青木 建築では、普遍性や全体像は「構成」によってつくられるというのが、ごくベーシックな理解です。たとえば、直方体の上に四角錐が少しずれながら乗っている、というのが構成です。敷地の関係で引きがなくて、建築全体が見えない場合もありますが、それでも構成はあることには変わりないので、構成は本来的には目に見えるものではないということになります。全体像というのは、目に見えるものの背後にある包括的秩序のことで、そういうものはぼくも欲しい。でも、ぼくはそれを構成のような幾何学的なものとするのが嫌で、なんとなく感じられる「空気」として捉えようとしています。それはほとんど「匂い」に近く、構築的にはできず、ちょうど香水の職人が調合するみたいな感じで作られることになります。岡潔(※1)のいう「風景」はおもしろいと思います。ぼくには数学のむずかしいことはわかりませんが、岡潔が数学に取り組みながら「風景が見える」といったときの感じはもしかしたら、ぼくが「空気」と呼んでいるものと関係があるかもしれない。

森田 このあたりは『数学する身体』でも書きましたが、ぼくは岡潔が数学を通して語った「情緒(※2)」という概念を、情というグローバルなものと、いとぐちとして現れるローカルなものの関係として理解しています。彼が研究していた解析関数の世界は、関数のローカルな振る舞いとグローバルな性質が深く関係し合う世界ですが、部分と全体、局所と大域のあいだの関係は、数学に限らず、岡潔の生涯の研究に通底しているテーマでした。彼が編み出した方法論は、いわゆる「層(英:sheaf、仏:faisceau)」の理論に結実しますが、これは局所的な関数のデータを貼り合わせて大域的な対象を得るための道具です。全体が部分を包含しているだけでなく、部分から全体に至る道筋がある。部分から全体に至るというのは、岡潔が敬愛した芭蕉や芥川の文学にも通じる精神です。

『数学する身体』を書きながら考えていたのは、英語でいう「ランドスケープ(Landscape)」とか「サイト(Sight)」のような言葉ではなく、風景という言葉をベースに数学を語ることができないかということでした。人間に見えている風景というのは空気や匂い、行為や理解のようなものが入り交じっているもので、心は環境に沁み出していることが前提です。アンディ・クラーク(※3)などの身体性認知科学の潮流を踏まえつつ、あえて日本の言葉で数学を語ることはできないだろうかと考えました。

青木 いまの数学の体系はヨーロッパでつくられたものと思いますが、そういう数学と、森田さんが見据えている数学というのはどういう関係にあるんですか? 重なっているのか、排他的なものなのか、同時に存在し得るものなのか。

森田 ヨーロッパにおける数学は絶えず普遍性を目指し続けてきましたが、その普遍性を目指す姿勢自体は、あくまでヨーロッパの歴史に固有のものです。あらゆる文明に数学はありますが、ヨーロッパ世界ほど数学を高く評価してきた文明はほかにないと思います。数学が普遍性をラディカルに追究する学問として、哲学にも大きな影響を与え、しばしば「よく考える」ための範型として参照されてきた。

日本には和算がありましたが、和算の研究が人の生き方や認識のあり方についての革新的な哲学や思想を生んだということはぼくの知る限りではありません。常に哲学とともにあったヨーロッパの数学が日本に入って来たとき、それはかなり特異なものに見えたのではないでしょうか。岡潔はこの外来の数学を、日本古来の思考の系譜にいわば「ぎ木」して、連続化しようとしたのだと思います。

岡潔は「(ひと)の悲しみがわかる」ことこそ、「わかる」という経験の深さを直截に示すものだとことあるごとに言っていました。他の悲しみがわかるということは、悲しんでいる人を前にして、自分までもが悲しくなるということです。全体を見晴らすような知的なわかり方とは違って、全体を見晴らせないまま、自分が、自分の知りたい相手そのものになる。「松のことは松にならへ」の精神ですね。ひょっとすると、こういうわかり方からは、ヨーロッパが目指してきたような「普遍」、すなわち、「一つを目指す」というのとは違ったタイプの数学が生まれてくる可能性があるかもしれません。見晴らせるような一つの「全体」を想定しなくても、「わかる」ことはできるからです。

ありえたかもしれないもうひとつの「わかる」へ

森田 ヨーロッパがやってきたことは、数学全体を支える基礎、足場を追究することでした。デカルトはそれを「普遍数学」と呼び、記号を用いた代数学こそがそれだと考えました。そして彼は、数学の真理をあらかじめ人間精神に刻印したのは「神」だと考えていました。カント(※4)は啓蒙の時代の哲学者でしたから、神を持ち出すことなく数学的真理の必然性を説明しようとします。彼は人間の「直観」にこそ、数学的な認識の根拠があると考えた。ところが19世紀になると直観の立ち位置が揺らぎはじめます。リーマンの数学は、論理の力で直観を超えていく数学の典型です。フレーゲ(※5)はそうした新しい時代の数学を踏まえ、直観の代わりに論理によって数学が基礎付けられると考えた。そのために現代的な新しい論理学と人工言語を自力で生み出しました。しかしフレーゲの企ても、ラッセル(※6)のパラドクスに逢着して破綻します。数学の普遍的な基礎を探す旅はこのように挫折の連続でした。

現代の数学者は、数学の基礎を足元に探すより、むしろ新しい数学を生み出しながら、抽象の階梯を登ることによって普遍的な視座を手に入れようとしています。探究に先立つアプリオリな普遍ではなく、探究とともに生成していく普遍です。このあたりは先日発表した論考「『普遍』の探究」(『新潮』7月号)でも考察したテーマです。

江戸時代の和算は特殊な文脈に依存した問題を解くことを楽しんだようですが、ヨーロッパの数学は特殊性よりも普遍的な原理や方法論に向かった。しかし結果的には、現代数学はかつての和算と比べるべくもない多様性を生みました。普遍性の追究は必ずしも多様性と矛盾しないということでしょう。実際、かつては代数、幾何、解析という三つの大分野に分かれていた数学も、いまや何十もの分野で活発な研究がくりひろげられています。

とはいえ、現代の数学だけが、数学の可能性のすべてではないはずです。いまある数学だけでなく、「ありえたかもしれない数学(math as it could be)」について考えていくことは、ぼくにとって大切なテーマです。「わかる」という経験を個人に還元するのではなく、人の悲しみがわかるときのように、人と通い合う情をベースとした「わかる」を深めていくということ。そして近代の数学を形成してきたヨーロッパの言語とは違う言語、ぼくの場合は日本語で数学について考え、書いていくということ。いまのところこのあたりが手がかりです。

青木 その新しい「わかり方」からは、見えるものもちがってくるんでしょうね。そうなると、もっとコモンな、空気のような状態で理解されることを言語化できるかどうかが重要だと思います。海外で自分の作品についてレクチャーすることがあるんですが、わかってもらってないなあと感じる場合があります。それはどこでも起こりうることですが、レクチャーが終わると「いやあ、よく言ってくれました。よくわかります。私も言いたかったことなんですが、なかなかこの国ではわかってもらえなくて」と言ってくれる人がいて、だいたいそれはアジアの人なんです。何か共有している部分があるんでしょうけれど……。どれだけ言葉を持つことができるか、言語化できるかが重要だなと思います。

森田 田辺元(※7)が『数理の歴史主義展開』のなかで、「数学の歴史性と必然性はいかにして統一せられるか」という問題を提起していますが、数学が必然的であるだけでなく同時に歴史的であるというのは、外来の学問として数学に出会った日本人だからこそ切実に感じた矛盾でしょう。日本人にとってヨーロッパの数学は、まさに和算と異質な「ありえたかもしれないもうひとつの数学」として到来してきたわけです。日本は明治時代にいわば、数学という制度の崩壊を経験している。そして冒頭で述べた通り、制度が壊れるときは、新しい制度が生まれるときです。ヨーロッパがアラビア世界から数学を学んでから、近代数学の礎を築き上げるまで、数百年もの年月がかかりました。学問の制度が一つの文化のなかに根ざしていくのは、とても時間のかかることです。ぼくたちはいま、新しい制度が生成していく現場に参加することができる、とてもエキサイティングな時代を生きているのだと思います。

対談を終えて。お疲れさまでした!
 
 
 

数学する身体

森田 真生/

2018/4/27


 

※1.^1901-1978年。日本の数学者。フランス語で発表された数学論文のほか、『春宵十話』、『日本のこころ』、小林秀雄との対談『対話 人間の建設』など。
※2.^岡潔『数学する人生』(森田真生編)など参照。
※3.^1957年生れ。哲学者。エディンバラ大学教授。主著『現れる存在 脳と身体と世界の再統合』。
※4.^イマヌエル・カント。1724-1804年。ドイツの哲学者。主著『純粋理性批判』『永遠平和のために』。
※5.^ゴッドロープ・フレーゲ。1848-1925年。ドイツの数学者、哲学者。主著『概念記法』『算術の基礎』『算術の基本法則』。
※6.^バートランド・ラッセル。1872-1970年。イギリスの哲学者、数学者。1950年ノーベル文学賞受賞。主著『現代哲学』『西洋哲学史』(全3巻)『数学の諸原理』。

※7.^1885-1962年。西田幾多郎とともに京都学派を代表する哲学者。