子どもを持つというのは不思議な体験だ。ただその存在によって、自分というものを規定している空間的、そして時間的な境界が融解しはじめる。彼女が新しくなにかを学ぶ様を見て、自分が何十年も前に学んだプロセスが喚起される。同時に、彼女が時代と向き合うなかで獲得するであろう独自の感覚について、いつか自分が教えてもらう時が来ることもわかっている。自分にとって常に未来でありながら、どことなく懐かしい存在と、同じ現在という時間を共有している。
 子どもはまた、気づいたら路上で口ずさむ、昔から知っている歌のようでもある。見知らぬ場所にはじめて一人で訪れる時、そこに子どもがいたら何を感じるだろうか、という思いがよぎる。そこから帰路につく時も、子どもの表情がまるで道標のように意識のうえを漂う。
 そうして、ふとした日常の瞬間のなかで、未来の子どもの像がちらちらと浮かび上がるようになる。その時、「わたし」は背景に融け込み、まるでもうこの世にいない亡霊のように、遠いところからただ彼女の生きる様子を眺める存在に成り果てている。自分という存在の重みから解放されて空っぽになる、それでいてなんとも充足した心地に包まれるのである。
 こんな感覚を日常的に生きられるようになるとは、娘が生まれるまでは想像だにしなかった。ただし、今のように子どもと暮らす以前からも、時として他者との境界が曖昧に感じられる瞬間があったことも思い起こされる。たとえば、友人と酩酊して、とめどもなく会話を交わしている時。逆にまったくのしらふの時でも、たとえば聴衆のいる公の場での対談などの際に、相手との応酬が全く行き当たりばったり(ad hoc)に交わされる時。そのような時には決まって、お互いが何を話したかをよく覚えていなかったり、覚えていたとしても、その内容を相手が言ったのか、または自分が言ったのかが定かではなかったりする。両者に共通しているのは、話に一本の筋を通さなくても済むことが相手と了解できているということであり、つまりは脱線を許容し合える場合である。

 言語教育学者の水谷信子は、日本に留学に来ている学生たちの日本語習得のプロセスを観察し、日本語の自然な会話を構成する要件として、「共話」が行えること、を挙げている。共話とは、複数の話者が互いのフレーズの完成を助け合いながら進められる会話の様式を指す。
 A:「今日の天気さぁ」
 B:「うん、本当に気持ちいいねぇ」
 たとえばこんな何気ないやり取りに共話の特徴が見て取れる。まず、Aは未完成のフレーズを宙に放り投げており、それをBが受け取って、完了させている。この際、「気持ちいいねぇ」という結論にAが同意するかどうかは重要ではなく、あくまでBがAの意を受け取ろうとしている点が特徴的である。次に、「天気が気持ちいい」における「天気」という対象語をもBはAから受け継いでいる点。さらに、細かい点であるが、あいづちである「うん」から受け継ぎを開始している。
 水谷の観察によれば、どれだけ日本語の文法や語彙をマスターしていても、共話が行えない学生は日本人とスムーズな会話が行えない。最初から最後まで、文句のつけようがない完璧なフレーズをまくしたてても、文法的には間違いはないが、日本語の会話としては自然ではない。それよりも、途中のフレーズを未完成のまま相手に委ねたり、あいづちを打たせる隙を与えたりする話法を習得する留学生は、ネイティブな日本語の会話を展開できるようになるという。
 興味深いことに、一般的な会話の中のあいづちの量を、日本語と英語、中国語で比較した実験がある。この場合のあいづちとは、「ええ」「はい」「うん」といった発話的なものもあれば、首肯などのジェスチャーも含まれるが、日本語の会話におけるあいづちの量は英語と比べて2.6倍に達し、首肯の量は3倍に上るという研究結果がある(Maynard, 1986; メイナード, 1993)。
 水谷は、あいづちを「話の進行を助けるために、話の途中に聞き手が入れるもの」と定義している。精選版日本国語大辞典(小学館)に拠れば、「鍛冶などで、師の打つ間に、弟子が槌を入れること。また、互いに槌を打ち合わすこと」とある。そこから「相手の話に巧みに調子を合わせること」という意味が派生したように、日本においては一種の技巧(テクニック)として認知されていることがわかる。
 日本語を学ぶ留学生たちにとってこのあいづちが問題となるのは、たとえば英語の場合では安易にあいづちを打つと「応」や「賛成」の意味として受け止められることが多いからである。笑い話のようだが、アメリカ人が日本人と会話していてずっとあいづちを打たれていたのに最終的に意見が異なる場合は、裏切られたと思う人もいるらしい。また、あいづちは発話が未発達な子どもを勇気づけるために打つものという考えもあり、大人相手にあまり執拗にあいづちを打つと、子ども扱いされたと気分を害する場合もある。日本では、文の後半をあえて省略して相手にその完成をゆだねることによって、ともに文を作る共話的な態度が歓迎されるのに対して、英語の習得の際にそのような話し方をしていると「稚拙」と評されてしまうということは、ただの表面的な文化差であるよりも、「個人」の認識論に深く影響を及ぼす差であるように思える。

 仏語を覚えたての頃、娘はよく主語を抜かした仏語のフレーズで話しかけてきた。習ったばかりの単語を組み立てて、お腹が空いた、とか、おもちゃで遊びたい、といったことを訴えかけてくるのだが、いずれも主語が抜け落ちていて、わたしは非常に不自然な仏語である印象を覚えた。娘はいちいち「わたしは」と主語を置かなくても意が通じる日本語の話法のまま話してもいいと思ったのだろう。その度に「自分は、という意味のjeと、動詞をつけないと駄目だよ」と教えながらも、もしも逆に日本語で常に「わたしは」と付けて話したらどんなに奇妙に響くだろう、と思った。それは客観的には非常に微細な違いだが、話しているもの同士の関係性の在り方に影を落としている。コミュニケーションそのものの中に生じる、一緒に会話を構成しているという感覚の度合いが異なるような気がしたのだった。

 もちろん仏語であろうと英語であろうと、共話的な会話は可能だし、実際につぶさに観察すれば例はたくさん見つけられるだろう。それは日本語においてはより顕著である、つまりは「程度の問題」なのだが、量的な差異が質的な差異に転じるということもある。
 水谷は、日本語にかくも多く使われるあいづちや共話の構造について、その社会的効能を考察している。たとえば、「とか」「たりして」のような未完成の末尾を指して、「若い人たちも仲間のあいだでは仲間的な、『共話』的な話し方をしている」と書き、次のように述べている。

 「気が楽、全部言わなくてもわかってくれる相手がいることは、心を暖かくする。同じ気持ちの人間と一緒にいることは心強いことである。共話が通じない相手と話をするのは、気が重い。こたつに入っていると、外へ出ていくのが面倒になるのと同じである。」
 「共話的な話し方が可能にする、ぬくぬくとこたつでくつろぐようなコミュニケーションが、現代人の精神生活をどんなに支えているか、計り知れないものがある。」水谷(1993)

 誤解のないように断っておくと、水谷は決して共話が対話に勝るとか、日本語が諸外国語より優れている、などということは一切主張していない。主張を積み上げて議論を構築する時に、共話的に話してしまうと話がまとまらないだろう。AとBがターンテークし、それぞれの論証の差異が明確な対話(dialogue)の方が、定まった主題を論じるためには効果的であるように考えられる。だから、対話と共話は対立項ではなく、それぞれ別々の目的に適している話法であるといえるだろうし、対話のなかに共話的な瞬間が顕現したり、逆に共話から対話に発展する場合もあるだろう。
 まとめると、共話とは互いの発話プロセスを乗っ取り合う話法であるのに対して、対話とは順番にターンテークを行い、被せ合わない話法である。共話においては発話主体が共有されることで個の区別が曖昧になり、発話内容は同期的に生成される。対話では、発話主体は明確に区別され、相手が言ったことを受けて次の発話内容が決まる。だから、共話のなかでは、個の認識がコミュニケーションの場に融け込むが、対話では個々の差異が明確になる。
 哲学者にして都市計画の専門家でもあったドナルド・ショーンは、「行為後の反省(reflection-on-action)」と「行為中の反省(reflection-in-action)」の二種類を区別し、特に後者に注目した(Schön, 1987)。行為中の反省とは、たとえば建築家がスケッチを描く時に、自らが引いた線を見ながらにして次の線の動きを決める、という認識プロセスである。しばらく描き続けた結果をまとめてふりかえる反省とは異なり、行為の只中で行為の結果を感覚運動系にフィードバックしながら行われるミクロな反省を指している。
 ショーンの議論を援用すれば、対話においては互いの発話の事後に個々が反省を行って次の発話を決定するが、共話においては相互の発話が共有物となり、互いの発話の中で反省が続く。いわば、話者同士が互いの感覚運動系の一端を担い合うように、それぞれの知識と記憶を喚起し合いながら、川の両岸の中間に位置する中洲のような一種の共有地(コモンズ)として、コミュニケーションの場が生起する。そこでは相互依存的な関係性から、会話の内容が立ち現れている。

水谷(1993)の図から筆者が再作成し、AとBの間の線を付け足した。


 前々回前回の記事で紹介した、グレゴリーとメアリー・キャサリンのメタローグは果たして共話だったのだろうか。互いの知的探求の文脈をよく知る父娘が展開した想像上の対話は、実際の話者同士が共時的に会話していないという意味で、本来の共話と対話、両方の定義から外れる。その上で敢えて言えば、それは相手の存在を自らの感覚意識体験(qualia)のステージ上で再演(re-enact)することで展開される特殊な共話の形式だと呼べるかもしれない。それは、親子という関係でしか行う必然性もなければ、行える実感も伴わない試みである。たとえどれほど親しい友人であろうと、その思考を公になる書き物の上で代弁するのはよほどの事情がない限り、おいそれと踏み出せることではないからだ。グレゴリー・ベイトソンの場合も、娘が許容したからこそ良いものの、そうでなかったとしたら愚かな父親の妄想として断じられてもおかしくはない。そんな危険性を孕みながらも、グレゴリーは娘の存在を借りて自らの思考を進行させたし、メアリー・キャサリンもまた亡父の意識を自らに降ろして遺作となった共著を完成させた。ベイトソン父娘はかくして「精神の生態系」を紡いだのだ。
 このように時を越えた共話的な事例からわたしたちは何が学べるだろうか。それは一言でいえば、対話や共話などの間主観性の認知が変容するコミュニケーション様式が「設計可能」である、ということだ。当然ながら、共話的な存在の感覚がどれだけ親子という特殊な関係性に起因しているように見えるとしても、生物学的には親と子は独立した、自律的な存在としてみるべきである。いくら共話を通した主体の共有が発現しようと、それは主観的な感覚以上でも以下でもない。強いていえば、それは「親子である」という事実が意識にフィードバックすることで強化されているだけの観念なのかもしれない。
 考えてみれば、親と幼子の関係性は養育という特殊な生活様式を経て形成されるものであって、決して先天的なものではない。それと同時に、他者と共話に興じるのは一時的な時間だけであり、会話が終われば融解の感覚は時間と共に減衰していく。そして、子どもはただ存在しているだけで、親にとっては微細な背景音のようなレベルで共話的な相互生起の感覚が持続する対象になる。当然、これはわたしの主観的な感じ方であって、子どもはおそらく同じ感覚は共有していないだろう。この認知の起源は決して理知的に導出されるものではなく、もっと本能的なところにある気もする。当然ながら共話という場合、会話が前提になっているわけだが、遠く離れている場合であっても、少なくとも父親としてのわたしのなかでは同じ世界に共在している感覚が持続するからだ。
 それでもわたしが子どもと生きている時間に覚える、自己の重圧から解放される感覚が、共話的な構造を通じて万人と共有しうるものである、という考えにはおおきな希望を感じる。
 それでは、わたしたちはいかにして、親子以外の場合でも、継承と共有の相互依存的なネットワークを結べるのだろうか。

参考文献:

水谷信子、「『共話』から『対話』へ」、『日本語学』12巻第4号、明治書院、pp.4--10、1993年

Schön, D. A., Teaching artistry through reflection-in-action, in Educating the Reflective Practitioner, pp. 22-40,  Jossey-Bass Publishers, 1987

Maynard, S. K., On back-channel behavior in Japanese and English casual conversation, in Linguistics Vol.24 Issue 6,, pp.1079--1108, 1986

メイナード・泉子・K.、『会話分析』、くろしお出版、1993年

(12回目につづく)