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随筆 小林秀雄

 前回お話しした「小林秀雄に学ぶ塾」は、「小林秀雄学ぶ塾」である、「小林秀雄学ぶ塾」ではない。つまり、小林秀雄についての文学的知識をあれこれ提供する塾ではなく、よりよく生きるための生き方を小林秀雄に学ぼうとする塾である。ということは、小林秀雄の生き方を真似る、模倣する、模倣して鍛錬を積む、そういう塾である。したがって、「小林秀雄をまねぶ塾」とは言ってもらってもいい。「まねぶ」すなわち「真似る」と「まなぶ」は語源が同じと辞書にある。
 そういうわけで、小林先生の「本居宣長」を十二年かけて読む、それも先生に質問し、自ら答を見つけるという心構えで読む、こういう読み方自体、先生をしっかり真似ようとする読み方なのだが、この塾にはそうすることから二つの勉強会が生まれた。歌会と素読会とである。先生は、実行ということをよく言ったが、いずれも先生の言ったことを実行してみることで先生の教えを体得し、その教えを日常生活にも活かそうとして始まった。

 歌会は、「本居宣長」を読み始めたのとほとんど同時だった。その日の話を私が終えるやFさんという若い女性が寄ってきて、「もののあわれを知るにはどうすればいいですか」と訊いた。私は一瞬、息をのんだが、「歌を詠むことです」と答えた。前もって私にこういう答の用意があったわけではない、こうした質問を受けたことからして初めてだったが、私の耳に、「歌を詠め、歌が大事だ」という小林先生の肉声がはっきり残っていた、それがとっさに口をついて出たかたちになった。
 本居宣長の言う「もののあわれを知る」ということに関しては、むろん歌を詠むことがすべてではない。人生のどういう局面でどういうふうに知るかは、宣長が「源氏物語」を論じた「紫文要領(しぶんようりょう)」や、和歌を論じた「石上私淑言(いそのかみのささめごと)」で精しく言っていて、それを小林先生も丹念に追っているのだが、その多くはやはり歌から出発しているか歌に還ってきていると言っていい。
 「小林秀雄に学ぶ塾」の歌会は、こうしてFさんの「質問」から始まったのだが、Fさんと私の問答をすぐそばで聞いたFさんと同世代の女性Sさんがただちに塾生に呼びかけ、その日のうちに歌会が発足した。塾にはメーリングリストというものがある。これを私はデジタル時代の回覧板と称しているが、ともかくSさんとFさんはこの回覧板を活かして「メーリング歌会」なるものを立ち上げ、たちまち十人、二十人の会員を得て連日何首もの投稿でにぎわう盛況となり、まもなく会員全員が顔を合わせて「スクーリング歌会」ともいうべき本来の歌会がひらかれた。
 その席で、私はFさんから質問を受けたときのことから話を始め、そういうわけだからこの歌会は、いま日本のあちこちで行われている短歌の会とはちがって和歌の会である、短歌は現代の私たちの心を現代語で詠むが、和歌は現代の私たちの心を古語で詠む、そこのちがいをしっかり頭においてほしい、とまず言った。
 短歌と和歌、私が言った両者の区別は、どこでもそう言われているというものではない。否むしろ、私ひとりが言っていると言ったほうがいいだろう。古来「短歌」は「和歌」のなかの一様式で、『広辞苑』では長歌に対して五七五七七の五句体の歌とまず言われ、記紀歌謡の末期、「萬葉集」の初期に現れて、以来最も広く行われ、和歌と言えば短歌を指すに至ったとある。となれば私の区別は、無知蒙昧とも独断偏見とも言われかねないが、私としてはこの歌会が、「小林秀雄に学ぶ塾」の学びの一環としての会である以上、宣長が歌道に志す人たちに説いている基本の心得だけはわかっておいてもらわなければと思ったのだ。
 実のところ、私自身に歌を本格的に嗜んだり修業したりした経験はない。新潮社で「新潮日本古典集成」の編集に携り、「萬葉集」や「古今集」の歌を丁寧に読む機会に恵まれたという幸運な読者としての経験があるだけなのだが、そのおかげで小林先生の「本居宣長」を読み、宣長の「あしわけ小舟」を読みしているうち、歌は古語を用いて詠む、自分の心を古語に映す、そういうふうに詠んでこそ自分の心がはっきり見え、人に聞いてもらえる歌になるのだと強く思えてきて、少なくともわが塾の塾生諸君には、今日の新聞の短歌欄やテレビの短歌番組にあふれているツイートまがいの歌までもが小林先生の言う歌だとは思ってくれるな、それを言いたいがための「短歌は現代の心を現代語で詠む、和歌は現代の心を古語で詠む」であった。

 では、なぜわざわざ古語で詠むのか。それは、こうである。古語には人間本来の、また日本人本来の、純な真情がしっかり畳みこまれている。しかし、時代が下るにつれて人間は小賢しくもなりさもしくもなり、そうして品位の落ちた心がその時代その時代の言葉に沁み込んでいる。歌をあえて古語で詠もうとするのは、そういう末の世の薄汚れた心を古語によって洗い浄めてもらうためである。凛と張った古語の力によって、心も言葉づかいも立て直してもらうためである。
 宣長によれば、日本の和歌史上、最高峰に聳えるのは鎌倉時代にできた「新古今和歌集」だが、ではその「新古今集」のような歌を詠みたいと思えばどうするか。「新古今集」だけを手本として見るのはよろしくない、三代集、すなわち「古今集」「後撰集」「拾遺集」をよく見るのがよい、現に「新古今集」時代の名人たちは、いずれも三代集を手本にした、なかでも「新古今集」随一の歌人として、また撰者として名を馳せた藤原定家は、心を古風に染めよ、そのためには三代集を手本にせよと言った、「古今集」は「新古今集」より約三〇〇年前、「後撰集」は約二五〇年前、「拾遺集」は約二〇〇年前に成った歌集である、三代集をよく学べば、おのずから風体がよくなり、「新古今集」を髣髴とさせる歌になるのだと宣長は言っている。
 要するに、「新古今集」ほどの歌境をめざすのではないにしても、言葉は古語になじむこと、古語を自家薬籠中のものにするまで使い続けることである。その鍛錬の方法として、「本歌取り」という手法がある。これは、そもそもは「古今集」の時代に興り、「新古今集」の時代に隆盛を見た和歌の表現技巧のひとつで、新たに詠む自分の歌に古歌の一句ないし二句や発想を取り込み、自分の歌に奥行や厚みをもたらそうというものであるが、この「本歌取り」を、古語に習熟するための手段として活用しようというのである。だが、本歌とする歌は、古歌であれば何でもよいというものではない、本歌としてよいのは、ひとまず「萬葉集」「古今集」の歌と、宣長が薦めている頓阿の「草庵集」の歌のみとする…とそこまで、私は宣長の威を借りて言った。
 これに合せて、壮年男性のSさんが、定家の歌論書「近代秀歌」などから抜粋して「本歌取りの心得集」を作ってくれた。「近代秀歌」で、定家はこう言っていた、―詞(ことば)は古きを慕い、心は新しきを求め、(中略)昔の歌の詞を改めず詠みすえたるを、即ち本歌と申すなり[大意:作歌の心がけとしては、用語は古歌の言葉に慣れ親しんでこれを用いるようにし、歌の内容は作者の生きている時代の感覚や事物を取り入れて新味を出そうとするのがよい。(中略)古歌の歌詞をそのまま詠み込んだ新しい歌、これを「本歌取りの歌」というのである]…。

 先に言ったように、小林先生は「実行」ということをよく言ったが、先生の言う「実行」には先生独自の含みがあった。次のようにである。
 ―不言実行という言葉は誤解されている。言おうにも言われぬ秘義というものが必ず在るので、それを、実行によって明るみに出すという意味である。
(「ゼークトの『一軍人の思想』について」<新潮社刊「小林秀雄全作品」第14集所収>)
 先生は「歌を詠め、歌が大事だ」と言ったが、これとてもこれ以上のことは先生自身、その微妙な気味合は言おうとしても言うことができず、そこには私たちが実行してみて初めて得心できる秘義があったということのようだ。それが、歌会を三ヵ月に一度、これまでに計十九回続けてきて感じられるようになった。その秘義にふれた塾生たちの体験記を、『好・信・楽』の「もののあはれを知る」と掲げたコーナーでお読みいただける。

 素読会のことについては、次回に送らせていただくことにする。

(第四十三回 了)

★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
小林秀雄をよりよく知る講座

小林秀雄の辞書
7/5(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室

  小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
 講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
 私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。

6月7日(木) 個人/集団
※各回、18:30~20:30

参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話を各自ご用意下さい。

 今後も、学問、科学、謎、魂、独創、模倣、知恵、知識、解る、熟する、歴史、哲学、無私、不安、告白、反省、言葉、言霊、思想、伝統、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌…と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。

小林秀雄と人生を読む夕べ【その8】
文学を読むIV:「徒然草」

7/19(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko

 平成26年(2014)10月に始まったこの集いは、第1シリーズ<天才たちの劇>に<文学を読むⅠ><美を求めて><文学を読むⅡ><歴史と文学><文学を読むⅢ><美を求める心>の各6回シリーズが続き、今回、平成30年4月から始まった第8シリーズは<文学を読むIV>です。

*日程と取上げる作品 ( )内は新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻

第1回 4月19日 西行(14)     発表年月:昭和17年11月 40歳
第2回 5月17日 実朝(14)            同18年1月 40歳
第3回 6月21日 徒然草(14)          同17年8月 40歳
第4回 7月19日 「悪霊」について(9)      同12年6月 35歳
第5回 8月9日   「カラマアゾフの兄弟」(14) 同16年10月 39歳
第6回 9月20日 トルストイ(17)       同24年10月 47歳

☆8月(第2木曜日)を除き、いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。

 ◇「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、上記の第8シリーズ終了後も、小林秀雄作品を6篇ずつ、半年単位で取り上げていきます。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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