欧州圏外の国籍を持つ人がイタリアに三ヶ月以上続けて滞在するためには、滞在許可証が必要となる。決められた書式に法って公安当局に請願し、審査を経て許可証が発行される。
 受証するには、さまざまな条件を満たさなければならない。
 滞在目的、入国後の経済保証、滞在にあたっての身元保証、それまでの人生の潔白さ、居住環境と同居人の有無、有るなら続柄と各人についての同様の詳細、そして納税するのかしないのか、等々。

 「右左の全部の指と、両手の掌、そして両手首の準備をして」
 高校を出たばかり、というような年恰好の担当警察官から告げられる。指紋を取るためだ。雑談や愛想言いの余地はなく、敬語や敬称の省略は当たり前。日本語での<てにをは>を省いた、電文のような容赦ない物言いである。それはもはや短文ですらなく数語の単語を繋げるだけのやりとりであり、何回耳にしても骨まで染み入る冷たさで、改めてイタリアでの自分の立ち位置を突きつけられるようで情けない。私は、欧州圏外からの移民である。
 2018年で私のイタリアでの居住歴は、ちょうど40年となる。大学時代にナポリへ就学ヴィザで滞在したのを皮切りに、自営業で得た労働ヴィザを経て、現在は無期限の滞在許可証を受けている。いや、受けていたはずだった。
 この十数年、イタリアの移民法は繰り返し改正されてきた。不法入国者の急増に対し、国内および欧州諸国からの強い要請で、移民の管理を強化するためである。移民とは、欧州圏外からの合法入国者を指す。私がたとえ無期限の滞在許可証を所有していても、定期審査が課されるようになったのはそういう背景による。

 さて、定期審査のために警察署に出頭している私の横には、しばらく風呂に入っていないのだろう、饐えた臭いと汚れで煤けた人が座っている。移民課の待合室は、狭くて暖房が切れている。フードを目深に被り、サイズの合わない服を重ね着して背を丸め、性別も年齢も国籍も見分けが付かない。
 「オイ、そこの。なぜいる?」
 通りがかった別の警察官が黒ずんだ人に藪から棒に問いかけると、その人は弾かれたように直立不動の姿勢になり、ポケットから紙片を出して見せた。
 「(刑務所から)出たら即刻この書類に証明印を受けないと、また連行だぞ」
 イタリア語は通じていない。
 斜向かいには、イタリア人女性に付き添われたヴェールを被った女性が座っている。束ねた書類と証明写真、パスポートを挟んだファイルを持ち、怯えた目は空を漂っている。雇い主らしいイタリア人女性は、きっと善い人なのだろう。自分とは関係のない、待合室にいる欧州圏外の荒んだ風貌の人たちにも声を掛け、手助けしようと試みるものの、誰にもイタリア語が通じない。それどころか、皆、目を合わせようとすらしない。冷え切った待合所が、さらに凍りつく。
 合法から不法、身元不詳者に自営業者、単身で待つ者もあれば幼子を抱いて並ぶ家族もいる。待合室の情景は、混沌として歪んだ今のイタリア社会の縮図を見るようだ。
 ここはイタリアであって、イタリアではない。
 そういう見知らぬイタリアが、あちこちに現れ始めている。

 選挙を前に、公共の施設を回ってみる。郵便局、病院、保健所、国立小学校、公園、市役所、駅、市営の青空市場、タバコ店、バール。
 地区や時間帯によっては、そこにいる人の過半数が欧州圏外の人たちである。利用者だけではない。看護師や介護専門家、青果店主、清掃人、貨物運搬人、運転手、ウエイトレスに料理人など、特殊技能を習得しスタッフとして施設で働く欧州圏外人が大勢いる。町の中心街にあった名店にも、いつしか屋号ごと外国人に売却したところが多い。
 「撫でてやろうと手を伸ばしたら、あっという間に腕の付け根まで食べられてしまった」
 今やイタリア社会の基軸の多くを、欧州圏外からの移民たちが支えている。それなのに、苦々しく言う人が増えたのはいつ頃からだろう。
 
 イタリア半島はずっと、他大陸から欧州への通り道だった。イタリアの歴史は、異邦人の通過の変遷史とも言えるだろう。
 異分子の通過は自然の現象のようなものであり、踏み潰されては乗り越えての繰り返しだった。イタリアが長らく一つの国家にまとまらなかったのは、常に異なるものが出入りし、各地で問題が生じては、それぞれの統治者が領土と人心も割拠して支配を続けてきたからだった。
 イタリアには、各土地それぞれのDNAがある。簡単には混じり合わないし、変容もしない。

 3月4日、上下院総選挙が行われた。開票結果を政治傾向別に色付けした地図は、まるで古代ローマから中世、近代のイタリア半島の群雄割拠時代の領土配分を見るようだ。
 今回の選挙で北イタリアを制したのは、右。
 中央イタリアは、わずかに左。
 南部は、<右も左も信じない、どちらでもない>派。
 はっきりとイタリア半島が、三つに分かれた結果となった。
 欧州他国に近い地権を生かし、第二、三次産業に恵まれてきた北イタリアは(ミラノやトリノなど)、経済的に国を牽引してきた。北の資本家たちは、斬新な改革を望まない。保身、保守、現状維持。古き良き時代のイタリアを固守してこそ明るい未来がある、とする。
 中央イタリアは(ボローニャなど)、政治理論と諸制度を生み出してきた地である。知性あっての発展だ。左が、ここを制した。
 南イタリアは(シチリア、サルデーニャ島嶼部を含む、ローマ以南)、いつの時代にも世の中から忘れられてきた。そう思う人たちが大半を占める。「右も左も嘘八百。信じられるのは大衆だけ」とアピールし票を伸ばしたのが、<どちらでもない>の『五つ星』という名の市民運動グループである。
 イタリアを三つに分けた右、左、<どちらでもない>は、明確な実証なしに減税などの公約を次々と打ち出してきた点では一致するものの、それぞれが互いを誹り合う水と油の関係だ。このあと一体どのように首相が任命されるのか、政権が構築されるのか、議会が回るのか不明である。 
 どちらでもない派の『五つ星』政党は票を伸ばしたとはいえ、上院32.2%(下院32.7%)と過半数に届かないので自動的に首相は選出されない。
 北イタリアで支持された中道右派連立も、過半数に達していない。連立の主な政党内訳はというと、広場で聖書をかざし「イタリアはイタリア人のもの」と演説したマッテオ・サルヴィーニの率いる『北部同盟』と、脱税のかどで逮捕されたが高齢のために収監を逃れた元首相ベルルスコーニが率いる『フォルツァ・イタリア』である。ベルルスコーニはいまだ支持者があるけれども、前科があるため首相にはなれない。北部同盟とフォルツァ・イタリアが手を打って統一首相候補を立てるのか、現時点では明らかではない。
 中道左派の民主党は他の小党を連ねても、中道右派連立と『五つ星』には遠く席数が及ばない。立党以来最低の選挙結果に、代表マッテオ・レンツィは引責辞任。しかし何があっても他党との連立は拒否し、野党としての今後を表明している。

選挙結果:青色は、中道右派連立。赤色は、中道左派連立。黄色は、どちらでもない派の『五つ星』党。
 

 3月23日以降、首相が選出される予定だが、前述の政党の順列組み合わせが変わる可能性も残っている。
 選挙前まで、
 「他の政党にはけっして耳を貸さない」
 独自の道を行く宣言をしていた『五つ星』だが、単独では過半数を得票できなかったのが明らかになった途端、 
 「話し合いのために、皆に門戸を開く」
 と、ルイジ・ディ・マイオ代表が発言して失笑を買った。
 しかしもしこの党が<どちらでもない>方向を変えてどこかと連立するようなことになれば、政局の流れは変わる。

 中道右派連立も『五つ星』も欧州共同体に懐疑的であり、どちらが主導権を取り政権を握ってもイギリス同様、イタリアが欧州共同体から離脱する可能性も出てくる。
 現時点で最も政権に近い『北部同盟』と連なる右派の政党は、社会的弱者を差別したり人種主義発言を繰り返している。もともと『北部同盟』は、『ロンバルディア同盟(ミラノを州都とする北イタリアの州)』という市民運動から生まれた。北イタリアから南を切り離して別国家として独立しようではないか、とスローガンに掲げて世に出てきた集団だった。名称を『北部同盟』と変更したのは、敵視し排除しようとする相手を<南イタリア>から<不法移民><難民>へと変えたからである。この選挙からは、南部での票を集めるためにロゴマークから<北部>という表記を除いている。イタリアの足を引っ張るのは外部から流入してくる異分子のせい、と臆面なく純血主義を掲げて不穏だ。
 警察署移民課で目にした空に泳ぐ目つきや、寒々しい光景を思い出す。
 「こんなことなら、ベルルスコーニのほうがまだましだった」
 中道左派の支持者すら、ボヤくほどだ。

 今イタリアという船は、自国第一主義へ、あるいはさらに狭小な郷土主義への航路を取ろうとしている。ところがこの船には、英断できる舵取りがいない。
 船頭多くして船山に登る、か。