に翻訳してきた。最近は、年を食ったせいか、ゼロから翻訳せずに、監修などの仕事にまわることが多いが、若い頃は毎日、十数時間も机にかじりついて翻訳をしていた。その方法は、学校の英語の試験に出てくる和文英訳や英文和訳の技法とは大きく異なる。
 まず、本を熟読して、全体の構造を掴み、著者の意図を理解する。その上で、ほぼ段落レベルで「著者になった気分でゼロから書き始める」のだ。自分で本を書くときには、目次や構成案を作ってから書き始めるわけだが、それと同じで、他人の本を翻訳するときも原著が目次と構成案の役割を果たすのだ。
 いま、ゼロから書き始めると書いたが、そのとき頭にあるのは漠然とした「何か」、例えばイメージであり、概念であり、その咀嚼のための時間が必要なのである。これがあると、自然な「意訳」ができあがる。
 これまで、いわゆる機械翻訳は逐語訳的で、ギクシャクすることが多かった。それは、(限られた時間で逐語的に片付けなくてはいけない英語の試験と同様)英語と日本語の間に「何か」をはさまず、直接、行き来してしまっていたからだ。
 だが、昨今のAI翻訳は、異次元へと突入しつつある。たとえば、

「An airplane is flying in the clouds.」

という英語があると、それをAIが次のような「絵」にしてくれる。

 そして、今度は、その絵だけを元に、再びAIが、

「雲の中を飛行機が飛んでいる。」

という日本語にしてくれるのだ。その際、AIは、元の英文は知らなくてもよい。つまり、ある言語をイメージに変換し、そのイメージを別の言語に変換できるのだ。そして、この「途中にイメージをはさむ」ことは、人間の翻訳家が実際に翻訳するプロセスに近いように思うのだ。
 逐語訳ではすっ飛ばしてしまう「何か」。AIは、まだ完全にその「何か」を手に入れたわけではないが、飛行機の「イメージ」は、そのための大きな第一歩にちがいない。
 科学翻訳だけでなく、近い将来、通常の英会話もAIが「何か」を介して、うまく翻訳をしてくれるようになるだろう。そこで、前に出てきた質問へと戻る。そもそも英語なんて勉強しなくてもいいのだろうか。あなたのお子さんやお孫さんは、小さいうちから英語を教わる必要がないのだろうか。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

竹内薫

たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。

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