さて、前回まではサル相手の修行の話だった。だがカラス屋がサルの話ばかりしても仕方ない。カラスっぽい話、せめてトリの話に軌道修正してゆこう。

 

カラスは世界に40種ほどいる。これはもちろん、進化の結果である。では、様々な品種があるニワトリの場合は? 

ニワトリは家禽、つまり人が繁殖を管理して飼育し、利用している動物だ。同時に、目的に応じて様々な品種改良が行われてきた。イヌ、ネコ、ウシ、ウマなどの家畜と同様である。

イヌの祖先はオオカミ、ネコの祖先はリビアヤマネコ、ウシの祖先はオーロックス、ウマの祖先はモウコノウマだ(と言われていたが、最新の研究によるとモウコノウマは極めて古い時代に野生化した家畜であるらしく、ウマの原種となった野生動物はもう生き残っていない可能性が高い)。そして、ニワトリの祖先は東南アジアに今も暮らすヤケイ(野鶏)である。

ヤケイには4種が知られている。セキショクヤケイ、ハイイロヤケイ、アオエリヤケイ、セイロンヤケイだ。見た目に一番ニワトリっぽいのはセキショクヤケイで、跳ね上がってから垂れる尾羽といい、首周りの赤っぽい羽といい、ニワトリそのものである。他のヤケイもニワトリの作出に関わったとする意見もあったが、現在は基本的にセキショクヤケイだけがニワトリの祖先だと考えられている。

ということで、ニワトリはただ1種。チャボもシャモもウコッケイも名古屋コーチンも、見た目が全然違えども、生物としては全部同じ種類である。同様に、斎藤工と私も、生物学的には同種である。

 

セキショクヤケイは東南アジアのジャングルにいて、下生えの中を歩きながら餌を探している、キジ科の鳥だ。餌は昆虫や種子や草など、要するにこれもニワトリと変わらない。夜明け1時間前に「コケコッコー!」と鳴くのも、ニワトリと同じである。

ただし、セキショクヤケイが鳴くのは木のてっぺんであるらしい。残念ながら直接見たことはないのだが、聞いた話では、低い枝に向かって羽ばたきながらジャンプし、次々に枝を飛び移って登ってゆくそうである。

考えてみればこれは当然で、熱帯のジャングルの地べたであんなうまそうなものが寝ていたら襲われ放題だ。ドール、ヤマネコ、トラ、ヒョウ、ジャコウネコ、オオトカゲ、ヘビ、敵は無数にいる。もちろん樹上にも登ってくる捕食者は多いが、地面よりは安全だろうし、枝伝いに逃げてしまうことも、必要なら飛び降りて逃げることもできるだろう。

この、「危険なら木の上で寝る」という習性はニワトリにも引き継がれている。奈良県にある石上神宮の境内にはニワトリがたくさん放し飼いにされているが、そのせいか、捨てニワトリが後をたたない。このニワトリたちは境内で暮らしているのだが、夜になると木の枝に向かってバタバタと飛び上がる。ニワトリは飛べないと思うだろうが、翼をばたつかせれば、高さ1、2メートルはジャンプできるのだ。これはなかなか、侮れない能力である。少なくともイヌでは手出しできない高さまで簡単に行ける。もちろん、石上神宮に捨てられたニワトリの中には上手に飛べない個体もいたのだろうが、多分、あっという間にイヌか何かに食われてしまって、飛べるやつだけが残っているのだろう。

 

さて、この「○○できるやつだけが残る」というのは、自然選択の基本だ。生き残りやすい形質を持った個体は、そうでない個体に比べて多くの子孫を残せる。その生き残りやすい形質が遺伝する場合、子孫もやはり生き残りやすくなる。かくして、子孫を多く残せる形質を持った方が主流派になってゆく。これが進化だ。

人為的な品種改良は人工的な進化に他ならないのだが、ただ一つ、「子孫を多く残せる」の条件が違う。この場合は、人間が必要とする能力を持ったものを残す。だから、やろうと思えばどんな淘汰をかけることも可能だ。極端に言えば、自然状態では絶対に進化しないような形質を持たせることもできるし、実際にやっている。私たちが日常的に食べる卵、あれを産むニワトリが、その実例である。

採卵用のニワトリである白色レグホンは、年間300個もの卵を産む。だが、卵とは、ある程度産んだら抱いて孵化させるべきもののはずだ。つまり、卵を産むという行動にはどこかで歯止めがかかる。でないと体力がもたないし、産卵を開始することもできない。

ところが、採卵用のニワトリは就巣性、つまり、卵を抱いて孵化させる習性を失っているのである。だからこそ、「産卵をストップさせて抱かなければ」という歯止めがなく、いくらでも卵を産み続ける。この形質は突然変異によって生じたものだが、野外では絶対に広まらない。広めようにも、その習性を受け継ぐ子孫が生まれないからである。卵を人間が人工的に孵化させるからこそ、受け継がれているのだ。

品種改良と自然淘汰の生物側のメカニズムは同じなのだが、人間が介入することで、生物としては致命的に不利な進化も加速することができる。そこが大きな違いである。

 

ニワトリの品種改良はいくつかの方向性があった。ニワトリの品種には、実用性から離れたものがしばしばある。闘鶏用、愛玩用の他、「鳴かせるため」というものもあった。「鳴かせる」というのは古代においてはむしろ重要で、ニワトリは時を告げる鳥であり、夜明けを知らせ闇と魔を祓う鳥であった。だから、大きな声で長々と鳴いてくれないと、ニワトリの役目を果たせないのである。

ちなみに現在、日本語でニワトリの鳴き声は「コケコッコー」だ。英語では「コッカドゥードゥルドゥー」、横文字で書くと「Cock a doodle doo」で、「進めマヌケな雄鶏」くらいの意味になる。イタリア語ではココリコ、フランス語ではコッケリコ、ドイツ語ではキッキレキ、ロシア語ではクカレクー、中国語でコーコーケー。

「コケコッコー」も明治時代以後の聞きなしで、日本でも古くは「かけろ」と鳴くことになっていた。確かに「かっけろぉぉぉ〜〜」と聞こえないこともない。他に「とうてんこう」とも聞きなされた。漢字では東天紅と書き、「東の空が赤く染まる」つまり夜明けのことだ。ニワトリ一般のことも東天紅と呼ぶことがあった。ややこしいことに東天紅という、特定の品種のニワトリもある。この品種は長鳴鶏の一種で、鳴き声をどれだけ長く引っ張れるかを競うためのものである。鳴き声は3音節で、「コッケコォーーーーーーーーー」みたいに聞こえる。最後を長く伸ばすのが特徴だ。時に20秒も引っ張る。無理に聞きなせば「東天紅ォーーーーー」と聞こえないこともない。

長鳴鳥の品種としては他に声良(こえよし)と唐丸(とうまる・蜀丸とも)がある。声良は東天紅よりさらに低く、地を這うように「コッケコォーーーーーー」と鳴く。唐丸も「コッケコォー」だが、声が高い。

ちなみにカラスが鳴くことを英語ではCawingという。英語では「カウ、カウ」と鳴くイメージなのだろう。シートンはアメリカガラスの鳴き声を音符で表し、音は「ka」と表現している。バーンド・ハインリッチという研究者の本では、ワタリガラスの音声は「crack! crack!」や「小爆発の連続のような声」と表現されている。もっともワタリガラスの音声は日本語でも表現しようがないくらい、むちゃくちゃに多彩である。私が聞いただけでも、オットセイみたいな「アオッアオッ」とか、トライアングルを打ち鳴らしたような「カカカカン」とか、信じられない声がある。一番有名で特徴的なのは「カッポンカッポン」とか「カポカポ」と聞こえる、金属的に響く声だ。

英語で鳴き声がちゃんと表現されている鳥というと、チカディーがある。チカディーはシジュウカラの仲間で、見た目はコガラによく似ている。鳴き声は英語で「チッカディー・ディー・ディー(chickadee-dee-dee)」と表現される。もっとも、アメリカの研究者に実際の音声を聞かせてもらったところ、私の耳には決してそうは聞こえなかった。カタカナで書けば「ツピツヂーヂーヂー」で、前半はコガラやヒガラ、後半はヤマガラの声に似ている。

 

闘鶏用のニワトリは大きく強くが目的だが、逆に、小さくかわいくを目的としたのが、愛玩用の品種だ。その中で、日本で極端に発達したのがチャボである。

チャボは日本のkawaii文化の先駆けみたいな品種だ。小さくて、丸くて、尻尾はピンと立った剣尾。白、黒、碁石、赤笹など様々な色合いのものが作出されている他、尾が短い品種もある。

チャボが盛んに品種改良されたのは江戸時代だ。江戸の後半になると余裕が出て来たのか、花や金魚の品種改良が流行した。裕福な町人の他、武家もこういった「変わり種」を作って贈答品にしている。武家屋敷でお侍があのカワイイ系のチャボを飼っていたのかと思うと、それはそれでカワイイ。

 

カラスにはもちろん、品種改良はない。彼らは野生動物であり、生きてゆくのに必要な進化はあっても、生きているのに邪魔っけな進化はしない。

エチオピアにいるオオハシガラスはなんともわけのわからない、ワイヤーカッターのように高さのある嘴をしている。彼らは大型動物の食べ残しを漁る鳥で、住んでいるところが乾燥した高原だから他の餌が少なく、おまけにハゲワシやヒゲワシという自分より大きな死肉食性の鳥までいる。

ヒゲワシとは聞いたことがないかもしれないが、口元に長い黒い毛状の羽毛があり、八の字ヒゲみたいに見える猛禽である。翼を広げると3メートルもあるくせに、骨を拾っては落として割って髄を食べるというおかしな鳥だ。死肉食の順位から言えばカラスは下っ端だが、皆が食べ終わるまで待っていても、このヒゲワシが「その骨もらうね」と分捕ってしまう。

となると、丸ごと持ってゆかれる前に、大きな骨から素早く肉を引きちぎらなくてはいけない。おそらく、そのための不似合いなほど巨大で頑丈なツールが、オオハシガラスの嘴だ。

もっとも、ニューギニアのオオフウチョウ(極楽鳥とも呼ばれる、この世のものとは思えない派手な鳥)のように、どう考えても邪魔にしかならない飾りを持った鳥もいるが、あれはメスを呼ぶためであり、飾りがなければ子孫が残らないのだから仕方ない。自分が生き残っても子孫が残らなければ進化は起こらないのである。

フウチョウなどの邪魔そうな飾りについては、ハンディキャップ仮説という説も唱えられている。オスは邪魔な飾りをつけたまま生き延びて見せることで、「僕はこんなハンディがあっても大丈夫なんですよ」とアピールすることができる、という考えである。まあ、異性にいいトコ見せようと背伸びする気持ちは、哺乳類霊長目ヒト科の我々にも、わからなくもない。あそこまでやる気は毛頭ないが。

それを考えると、カラスはどうも飾りっ気のない鳥である。きれいな飾り羽もなければ、複雑な鳴き声もない(カラスの音声は多彩なことはあるが、複雑な歌にはならない)。だが、若いカラスの群れにははっきりした順位があり、上位のオスはよくもてるし、上位のオスを巡ってメス同士にも争いがあることが知られている。彼らは集団で社会を作っているからこそ、メンバーの力量をよく知っている。だから、一見さん相手に第一印象を競う必要がない。問題は中身と順位なのだ。

カラスの世界はシンプルな実力勝負、戦って勝って生き延びた奴が強いということになっているらしい。

スマホに変えようかな