臨床心理学者としてのみならず、学術・文化・芸術の幅広い分野で創造的で多様な仕事を残した故河合隼雄氏を記念し、昨年始められた河合隼雄物語賞・学芸賞。第二回の今年は、物語賞に角田光代さんの『私のなかの彼女』(小社刊)、学芸賞に与那原恵さんの『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』(筑摩書房刊)が決まりました。

 小説を書くとはどういうことなのか、言葉で世界を作り出す苦しみとは何か、作家にとって最も内的で個人的なテーマをはらむ角田光代さんの作品について、選考委員の一人である小川洋子さんは選評冒頭でこう記しています。「一筋縄ではいかない小説である。作家を夢見た祖母の過去、桐島鉄治をめぐる女性たちの挫折、東京という街と時代の変遷、母親との確執、恋人との関わり、等々さまざまな物語が重層的に織り込まれている。そうしてあたかも、小説を書くことに出会った女性が自立してゆく姿を描いているかのように装いながら、そんな安易な枠組みなどやすやすと踏み越えている。そこがこの作品の魅力であり、また恐ろしいところでもある」。

 角田光代さんは「受賞のことば」の中で、この作品の出発にあった思いを、「思想ではなく、抽象ではなく、理想ではなく、大義でもない、現実と生活と身の丈を引き受けたなかで、女性はどんなふうにひとりで立つのか。立って得られるものは何か。そんなことを考えたかった」と書いています。そして、書いているうちに、「書きはじめる当初には思いもつかなかったことを考えさせられる羽目になった」とも。それはいったいどんなことだったのか。女性として、作家として、一人の人間として、物語とともに成長していくことの決意と深い意義を語ってくださった「受賞のことば」は必読です。

 学術的成果とともに世界の深層を物語性豊かに明らかにした著作に与えられる学芸賞に選ばれたのは、美術教師として赴任した沖縄で、消えかかる琉球文化の痕跡を入念に探る調査と資料収集を16年にわたって続けた鎌倉芳太郎の足跡を追った与那原恵さんの作品でした。選考委員の一人、鷲田清一さんは、鎌倉が深く交わった人々を再訪することで鎌倉という人物と沖縄が背負わされた命運を自身につながる縁と絡めて重層的に描き出した受賞作を賞賛し、選評をこう締めくくっています。「鎌倉はとにかく地味な人だった。沖縄を熱く語った柳宗悦の饒舌に比して、あまりに寡黙な人だった。が、その不器用さを、与那原さんは深く愛している。その愛し方の朴訥さに、こんどはわたしたちが与那原さんを愛しかけている」。

 著者の与那原さんが鎌倉の存在を初めて知ったのは中学2年生のときのことでした。お父さんに連れられていった「50年前の沖縄」展で、鎌倉が撮影した首里の町並の写真の圧倒的存在感とともに、言葉もなく一連の写真をじっと見つめる父の姿がまぶたに焼き付いたそうです。お父さんは首里の出身で、戦前の首里の様子をよく話してきかせてくれましたが、その展覧会から4年後に亡くなってしまいました。鎌倉の足跡を追って、沖縄の島々への旅をするなかで、与那原さんは改めて思いました。「『歴史』と呼ばれるものは、人の語りのなかにたしかに息づいている。一度は切れた糸であっても、そののちの人びとによって結びなおされ、物語は織り上げられてゆく」。まさに縁が紡ぎ上げた見事なノンフィクション。ご一読をお勧めします。