一冊脱稿すると、整理整頓。資料の本や雑誌、メモを端から処分している。無機質な書類の中に、セピア色の地にくすんだ色の花模様の紙が見えた。色も花柄もピントが曖昧でいかにも旧時代的なその紙は、贈り物用の包装紙である。資料には、取材先の研究者から借りた貴重な古書があった。怖々ミラノに持ち帰り、その本を携えて近所の店を訪ねた。
 「昔、大切な本はこうやってお包みに巻いてやったものでした」
 八十歳をとうに超えた老女店主は、店の台の下から花柄の包装紙を取り出しレジ前の台に広げると、古書を真ん中に置き、ゆっくりとした手付きでカバーをかけた。本の天地にぴたりと合うように紙に爪で印を付け、昔スクラップするときに使ったような刃の長い紙切りバサミで切り、折り返しをたっぷり取って本の袖を通した。
 <赤ちゃんみたい>
 思わず呟くと、老店主は花柄に包まれた、大判で分厚いその本を両手で胸元に抱き寄せて、あやすように揺らしてみせた。

 


 ジュゼッピーナの店は、ミラノの名店舗の一店だった。文具店。運河地区から南に向かって延びる大通り沿いにあり、小さく、古く、少し埃っぽかった。品揃えは流行遅れ。老夫婦が交互に店に立ち、時々二人揃うと必ず小言の言い合いになった。妻ジュゼッピーナは客から何を問われても、あっという間に品を出した。店にはレジがなく、夫が電卓を打つ。しかし妻は自分が手計算で検算してからでないと、けっして客から勘定を受け取ろうとしなかった。二人の計算が合わないのはしょっちゅうで、口喧嘩をしながら何度も計算しなおすため、順番を待つ客で店はいつも満員だった。けれども、苦情を言う人など誰もいなかった。むしろ皆、この夫婦喧嘩を楽しみにやって来るようなところがあった。腹を立てても言葉使いが荒れることはなく、ミラノの下町の風情は耳にも目にも粋で温かだった。
 「かれこれもう百年を超えますかねえ」
 今では大にぎわいの通りだが、店が開業した当時は場末で通りには他に何もなく、裏寂しかったという。運河の船着場に隣接し、陸揚げされる石や材木を加工する建具職人や石切工たちが集まった。職人たちはたいてい仕事場を住まいの近くに構えていたので、鉄打ちや木を切る音に交じって、子供達の笑い声やむずかる赤ん坊、ボールの弾む音が聞こえた。創るミラノは、人々の日常の暮らしの中にあった。

 スーパーマーケットに行けばボールペンやコピー用紙は買えるし、待つ必要もないのだが、必ずジュゼッピーナの店で買った。買うものがなくても、ガラス戸を開けて、夫婦の顔を見るだけに立ち寄ったものだった。ペン一本、封筒一枚にも、二人は丁寧に応対し、品物ごとに手書きの仕入れ帳で念入りに値段を確かめた。 
 ガラス戸を押すと、中から優しい匂いがした。大通りの喧騒は届かずしんとした店内に入ると、たちまち記憶は遠い昔に飛び、祖父母の家に遊びにきたような気がした。

 
 
 

 数ヶ月ぶりにミラノに戻り、文具店へ行った。行けば必ず会える人がいる町は、異国であっても自分の住処だ。
 店にはシャッターが下りていた。隙間から見えるショーウインドウには、クリスマス前からそのままに、新年度の日記帳やクリスマスカード、絵暦が並んだままだった。
  『都合により、しばらく休業します』
 冬が終わり春を過ぎても、店は閉じたままである。ガラス戸に貼られた、黒いマジックペンで書かれた紙がはがれた後も、ショーウインドウの中のクリスマスは続いた。 
 様子を見にやってくる人たちは多く、<あなたもですか。心配ですね>と、店の前で互いに目礼し合った。
 そして、クリスマスの装いのまま、店は解体された。
 床から天井に届く備え付けの棚は、長い年月を経て甘い蜂蜜色に変わったチーク材だった。老いた夫婦の手が届く高さまで、商品が几帳面に整理されて入っていた。古い箪笥の引き出しに、家族の持ち物がきちんと入れてあるように。
 「昔、紙は宝物でした。生まれて初めてのノートとペンを子供達に渡すだなんて、なんと有り難い商売でしょう!」
 老夫婦には、小さな客が大勢いた。
 店が解体された日に、大通りの並びにある教会でミサがあった。弔いの鐘が鳴り始めると、大通りの商店は次々とシャッターを半分下ろして喪に服した。
 
 赤ん坊をあやすように、古書を贈り物用の包装紙で包んだジュゼッピーナを思う。
 消えゆく古いミラノがある。消えて、でも残るものがある。