気晴らしに、近所を歩くことにした。犬と回る。嗅いだり、しっぽを振ったり、唸ったり。リードに引かれるまま、普段は通り過ぎる横道に逸れた。
 数年ぶりに曲がった道沿いに、知らない店が開いていた。飲食店らしい。間もなく夕食という時間帯で、しかも平日である。閑散とした店の軒先の、低い照明の看板だけがぼうっと夜道に浮かんでいる。
 <Il S>(これぞS)

 

 細長い店内の奥行きと並行するように、薄い板でできたカウンターが通してある。数脚のスツールと奥に二、三卓の二人掛けテーブルがあるだけで、ごく簡素だ。
 壁には、グラスとボトル。黒板には、銘柄と値段。<これぞS>は、secco(ドライな)のSか、spumante(イタリア発泡ワイン)のSか。グラス売り。店に入り、銘柄を告げグラスを空けて、帰る。そういう店らしい。
 たいてい今どきのミラノのバールや軽食店は、夕食前の時間帯になるとカウンターにつまみをずらりと並べ置く。アルコール、ノンアルコールに関わらず、飲み物を注文すればいくらでもつまんでいい。ミラノ独特の<ハッピーアワー>の習慣は、流行りだしてからもう二十年余り経つだろうか。ポテトチップスに始まり、スティック生野菜やひと口ピッツァ、肉料理などを出す店もあって、「ちょっと一杯」で立ち寄ったつもりが、いつの間にかグラスを重ねつまみ料理で満腹し、気付くと夕食ほどの時間と代金を置いていくことになるのもしばしばだ。
 ところが、<これぞS>は違った。
 飾り気のない店内同様、ぐいっと空けたら退店、の簡素さである。ピーディーに、ンプルに、か。
 「パンとハム、チーズくらいなら、お出しできますが」
 皿を受け取り奥のテーブル席に座り直す。グラスと客の出入りを見るともなしに見て過ごす。時間と光景がつまみ代わりだ。ふと、
 「……短編映画フェスティバルのことですが……」
 やってきたばかりの客にグラスを渡しながら、店員が話すのが耳に入った。まだ三十代だろう。
 二杯目を注文する際、その店員にここのオーナーなのか尋ねると、いえいえ、と笑いながら、
 「仲間四人でこの場所を借りて、夕方から深夜零時まで交替で運営しています」
 四人は大学からの友人だという。一人はミラノ大学で哲学を、もう一人はコミュニケーション学を、他の一人はボローニャ大学で演劇史、そしてあと一人は経営学を各々学んだ。卒業して、出版社の事務職や漫画の出版、販売に携わったりしてきた。大学時代のように、就職してからも四人は集まっては文化イベントの情報交換をしたり、読んだ本や見た映画について意見を交わしたりしてきた。
 ある日、いつものように賑やかに雑談していて何かの拍子に、「文芸に関わる催しを企画していこう」という話になった。
 「それで、店を始めることになりました」
 各人各様の仕事を続けながら、事情に合わせて当番制で夜、店に出る。繁華な通りから少し外れているので、地元の人が主な客だという。ミラノの南端にあるこの界隈には、昔から工芸職人や詩人や作家、カメラマン、演劇関係者など、自由業者が多く住んできた。枠や型から逃れて暮らす人が多いのは、町の外れに流れる運河のせいだろうか。店にはそういう人々が漂着しては、また流れていく。

 

 ワインを注ぐ店員に、あらためて彼の身上を尋ねると、
 「本を書いています」
 (てら)わず、いや、少し照れ気味に言った。
 どういう本を書くのか、文学とはかくかくしかじか、出版業界は不況で……、と続くわけでもなく、彼の自己紹介はそれきりだった。注ぎ終えると黙って会釈し、カウンター向こうへ入り、グラスと客の行き来の相手に戻った。客との穏やかで親身なやりとりから、ほとんどが常連らしいと知れた。
 退店する際に、店員に書いた本のタイトルを訊いた。彼はちょっと驚いた顔をし、ひと呼吸置いてから、
 「『幸せな男の死』といいます……」
 実に真摯な口調で言った。

 帰路、繁華街で夜も開いている書店へ立ち寄りその書名を告げると、すぐに見つかった。「本を書いています」と自己紹介する人は結構いるものだ。一応、訊くだけは訊いてみようか、とあまり店員の言ったことを本気にしていなかった自分を恥じた。
 その本はシチリア島の老舗出版社からの刊行で、袖には<2014年度カンピエッロ賞受賞作!>(イタリアの権威ある文学賞)と、惹句が踊っていた。奥付を見れば、第十二刷とある。
 飲んできたばかりのプロセッコ(発泡白ワイン)が、胃の奥でふつふつと小さな泡を吹く。
 薄暗いカウンターの向こうで、彼が静かにグラスと客を見聞きしている様子を思い出す。本業での稼ぎや充実感の不足を補うために、彼らは飲食店を開けたのではなかった。毎夜、簡素な板のこちらとあちらで、四人の仲間はミラノに流れる物語が流れ着くのを待っているのだった。