シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

随筆 小林秀雄

 小林先生は、今から六十年以上も前、昭和二十九年(一九五四)の初めに「読書週間」と題した文章を書き、そのときすでに本が多過ぎる、本という物質の過剰が、読書という精神の能力を危険にさらしていると言った。が、これは批評家・小林秀雄の単なる批評ではなかった、編集者・小林秀雄の苦衷の述懐でもあったのである。
 先生は、昭和十一年三十四歳の十二月、フランスの思想家アランの「精神と情熱とに関する八十一章」を訳して創元社から出したが、これが機縁で創元社に編集顧問として迎えられ、ただちに「創元選書」の刊行を提言、十三年の十二月に柳田国男「昔話と文学」、野上豊一郎「世阿弥元清」、宇野浩二「ゴオゴリ」の三点をもって創刊し、続いて横光利一「家族会議」、谷崎潤一郎「春琴抄」などの五点を刊行した。
 創刊にあたって、雑誌『文藝春秋』に載せた広告にはこう謳っている。「良書は永遠の若さに輝き、万人に必読さるることを深く欲する。如何なる新しきものよりも常に新しく、あらゆる文化の源泉となつて尽くることを知らない。良書の普及こそは身を出版に捧げる者の片時も忘るることを得ない責務である」「収むる所は真に万人の血となり肉となるべきあらゆる種類の良書であるが、これが選択には独自の立場から慎重なる検討を重ね、有名無名たるを問はず、専らその本質的価値のみによる可きことを主眼としたものである」……。  この宣伝文自体は小林秀雄の手になったものではないかも知れないが、以後、収録書目はすべて小林秀雄が「独自の立場から慎重なる検討を重ね」て決定し、昭和十八年までに百冊を刊行、そのうち柳田国男の作品は十三冊を数え、最終的には十七冊に達した。
 小林秀雄にとって、「創元選書」に良書を選んで収録することは、批評家として批評文を書くことと表裏一体だった。晩年、「信ずることと知ること」で精しく言及した柳田国男に対する批評は、これほどまでの規模で三十代から展開されていたのだが、本を出すということは、批評を書くということとは比較にならないほどに自己撞着の苦痛を小林秀雄にもたらしもした。「読書週間」でこう告白している。
 ―何んと言っても、本が多過ぎます。私は、本屋の番頭をしていますから、よく知っていますが、現代日本の大部分の本屋さんは、極めて貧しい資本を抱えながら、月々莫大な書物を生産しております。出版とは文字通り苦しい金融策なので、一方で金のやり繰りをしていれば、一方で自ら本が出来上るという仕組であり、番頭の立場からいうと、どうも書物だとか出版だとかという言葉も空しい言葉の様な感じがしております。……
 要は、出版業とは、常に自転車操業を余儀なくされる商売だというのである。そのため、出版人であるなら誰にも「真に万人の血となり肉となるべき良書」を、「慎重なる検討を重ね」て出すのだという志はあるのだが、出版業という職能の構造上、事志に反することもしばしば受容せざるを得ない、そこは小林先生にもわかっている、だが、先生が、こういう告白を通じてほんとうに言いたいのは、そうした出版業という職能の宿命的な構造を隠れ蓑にして、出すに値する本であるかそうでないかの鑑別眼、すなわち編集眼が粗雑であっても杜撰であっても、それらが野放しにされているということである。
 こうして、本が多過ぎるということによって、前回書いた、ダイジェスト版などという本来の読書を阻害するような本が現れたり、読まなくてもいいはずの専門書を強迫観念で読まされてしまう結果、学者は専門分野に閉じこめられて出られなくなったりと、本という物質の過剰が精神の能力を危険にさらしているさまを先生は指摘するのだが、さらにもうひとつ、「教養」という言葉も危険にさらされていると言う。同じく、「読書週間」からである。
 ― 一定の目的も、さし迫った必要もあるわけではないが、ただ漫然と何を読んだらいいか、という愚問を、いかに多数の人々が口にしているか。これは、本が多過ぎるという単なる事実から、殆ど機械的に生ずる人々の精神の朦朧状態を明らかに示している様に思われます。……
 続いて、言う。
 ― 一般教養を得る為にどんな書物を読んだらよいか、という本が出版されている。類書はずい分多く皆よく売れております。開けてみると、一生かかって読み切れないほどの本の数があげられている。実に無意味な事だ。一体、一般教養などという空漠たるものを目指して、どうして教養というものが得られましょうか。……
 今日、教養という言葉は、特に恵まれた一握りの人たちが、かなりの金と時間を注ぎこんで身につけた高尚な知識あるいは経験という意味で使われている。ならばせめて、その真似事くらいはしたいということで、一般教養を得るためのガイドブックがもてはやされたりするのだが、それはとんでもない勘違いだ、教養とは、そういうふうに外から採りこんで着飾るようなものではないと先生は言うのである。
 ―教養とは、生活秩序に関する精錬された生きた智慧を言うのでしょう。これは、生活体験に基いて得られるもので、書物もこの場合、多少は参考になる、という次第のものだと思う。教養とは、身について、その人の口のきき方だとか挙動だとかに、自ら現れる言い難い性質が、その特徴であって、教養のあるところを見せようという様な筋のものではあるまい。……
 そして、さらに言う。
 ―教養学部などという言葉がある。こんな言葉が現れるのは、もう教養という言葉の濫用という様な生やさしい事態ではない事を示しております。教養の意味合いが顚倒してしまったのであって、そんな野蛮な言葉使いはないと言うべきところです。……
 ふつう、「法学部」といえば法律を、「工学部」といえば工業を対象として研究する学部の意だが、そうであるなら「教養学部」は、「教養」を対象として研究する学部のことであるか。小林先生が、教養の意味合いが顚倒してしまったと言うのはここである。教養とは私たち一人ひとりが日々の生活経験によって身につけていくものであって、大学の先生に理路整然と授けてもらうような筋のものではない。しかもこの「教養学部」という名称には、学生諸君を錯覚させる落し穴がある。「教養学部」に四年間通い、所定の単位をとれば、教養が身についたことになるという錯覚である。それはもはや、「教養のあるところを見せようというような筋」の教養、つまりは似て非なる教養でしかないのである。
 ―私は、本屋の番頭をしている関係上、学者というものの生態をよく感じておりますから、学者と聞けば教養ある人と思う様な感傷的な見解は持っておりませぬ。私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きですし、教養ある人とも思われます。……
 人生に迷って、途方に暮れている人の方が教養ある人と思われます……。実際、小林先生自身が、人生に迷って途方に暮れ続けた人であった。「迷い」をどうにかして「確信」に変えようと、苦心惨憺した人であった。

(第三十八回 了)

*文中、「創元選書」に関わる事柄は、小平朝子氏「編集者としての小林秀雄」(『繍』第27号/2015年3月)に多くを負いました。記して謝意を表します。

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
   小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄と人生を読む夕べ【その8】
文学を読むIV:「西行」

4/19(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko

 平成26年(2014)10月に始まったこの集いは、第1シリーズ<天才たちの劇>に<文学を読むⅠ><美を求めて><文学を読むⅡ><歴史と文学><文学を読むⅢ><美を求める心>の各6回シリーズが続き、今回、平成30年4月から始まった第8シリーズは<文学を読むIV>です。

*日程と取上げる作品 ( )内は新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻

第1回 4月19日 西行(14)     発表年月:昭和17年11月 40歳
第2回 5月17日 実朝(14)             同18年1月 40歳
第3回 6月21日 徒然草(14)             同17年8月 40歳
第4回 7月19日 「悪霊」について(9)        同12年6月 35歳
第5回 8月9日   「カラマアゾフの兄弟」(14) 同16年10月 39歳
第6回 9月20日 トルストイ(17)       同24年10月 47歳

☆8月(第2木曜日)を除き、いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。

 ◇「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、上記の第8シリーズ終了後も、小林秀雄作品を6篇ずつ、半年単位で取り上げていきます。

小林秀雄の辞書
5/10(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

5月10日(木) 常識/経験
6月7日(木)   個人/集団
※各回、18:30~20:30

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、学問、科学、謎、魂、独創、模倣、知恵、知識、解る、熟する、歴史、哲学、無私、不安、告白、反省、言葉、言霊、思想、伝統、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌……と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

連載一覧


ランキング

イベント

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら