日本が三寒四温で緩み始めた頃、イタリアはしばらく冷凍庫の中にいるような毎日だった。イタリアの北限地帯に向かう予定を変更してミラノにUターンしたのは、高速道路が凍結で閉鎖されるかもしれない、との予報が出たからだ。
 四十年ぶりの大寒波。室内に籠りきりの一週間を経て、
 「やっと開通しましたよ」
 雪解けした知らせを受け、大急ぎで訪問予定先へ向かった。
 ミラノからジェノヴァ方向に向かって、最短距離を南下する道程で行く。広大な平野部を走り抜けると、道路の両側から山々が迫り来る。アペニン山脈。イタリア半島の北端から南端までを縦に貫く、イタリアの脊髄のような山々である。山々の裾を迂回せずに、突進して切り抜けていく。向かう先は、その山奥にある。

 


 初めてその村を訪れたのは、ちょうど一年前だった。長かった冬が終わったか、という頃、偶然に村のことを知った。ヴェネツィアでの取材の数年間、あれこれと資料や情報探しを手助けしてくれた古本屋があった。まだ若い店主は物言わずだけれど客たちの話を聞くのが上手で、小さな書店で過ごす僅かな時間で客たちの話から得難い情報を得た。いくつもの耳にしたうちで、
 「山奥の小さな村で、夏になると古本市が開かれる」
 という話に強く惹かれた。店主の祖先は、その山村からヴェネツィアへやってきたのだという。本を担いで。
 「だって、昔から村人は本の行商を生業としていましたのでね」
 
 トスカーナ州とリグリア州、エミリア・ロマーニャ州が交わるあたりに、その小さな村、モンテレッジォはある。この一年間、季節を越えて、通いに通った。話に聞いた、夏の古本市にも行ってみた
 アペニン山脈から海沿いのチンクエ・テッレまでの広大な一帯は、ルニジャーナと呼ばれる。古代エジプト時代あたりから、いやもっと古くから、異邦人たちが上陸し、侵攻し、開拓し、通過していった一帯だ。
 山も海も美しいが、厳しい。鉄道は山裾でプツリと途切れ、山への道は天災で何度も崩れ落ちた。自然は便利さと発展を遠ざけ、数奇な半島の歴史を閉じ込めて寡黙だ。
 本屋の生まれた村モンテレッジォは、その真ん中にある。限界集落。住人三十二名。
 「でも新生児も小学生もいるのです」
 山々から子供たちが集まる小学校を訪ねることにした。地も果てたかと思うような先に突然、整備された道路が伸び、伝って行くと小学校に着いた。 
 校長は、長年に及ぶミラノでの教員生活の後、最後の数年を故郷で締めくくろうと村へ戻ってきたのだという。
 ヴェネツィアの古本屋の縁でモンテレッジォを知り、アペニン山脈の一帯に発する本の行商人の足跡を調べているのだ、と私は校長に息急き切って話した。
 話の途中、同席していた小学校二年生の担任教師が、
 「子供達には、山の外の世界が実感できないのです」
 ぽつりと言ったので、それなら日本の小学校と絵文通でも始めてみませんか、と口にした。
 それから、数ヶ月。良縁があって、日本のある小学校と絵文通が始まることに決まった。静かに眠っていた山が目覚めたかのように、子供達は各人十枚にも及ぶ郷里の絵を描きに描いた。

 


 山と町を往来しながら、私は本の行商人の足跡を追った。何を書いているのか、順々に山の子供達にあらすじを書いて報告した。そのうち子供達は教師といっしょに、先祖や一帯の歴史を調べ始めた。
 <祖先のことを知り、村に生まれたことが誇りになりました>
 担任の教師から手紙をもらった。

 

 本を担いで山越えをした人たちの子孫と出会う。それは、未完の長編を読み進めるのと似ていた。
 今回、雪解けの山へ向かったのは、六歳から十一歳の子供達から(イタリアの小学校は五年制)、
 「祖先について描いた絵に文章も書いて一冊にまとめることにしたので、見に来て!」 
 と、誘われたからだった。
 また、本が本を連れてきた。

 


 幼い声に囲まれて見本刷りの扉を開きページを繰るうちに、凍結していた時間が溶け、みるみる息を吹き返したようだった。山は、浅い春の新緑色だ。

 

 

2018年4月6日発売

 

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

内田洋子/著


2018/04/06発売