作りながら観て、模倣しながら実験する。この循環を、デザインとアートを並行して教える大学において実践する生活のなかで、わたしや周囲の学生は少しずつ、それぞれに独自のスタイル(作風)の萌芽を顕在化させていった。当人に固有の署名のように、繰り返しさまざまな場所に現れる、微かなパターン。たとえば、ある人はいつもとても小さなグラフィックの要素を細かくつなぎ合わせ、別のある人は特定の中間色を多めに使用する。また別の人は、画面いっぱいに長方形を引き伸ばす、といったクセを見せる。自分の場合は、文字を分解した小さな図形でいくつかのモチーフを作り、それらを大量に複製して画面を構成するということを何度も繰り返していたことを、同級生の指摘を受けて気づいた。それはほとんどの場合、意図的に築き上げた様式としてではなく、何をやっていても無意識のうちに、反復的に表れ出てしまうものである。それに各自がふとした時に気づいて、はじめて意識的になる。だから、ロールモデルを明確に持っている初学者ほど、当初は稚拙であっても、模倣を繰り返すなかで、対象と自らの差異をあぶり出すようにして、固有のパターンを獲得し、世界を表象するための「言語」を構築していく。ここには、「読むこと」と「書くこと」の興味深いシンクロニシティ(共時性)が見て取れる。さらに言えば、このことは、デザインやアートといった非言語の視覚表現に限定されることではない。

 自然言語の領域で、母国語や外国語を習得することで、世界を独自の視点で記述し、他者に伝える能力を獲得する。この学習行為によって、自らが認識し、表現できる環世界の領土が押し拡げられる。そして、世界を記述するための「言語」を自ら創作することによっても同様に、環世界は拡張されると言える。「領土化」のメタファーに沿えば、未開拓の土地にはじめて鍬を入れて、種子を蒔いて作物を育てることで、その場所が自分の認識世界に組み込まれるというイメージだ。ここでいう「言語」とは、言葉のように、言語学的な意味での新しい用語や概念の体系を指すこともできるし、視覚芸術や音楽のように非言語的なメディア(媒体)を用いて作られる作品や、プログラミングのように人工言語によって作り出される相互作用の場をも指すことができる。
 「言語」を新たに作るということは、換言すれば世界を認識する「ルール」を作り出すことである。サピア=ウォーフが唱えた言語的相対論とは、自然言語を対象にして、自然言語の数だけ異なる世界の認識論が存在すると考える立場だった。ここで、その射程をあらゆる表現行為を包含するものとして捉え直してみよう。すると、途端に世界の密度が高まって見えてこないだろうか。広く「創作」と名付けられた営為を、表現者が感知した「新たな環世界を認識するための言語構築」の作業として仮定してみれば、世界は文字通り「異世界」で溢れていると言えるからだ。世界中の少数言語を採集し、その保護と発展のための活動を行っているSIL International社が発行する『Ethnologue』によれば、今日7,097個の言語の現存が確認されている1。もちろん、既に絶滅した言語を加えればその倍以上の数になるかもしれないが、それでも有史以来、有名無名を問わずに創作された表現作品――絵画、彫刻、楽曲、演劇、ダンス、映像、ゲーム、ソフトウェア、その他あらゆる芸術の様式――は、それを遥かに超える数に上るだろう。
 芸術家や作家というような、特定の表現者のスタイル(作風)に親しむということは、その人間の世界の認識の仕方を追体験することであり、その人のなかに立ち現れている環世界に入り込むということである。そのようにしてあらゆる人が、他者の環世界に赴きながら、それに完全に同質化することなく、自らの認識論を構築する糧とする、ということを日常的に行っている。このことは、生物世界における有性生殖の仕組みによって遺伝子プールが攪拌されることにも似ている。つまり、認識論の模倣や影響を通して、結果的に異質な認識論が生み出されることによって、世界認識としての表現が進化する。言い換えれば、他者の環世界に遊ぶ過程において、個体同士の同質化を防ぎながら、新しい表現型(フェノタイプ)の発生をうながすゆらぎが生じているのだとも言えるだろう。
 他者の表現に接触する時に、そこに現れている環世界の構造が自らの世界認識の方法のなかへと染み込んでくる。このように考えれば、表現行為とは決して一方から他方に同質化を求める運動としてではなく、むしろ表現と対峙する側が異質性の森を探索し、自らのうちに取り込む(すべ)として捉えられる。

 近代的な「芸術」の制度は、芸術家という職能の仕事を通して国民(ネーション)国家(ステート)のイメージの構築とそれへの市民の同質化を図る社会的な機能として設計された。社会学者のニクラス・ルーマンは、社会の中の芸術というシステムは「美/醜」もしくは「適合/非適合」という二値的な判定の規範(コード)に従って、生成される作品を取り込んだり、排除したりすると論じた。この考え方に従えば、市民の身体に受肉化された文化の規範が、世の中の表象を「友」と「敵」に分けていることになる。大局的に社会文化を俯瞰する時には、結果的にはこの見立ては正しいように見える。
 しかし、このルーマンの考え方は現行の社会システムが基づく論理の結果を指し示しているだけで、既存の社会構造を固定化する認識論である。それは社会システム的な巨視的な観点によって、創作の現場で起こっている多様な環世界の交感のリアリティを捨象してしまっているせいで、なにかを作り出すことに寄与しない。むしろ、生物学的な観点に沿って、個々の人間が日々の生活のなかで互いの認識論を表出し合い、かつ、受容し合っているミクロなプロセスをつぶさに注視することによってこそ、多様な環世界の相互浸透が織り成す、複雑で豊穣な世界の可能性が顕在化する。

 19世紀に生まれ、20世紀前半まで活躍した遺伝学者のウィリアム・ベイトソンは、メンデルの法則の学術的価値が広く認められていなかった時代に積極的に擁護し、植物における優性遺伝の法則を動物である鶏においても確認し、「gene(遺伝子)」や「genetics(遺伝学)」などの重要な科学用語を定着させた。そして、自分の子どもをメンデルの名(グレゴール・ヨハン・メンデル)に因んで、グレゴリーと名付けた。
 グレゴリー・ベイトソンは、ケンブリッジで生物学の学士号を取得した後にシドニーに渡って言語学の講師を務めてから、再びケンブリッジに戻って1931年からは人類学のフィールドリサーチを開始するという、学際的なキャリアを積み上げていった。そして南太平洋のニューギニアに暮らすイアトムル族の人々が営む「ナヴェン」という祝祭儀式を現地で調査し、そこで得た知見を『Naven: A Survey of the Problems Suggested by a Composite Picture of the Culture of a New Guinea Tribe Drawn from Three Points of View 』(未邦訳、「ナヴェン:三つの視点によるニューギニアの一部族の文化の複合理解が示唆する問題の調査」)という本にまとめた。
 ベイトソンは、イアトムルの人々の日常的なコミュニケーションにおいて、「分裂生成(スキズモジェネシス)」と呼ぶ局面が様々な形で出現することを観察した。人間同士の関係性において、一方の行為が他方の行為を増幅するきっかけとなると、もともとの関係性の強度が増し、分裂が肥大化し、最終的には集団は成立できなくなる。このような分裂生成の機序を、ベイトソンは対称的と相補的の二つの型に分類した。争い合う男同士のように、同質的な人間の関係性は対称的であり、力が均衡するほど対立は激化したり定常化したりする。この場合は対称的な分裂生成である。他方で、親子関係や、支配者と被支配者、男女関係というように、社会的に非対称な関係性の場合には、その非対称性が強化されていくのが相補的分裂生成である。たとえば、支配者が高圧的な態度を取り、被支配者がそれに従う姿を見せれば、支配者は更に高圧的になっていく。
 ベイトソンは、このような日常的な分裂生成によって深められる対立関係をリセットするような働きをナヴェンという祝祭に見て取った。ナヴェンの儀式は、集団内の子どもがはじめて文化的な達成を果たした時に行われる。たとえば、はじめて魚を釣った時や、はじめて狩りで動物を殺した時などが文化的な達成とみなされる。この時に、母の兄弟や、それに近しい親族の男性がワウという役割を演じ、当の子どもはラウアという役を与えられる。ワウとは「姉妹の兄弟」という意味で、子どもの母親と同一化する。ラウアは「姉妹の子ども」という意味で、自分の父親の役割を演じる。だから、ワウ役の母の兄弟は、ラウア役の子どもに向かって「私の夫よ!」と呼びかけながら、女性の衣服を身に纏いながら、女性を明らかに馬鹿にするような滑稽な行動を取って、ラウアを困惑させる。そうしてナヴェンが始まると、周囲の女性たちは男性に仮装し、威張り散らしたり力を誇示したりするパフォーマンスを行いながら、誇張された男性のイメージを演じる。
 ベイトソンは、こうした子どもの成長という特殊なイベントを起点にして発生するナヴェンの祝祭が、日常のなかで進行する男女間の分裂生成にブレーキをかけ、集団内の対立構造を中和する作用があると考えた。ラウア役の子どもは一時的にせよ父親役になることで、母親との親子関係という相補的分裂生成から脱するし、ワウ役の男は義兄弟の妻に成り代わることで、兄弟間の対称的分裂生成から脱する。

 ベイトソンは分裂生成の構造をvicious circle(悪循環)と表現しているが、ナヴェンとはまさに社会的悪循環を克服するために生み出された具体的な技法であった。それが子どもと親、兄妹の間でいわば互いの環世界を交換する様式を採っていることは、言語的相対論から始まって表現を介した環世界の相互浸透を考えてきたわたしたちにとって示唆するところが大きいように思われる。ナヴェンはイアトムル族に固有の特殊な文化様式であると同時に、そこに流れる分裂生成とその克服というテーマはあらゆる個人、集団、そして社会の階層において見て取れるからだ。

 ベイトソンは『ナヴェン』を著したちょうど10年後に、ノーバート・ウィーナーやクロード・シャノン、ジョン・フォン・ノイマンらといった計算機科学者たちと共にメイシー・サイバネティクス会議に出席した。そこでフィードバックの循環によってシステムを制御するサイバネティクスの考え方に出会い、人類学と精神分析に組み込んだ後に、生涯にわたって人間、そして社会システムの分裂生成を克服する方法を探求し続けた。
 1949年から1961年まで第二次大戦の帰還兵たちの診察に従事しながら、親が愛情と憎悪という矛盾する二つのメッセージを子に向けて発信することによって自己同一性の分裂生成が起こるという「ダブルバインド(板挟み)」という現象を観察した。ダブルバインドに曝された人間が、その状況から脱することを禁止され、矛盾の両方に従うことを強制される時、自己同一性を担保する合理的なコミュニケーションの経路が閉ざされ、その結果として非合理的な妄想という別経路を採用する。この観察は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)という概念が確立されるより以前に、当時は先天的な理由に起因すると考えられていた統合失調症(スキゾフレニア)への、生育環境におけるコミュニケーションの影響を示唆する先見的な研究となったが、ここにも個人の心的システムにおけるフィードバック循環の失調というサイバネティックな認識論が見て取れる。
 1970年代には、サイバネティクスをサイバネティクスそのものに適用し、「観察されるもの」としてのシステムに、「観察するもの」としてのシステムを加えた「セカンド・オーダー(二次)・サイバネティクス」という潮流が生まれたが、そこでベイトソンは環境内の存在と環境の両方を一つの回路として包含する視野の必要性を説いた。
 メイシー会議の参加者のうち、数学者のクロード・シャノンは、情報を数学的に定量化し、機械同士の情報の交換というコミュニケーション(通信)のモデルを厳密に定義した。今日のインターネットの通信技術はシャノンが作り上げた情報理論に支えられている。それはコミュニケーションを情報の伝達と捉えることによって、ノイズは除去されるものとして見なす。制御される対象と制御する側の分裂生成は世界の非対称性を増幅させていく。しかし、ベイトソンは「情報とは差異を生み出す差異である」と表現し、あくまで差異を生じさせる関係性によって情報は異なる意味を生み出すことを強調した。この差異を生成しあう関係性で結ばれたもの同士は、片方が他方を他律的に制御しようとせずに、互いに自律的な存在として振る舞う。このようにして起こる環世界同士の交流が、生命に本来的なコミュニケーション(対話)のかたちであると考えられる。

9回目につづく


1 SIL Global Overview Publications:
https://www.ethnologue.com/ethnoblog/gary-simons/welcome-21st-edition