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考える四季

 丸太でできた小橋を渡り、足もとから目を上げて沢沿いの新緑の木々を見ると、その奥に白い滝が見えた。おや、あんなところに滝がある。まるで滝に呼ばれたかのような気さえした。けれどもその滝は音もなく、ただ水が流れているようすだけが目に入ったのである。

 私は沢沿いに登山道をたどって滝まで近づいた。近づいても、沢音はするけれども従来聞こえるはずの滝音がしない。なぜ音がしないのだろう、滝の落ちる岩の角度か、それとも水量だろうかと思いながら近づく。

 近くまで行くと、木のベンチと小さな祠があって、さらさらさら…というかすかな滝音が聞こえた。すうーっと細く、いかにも清らかな滝である。楚々としたそのたたずまいに、まろげという言葉を急に思い出す。見上げると岩の角度は垂直に近く、滝は上部の一ヶ所だけ小さくカーブしていて、あとはまっすぐに落ちている。ふつうの滝よりも水の落ちる速度がゆるやかなのは、やはり水量だろうか。

 さらに滝のすぐそばまで下りていくと、落ちた水が小さな滝壺になっていた。水に触ると冷たい。しかしとがった水ではなくまろげな手触りで、そこでもまた、まろげという言葉が思い浮かぶ。言葉とは不思議なものだ、何年も忘れていた言葉がこうして突然まろび出てくる。山の水を触ってまるいとはこれまであまり思わずにきたが、ここの水の感触はまるい。

  岩をすべり落ちてきた水の流れを間近に見ると、白く光る細かいビーズが、ゆるやかな楕円を描きながら、るるるるる…と音をなしてまろび落ちていくようである。実際はビーズではなく水滴なのだが、その小さな無数のビーズが生む純白の模様が幻のような美しさで見入ってしまう。形になったかと思えば一瞬のちに崩れ、流れていくのだから、幻といってもおかしくないのだが、とどまることのない美しさである。

 滝壺からは水が流れ出ていて、ちょろちょろいっている水音はよく聞く音色だが、流れ落ちる滝の水音は明らかに他と違う。少し離れたところからよく見ると、滝の下部で岩が一ヶ所えぐれていて、そこに水が当たってわずかに音を発しているようである。その刳れた部分がなければおそらくビーズのすべり落ちる、るるるるるという音だけかもしれぬ。

 滝の周囲の緑もいい。ちょうどヤマブキの咲く頃で、橙色の花の枝を滝にさしかけている。滝上に立つ一本の木もいい。丸く茂った明るい緑が滝口をおおい、水がすべり落ちていくのを見守るかのようである。滝の下の水際では大小の岩が転がり、小さな岩には苔が丸く生え、ネコノメソウだろうか、その上に黄色い花を咲かせている。あたりは涼やかな空気に満ち、滝を中心に皆がまどかにその場所を構成している。

  これまで滝にはとんと興味がなく、心を動かされることはほとんどなかった。現象としては断崖から水が落ちるだけのことであって、ざあざあと猛烈な音を立てて流れ落ちるようすは、勇ましくはあっても、それに対してさしたる感慨もなく、さぞや上部で水が豊富なんだろうとか、夏ならしぶきが上がって涼しくて助かるくらいの気持ちだった。そんなふうだから、例えば分岐でこちらなんとか滝と看板があってもほぼ曲がったことはない。今日も地図上からいくつかの滝があることは認識していたが、あくまでも山の地形のひとつでしかなかった。しかしこの滝は、ときが許すかぎりそのまろげな姿を眺めていたい。自分ではまったく意識していなかったけれども、美しいものはこうして向こうからやってくる。

 この滝は綾滝というそうだ。滝に興味がないがゆえに見過ごしていた登山口の看板を帰りによく読むと、綾織のように美しいことから名づけられたと書いてあった。私のビーズをいにしえの人は綾なす織物に喩えたのだろう。下山後に読んだ本によると、滝の下部のさまから、泡滝とも呼ばれるという。こちらの方が私の感覚には近い。私が滝の前で岩上をすべり落ちる水のビーズを凝視していたように、古き人も滝に顔を近づけて、現れては消えてゆく水泡に感嘆していたのだろう。表現は違っても、人はいつの時代も自然がつくりだす美しいものを同じように美しいと感じる。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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