氷雨の降る中ヴェネツィアへ行き、家を探したのは数年前の真冬だった。冠水が膝上まで及ぶ、厳しい日だった。新しい家探しは、たいてい悪天候を待って始める。厳しい条件下でも気に入れば、間違いがないでしょう。
 傘をさしても容赦なく霧状の氷雨が襟元や袖口、濡れた爪先から沁み込んで、日が暮れると共に気も沈みきった。冷え切った身体を温めようと、通りかかった美術館へ飛び込んだ。閉館寸前にやってきた私を訝しげに見ながら、
「明日、出直してきたほうがいいのでは?」
 売店の女性が声をかけた。
 かくかくしかじか。
 来訪の理由を話すと事務室へ別の館員を呼びにいき、一枚の紙を渡された。その美術館に世界各地から実習にやってくる学生たちに向けて用意した、賃貸物件の一覧だった。

 雨宿りが縁で知り合い、おかげで住まいも見つかって、以来その美術館員たちとはもう長い付き合いだ。私を含めて全員が外国人。頭数だけの国籍が揃い、皆で喋る時の共通語は標準語のイタリア語である。
 そもそも代々の地元っ子は、ヴェネツィア方言を話して標準イタリア語は使わない。ここでは、ヴェネツィアかそれ以外か、が外内を分かつ基準だからだ。いつ流されるとも知れない干潟で、利権だけを商材とする土地柄である。財を囲い込もうとするのは当然だろう。枠は狭ければ狭いほど守り易い。そういうわけで、人種のるつぼでありながら郷土主義は他のどの町よりも強い。そして身贔屓みびいきは、排他主義や人種差別と表裏一体だ。

 荘厳なファサードを誇る大運河に面した建物は、商館だったところが多い。財力と名声の看板のような役割で、 富裕族は実際の住まいを大陸側に構えてきた。干潟ヴェネツィアには、短期で滞在する異国からの取引相手と小さな暮らしを快適に回すための技を持つ、各界の職人たちが暮らした。全盛期から数世紀たった今でも、おおよそ事情は変わっていない。

 

 沈んでは浮上するヴェネツィアの建物は、固定資産であっても揺れている。脆弱な地の上に建ち、未来永劫続くとは限らない。不動な価値を保つには、莫大なメンテナンスの時間と費用がかかる。いよいよ大掛かりな手入れが必要な時がやってくると、そのまま手放す所有者が多い。重要建築物は市に寄贈されることもあるが、貰う方も手に余る。豪華絢爛が朽ちて崩れていくのもまたヴェネツィアの憂愁美、と放っておくわけにもいかない。
 大運河にほど近い商店街にあった劇場も、そういう名建築物のひとつだった。ヴェネツィアに普通の暮らしがあった頃、 さまざまな舞台で市民を楽しませてきた。
 やがて建物の老朽化で、劇場は閉鎖。持ち堪えられなかったのだろう。市役所は、異国からきた取引相手に売った。
 修復工事が始まったのを見て、地元の人々は喜んだ。 小ぶりながら堂々とした劇場は内部の装飾も美しく、足を踏み入れた瞬間から観客は芝居の中に引き込まれ、自らも舞台に立つような気分を楽しめたからだった。

 

 数年かかった工事が終わって、皆、仰天した。新しく生まれ変わった劇場のこけら落としだと信じていたのに、覆いが外れて現れたのは劇場はそのままに、中に商品棚が並んだ外国籍のスーパーマーケットだったからである。

 


 仰ぎ見るとフレスコ画が天井に広がり、石壁や梁には白々と食品を照らす照明が設置されている。聖母の視線を感じながら、タマネギや肉、トイレット洗剤をかごに入れるのは奇妙な感じだ。そうそうトイレットペーパーも切れかかっていたっけ、と手に取りかけて前方で指差す天使と目が合う。

 
 

「劇場をなぜ劇場として復活させなかったのか」
 批判が噴出した。
 けれどももし劇場として再開しても、果たして改築費用が回収できるほどの集客ができただろうか。異国からの取引相手に売り払ったほうが、理に適ったのだろう。

 空洞化するヴェネツィアは腹の中に異国を飲み込んで、朽ちて滅びない。