屋久島は、私が最初にフィールドワークというものを学んだところである。

1992年、大学の1回生の時だ。私の所属していた京大野生生物研究会に、当時、人類進化論研究室におられた高畑由起夫先生を通じて調査員募集の案内があった。屋久島での猿害実態調査、つまりヤクシマザルの調査である。

屋久島は鹿児島市から約130キロ、大隅半島の先端から約60キロのところに浮かぶ。直径約30キロメートル、一周130キロメートルあまりの、概ね円形の島だ。隣の種子島が真っ平らなのとは対照的に、「海上アルプス」と呼ばれるほど、山ばかりである。最高峰は宮之浦岳、標高1936メートル。この山は屋久島のみならず、九州の最高峰でもある。それどころか、九州で8位までの高さの山は全て、屋久島にある(国土地理院)。たくさんの山頂からなる大きな山地の、海上に突き出した部分が屋久島として見えている、という方が正しい。

鹿児島と奄美諸島の間に位置する屋久島は、気候帯から言えば亜熱帯に近い暖温帯だ。海岸付近にはアコウやガジュマルが生え、わずかだがマングローブもあり、野生化したバナナが見られ、冬でも気温は18度に達することがある。一方、山頂部は真冬になるとマイナス10度まで下がることもあり、降雪もごく普通にある。小さな島の中に、標高に応じて亜熱帯から寒帯までの気候が詰め込まれているのだ。

ヤクシマザルはニホンザルの亜種だが、やや小柄で、毛並みが粗くて長い。これは雨の多い島に適応して「蓑」を着たようになったのだろうと言われている。毛色もややオリーブ褐色がかっており、本州のニホンザルより暗色に見える。

 

屋久島はかつて、「人2万、鹿2万、猿2万」と言われた島だった。ヒトとニホンザルとニホンジカが同数暮らす島という意味だ。1992年当時の人口はもう少し少なく、1万5千程度だった。そしてサルは……

わからない。

そう、誰もわからないのである。そんな適当な、と思うかもしれないが、サルには戸籍も住民票もないのだ。数えようとしても数えられない。屋久島には京都大学霊長類研究所のフィールドステーションがあり、研究者らによるサルの研究が盛んだったが、それは海岸域のサルの個体群動態や行動に関する研究で、「島全体のサルの個体数を調査する」なんてとんでもない研究は誰もやってこなかった。一方、サルによる農作物への被害は深刻だ。特に果樹園が荒らされる。屋久島の主要な換金作物は柑橘類(ポンカンとタンカン)で、これが荒らされることは、農家にとって死活問題だ。有害鳥獣駆除は行われているが、被害を出すサルの分布状況も密度もはっきりわかってはいなかった。日本有数のサルの研究拠点であり、最南端のニホンザルであり、かつ、農家とサルの戦いが続く島、それが屋久島だった。ついでに言えばこの時代はまだ屋久島の認知度は低く、友人に「屋久島に行く」と言ったら「何それ無人島?」などと言われる始末だった。この島がメジャーになるのはこのすぐ後、1993年12月に世界自然遺産に登録されてからである。

1980年代に龍谷大学の好廣(よしひろ)眞一先生らがヤクシマザルの個体数を推定しようとして、「ブロック分割定点観察法」という手法を編み出し、実証してみたことがあった。これは調査地を500メートル四方のメッシュに区切り、そのメッシュの中央に定点を置いて、定点調査員が朝から夕方まで定点に座って、サルを音声および目視で探す、という方法だ。

すると、この方法はなかなか精度が高いとわかった。特に、素人でも2日ほど練習すればかなり高い精度でサルを探せるようになる、というのがおもしろい。
そして1991年、鹿児島県が猿害実態の調査を鹿児島大に依頼。鹿児島大学農学部の萬田正治先生(当時)がこの調査を率いることになったが、萬田先生は畜産が専門でサルの研究者ではない。そこで日本各地の大学に協力を打診した結果、霊長類学のドリームチームみたいな調査隊が出来上がった。好廣先生をはじめ、ニホンザルやチンパンジーの研究で有名な高畑先生、ゴリラの山極寿一先生が3トップを張り、研究者や院生クラスがドカドカ投入されたのである。

そして、3年の調査期間で屋久島全域をカバーするため、大量の調査員も手配された。「シロウトでもできる」調査なのだから、入学したての学生でも構わない。その中に、京大野生生物研究会のメンバーもいた。そして、猿害実態調査2年目の1992年、大学に入ったばかりの私も、野研の先輩に誘われて、この調査に参加した。

サルなんて見たことなかったけど。

 

で、調査の実態はどんなものかというと、だ。

朝起きて、飯を食って、弁当と調査道具を持って、定点に行く。定点は道端のこともあれば、山の中の一点ということもある。それから夕方まで、一歩も動かず、ひたすら定点に座って、サルの声を探す。鳴いたらノートとデータシートに記録し、統括者と無線で交信して「ここでサルが鳴きました」と報告する。夕方になったら帰る。以上。サルを探して歩くとか、サルがいそうなところに向かって行くという項目は存在しない。それは統括者の仕事だ。統括者はパッと見てサルの性年齢を識別する能力があり、サルを追って山を動き回っても生きて戻って来る性能を備えていないと務まらない。

脱線になるが、第二次大戦中のドイツ空軍は連合軍の夜間爆撃を阻止するため、「ザーメ・ザウ」という戦術を編み出した。地上のレーダー網が爆撃機を捉え、これをもとに夜間戦闘機を誘導して迎撃ポイントに向かわせる、という方法だ。我々が屋久島でやっていたのは、まさにこれである。

つまり、定点調査員はサルに接触することを期待されていない。もちろん向こうが定点近くに来ることもあるし、目撃したらデータを取ることも要求されている。だが、我ら下っ端の第一の存在意義は「調査域に点在する生きたサルレーダー」であり、夜間戦闘機たる追跡担当者を誘導するための情報源である。

もちろんこれを卑下するつもりは全くない。広域に情報を知るとは、こういうことなのだ。だが、「サルの調査」と聞いて、華々しくおサルさんを間近に見て調査する姿を思い浮かべていると、そのギャップに驚く。次に、やろうったって自分には何もできない、ということにも気づく。それでもデータが取れれば嬉しいが、その日のデータ全体が集積されて行く過程を見ていると、自分の確認したサルの声などというものが、どれほど小さな一コマ、情報の1ピースに過ぎないのかということも、よくわかる。

一方で、そのピースがなければ、調査は進まない。

1992年の前期後半のある日だ。もちろん私は定点にいた。その時の定点は、山肌から突き出した大きな岩の上で抜群に見通しがよく、音も通る場所だった。

その日は朝からずっと、麓の工事現場にサルの群れがいるという通信が聞こえて来ていた。地図で確かめると、私の定点からも聞こえない距離ではなさそうだ。確かに耳を澄ますと「ワー」「キャー」といったサルの叫び声が聞こえる。これをいちいちノートとデータシートに記録してゆく。

だが、しばらくして妙なことに気づいた。こちらはずっと音声を捉えているのに、トランシーバーの交信が止まっているのだ。サルが活動しているなら、班長や近隣の定点と連絡を取り合っているはずだ。それなのに、聞こえてくる通信は「サルは今どこですか」「わかりません」だけだ。

「こちら松原です、そちら、サルは鳴いていないんですか?」

「はい、この1時間あまり静かですどうぞ」

どういうことだ? サルは今も鳴いている。キャーキャーいう声が微かに聞こえているのだ。だが…… 何かが違う。何か、それ以外にも聞こえる気がする。

目を閉じ、耳に手をあてて神経を集中させる。……聞こえる。何かがずっと聞こえている。微かな、音にもならないような空気の震動だ。だが自分はこれを知っている気がする。このリズムは……

運動会の音楽やんけ!

そう思って聞くと、確かに運動会だ。今聞こえたのは多分、「みなさん、◯◯を◯◯しましょう」みたいな放送だ。慌てて地図を出すと、1キロメートルあまり向こうに小学校のマークがある。なんてこった、サルの声だと思っていたのは、これだ。あっちゃー…… これ、今朝からの俺のデータ、全部パアだよ。本当のサルの声も混じっていただろうが、子供の声と区別できないとデータにならない。

 

だが、そんなことで落ち込んではいられない。レーダーがダウンすれば探知網に穴が空き、調査精度が下がる。たとえサルがいなくても耳を澄まして、「ちゃんと聞いてましたが、サルは鳴きませんでした」と胸を張って言えなければならない。もちろん「いない」ことを証明するのは極めて難しいが、ここで言っているのは「他と同様の精度および努力量で調査をしたけれども探知できないレベルであった」という意味だ。だが、サルがいないからってボンヤリしていたら、肝心の検出精度が大甘になってしまい、調査の意味がない。

というわけで、どんなに退屈しても寝るのは御法度である。その場で軽い運動をし、小声で歌を歌い(大声はダメだ・サルを警戒させたら意味がないし、最悪、周辺の定点にまで聞こえて調査を撹乱する)、舌先で口の中をくすぐり(第一次大戦中、パイロットが眠気覚ましにやった方法だという)、あの手この手で眠気を払う。だが眠い。まだ15分しかたっていない……

そして、ハッと目を覚まして、「しまった寝ている間にサルが来てたらどうしよう?」と不安に襲われる。

サルレーダーは時に、「いない」という事実を確認するためにだけ送り出され、睡魔と戦いながら延々と座り続け、「いませんでした」という情報を持って帰還する。そして「うん、そりゃいるわけないよな」と言われるのである。これほど冷徹な現実はない。

それでも、下っ端調査員は明日も定点に向かう。いつかサルに出会う日を夢見ながら。

 

こうやって身につけたフィールドワークだが、カラスの研究をしながらふと気づいたら、だいたい同じことをしていた。カラスを目視し、追跡し、ノートに書き、地図にプロットし、ルート上を歩いて探し、森の中に定点を置いてカラスの声を探し……

どうやら、この身に刻み込まれた「ヤクザル調査隊」の7文字は、いまだに消すことができないようである。

おねむの時間です

次回につづく