イタリア的生活は、夏でいったん〆が来る。<ご破算で願いましては>と、天から声が掛かるような。まず学校の年度が終わる。毎月何かしら必ずある税金の取立てが、八月だけは小休止となる。「休み明けに、また」と、仕事もいったん宙ぶらりんになる。始まりそうな恋愛は、夏が要だ。燃えるか、消えるか。逆もまた真なり。終わる関係も多い。夏を挟んで、家族構成が変わる家もある。そうして、不動産が動く。

 家を探すのなら、ご破算を目前に控えた三月くらいから六月くらいまでが適当だろう。学生は、卒業と新入で入れ替わる。六月に結婚する人は多い。親の家を出て、新居を持つ。
 不動産の慌ただしい動きに準じ、家具店や生活用品店も活き活きしてくる。寝具店が<白いシーズン>と銘打ち、新生活に向けてタオルやシーツ、ベッドカバーなどの買い替えを勧めてキャンペーンを張るのは、この時期の恒例だ。<白いシーズン>は、体のよい棚浚えでもある。在庫を一掃して、夏休みに入る。

 新居に移るとまずやってくるのが、税金である。賃貸だろうが持ち家だろうが、税は住人を見逃さない。不動産にかかるのは固定資産税だけ、と思っていてはいけない。ゴミ税というのがある。入居したらすぐ、自分の住まいにゴミ税がいくらかかるのか、市役所に計算してもらわなければならない。その家が町のどの地区にあり(歴史的旧市街なのか、郊外なのか)、その広さを申告すると、市役所からゴミ税の額が通達される。その人の収入額に応じての市税から払われるのではなくて、どういう家に住んでいるかを基に計算した<市民の義務>を払うのである。小さな家にぎゅうぎゅうに住む人もいれば、大邸宅に悠々自適の一人暮らしもあるだろう。各家庭の事情はさておき、ゴミ税は住んでいる家に付随して追ってくる。

 引越は、一大事だ。電気やガス、電話などライフラインの名義変更の届出や、関係各所への新住所の連絡、室内を整え、子供のある家は学校への編入手続きなどで大わらわで、次々と出るゴミに追われるものの、ゴミ税のことはつい忘れてしまう。
 私も忘れた。上階の住人も忘れた。そもそも<ゴミ税>といった不可思議な名目の税に納得が行かず、無意識のうちに拒絶していたのかもしれない。
 税金は決して見逃さないので、しばらくしてから数年にわたる未納分が遅滞の罰金と合算されて、ドンと届いた。滞納したゴミ税を督促されて、自分がゴミになった気分である。かつては、アパートの管理人が全家屋分をまとめて支払うものだった。ところが住人から預かった額を手に国外へ逃亡してしまうケースが後を絶たず、しばらく前から直納に変わった。

 


 ゴミ税とはその名の通り、各人のゴミを処理する自治体へ支払うものを指す。環境保全のための分別回収には、手間もコストもかかる。各人が自治体からどれだけの広さを占有して暮らしているのか、面積に応じた責任を税額に換算して請求されるのである。100平米の家に住んでいる人には、100平米分のゴミ税がかかる。
 日本の法務局にあたる登記所から、家屋と付随するすべての空間、例えば駐車場や地下の倉庫、屋根裏など、の総面積証明書を取り市役所へ報告する。住居空間とそうでない空間は掛け率が異なっていて、複雑な計算式ではじき出された総額が送られてくる。一括納付もできるし、分割にもできる。
 この連載でゴミにまつわる話をしょっちゅう書くのは、ゴミ税が支払えてやっと市民権を得る、というところがあるからだ。ナポリを始め、南部イタリアでゴミ回収のストで町がゴミに埋もれて機能しなくなる事態は頻繁に起きる。ゴミ袋の中身は、その地の住民の毎日の記録だ。
 日本と同様に、粗大ゴミは市役所に連絡して回収の予約を取り付け、前日の夜中から当日の早朝にかけて、自分の住む建物の玄関前に出しておかなければならない。<今までこんなものを家に置いていたのか!> 早朝の散歩で、前時代のイタリアに遭遇することもしばしばだ。頭を預ける部分が脂染みになっている一人掛けソファがあると、しばらく立ち止まってしまう。

 家が抱え込んでいた時間が、夏の朝、あちこちに放出されている。
 これは過去への追悼料なのだ、と思い直して、ゴミ税を払う。