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池田清彦×養老孟司「虫との大切な時間」

2018年8月7日

池田清彦×養老孟司「虫との大切な時間」

「虫との大切な時間」前編

著者: 池田清彦 , 養老孟司

 稀代の虫好きとして知られる養老先生。なんと「虫塚」を鎌倉の古刹、建長寺に建立した、というのは好事家の間では既知のこと。毎年6月4日には法要を行なっており、その際に講演会も開催。1回目は文化人類学者の植島啓司さんと葬送について、2回目はユニークな昆虫の形を教えてくれる小檜山賢二さんと、そして今回3回目は、長年の虫友、池田清彦さんの登場だ。満席の会場で、尽きることのないふたりの漫談、もとい対談を中継していきたい。

供養をする伝統

養老 まずはぼくから虫供養について話しておきましょう。
 虫供養は、なんということもなく始めてしまったものではあります。女房が、ぼくの墓をどうしようかというような話をしていて、ぼく自身はそんなことを考えるのは面倒だったんですが、ある日、突然、女房が虫塚をつくろうと言い出しまして…。死んだらそこへ入れちまえばいいや、という話になったんです。実際にぼくを入れられるか入れられないかはともかくとして、虫塚をつくる発端はそんなところだったんですね。
 それで、建築家の隈研吾君──彼はぼくの高校の後輩で、顔を合わせておしゃべりができる仲なのですが──を建長寺へ連れてきて、場所を見てもらった。虫塚をつくることについて建長寺さんは「いいですよ」と言ってくださったので、隈君がそこにつくった。妙な形をしています。
 供養というのは日本ではよくやるんですね。よその国にもあるものなのかどうか、よくは知らないのですが。
 建長寺の中には、「花供養」とか「針供養」といったものの塚や碑があるんです。いろいろと人の役に立ってくれて、その後は捨てられるだけ、というものに、何か気持ちを残したかったんだろうと思います。
 虫についてもそうなんです。ぼくらは虫をしょっちゅう捕まえ、殺している。それらに対する気持ちを何かで表現したいというのがありました。
 ぼくは解剖学を仕事にしていましたが、この国で最初に公に解剖が行われたのは江戸時代、宝暦4年(1754年)です。山脇東洋という医学者が京都で刑死人を解剖した。解剖自体は本人がやったのではなく、当時の被差別民がやったんですけれども、山脇東洋はそれを見て、5年後に『蔵志』という本を書いたのです。
 その解剖をした後に、山脇東洋は自分の菩提寺で慰霊祭をやっています。その祭文がいまも残っていて、それを読むと、誰が解剖されたかとか、どういう目的で解剖をしたかということがわかります。
 明治になって、東大が開学し、医学部で最初に解剖をした年にもやはり慰霊祭をやっているんです。それ以来、東大はずっと谷中の天王寺で慰霊祭をやっています。東大の農学部の片隅にも動物慰霊碑がありますね。これらはある意味で加害者の心理によるものなんです。このことは意外に意識されていないような気がします。
 政治問題になるからあまり言いたくないんですけど、政治的なことと本来的にはまったく関係なく、靖国神社もそのようなものであるとぼくは思っているんです。靖国神社は国がつくった神社です。お国の命令で兵隊さんが大勢、亡くなった。そうなってみると、命令を出した側には、気持ちが残ります。その気持ちを表現することが供養なのではないでしょうか。
 解剖の場合、私は勝手に他人の身体を傷つけています。死体は何も文句を言いませんから、解剖するこちらが、大事に思う気持ちになることを自分にも言い聞かせるし、周りにも示すようになる。そんなことが供養であるという気がするんです。
 いろんなことに対して、そういう加害者側の気持ちになって考える習慣が、とくにいまのような民主主義の時代では、むしろ、少ないですね。一般市民は他人に対して圧倒的な権力を振るうことはふつうはない。多くの人が一般市民となった社会では、自分は権力を振るわれる側だと思っています。だけど、人間以外の、たとえば虫のように相手が無力の場合、徹底的に権力を振るいます。平気で踏みつぶすんです。木を伐るにしても、そこにどういう生き物が棲んでいるかということはあまり考えないで、自分の都合だけで伐ってしまう。
 そんなことをやってはいけないという話ではないんです。やるんだとしても、それが自分の都合で弱いものを殺していることになるのだということに、せめて気づいておきたいと思っています。気づけば、そこからおのずといろんなことを考えるでしょう。
 虫塚をつくった背景にはそんな気持ちがあります。

急激に虫が減っている

養老 虫供養をする背景にある状況でいえば、現在、日本では猛烈な勢いで虫が減っています。その点からも、虫供養は、皆さんが意識しないうちに虫をどれくらい殺しているかを意識するものにしたかったんですね。
 日本だけでなく、世界中で虫が減っています。世界では年間で500万ヘクタールの森林が無くなっているそうです。そんな数字を聞いてもわかりにくいでしょうが、専門家に聞いたら、日本の森林の総面積は2500万ヘクタールで、つまり、現在の勢いで森林が減少すれば、5年間で日本の森がすべて丸裸になる、という速さです。いま、それくらいのペースで世界の森が無くなっているんです。
 森が無くなっていくということは、森に住んでいる生き物は皆、住むところがなくなるということです。なかでもいちばん多いのは虫です。
 森へ行って虫を捕ると、よく怒られるんです。「許可を取りましたか」などと言われる。そんなことを言う人は、虫を保護しています、という姿勢だけは見せる。だけど、実態としては、そもそも猛烈な勢いで森も虫も消えていってしまっているのです。そんなことに皆さんにも思いを馳せてほしいというのが虫塚をつくったことの背景にあります。
 1台の自動車が廃車になるまでに、数千万匹の虫を殺しているという計算をした人もいます。あるいはまた、新幹線の運転手さんの話ですが、昔は新幹線の先頭車両の窓はすぐに汚れたんだそうです。猛スピードで走る新幹線に虫がぶつかって潰れるから、窓が汚れる。ところが、最近はその窓があまり汚れないのだと聞きました。やっぱり、それだけ虫が減っているのではないですか。
 それを考えよう、ということです。虫を殺すのがいけないと言っているのではないんです。
 ちょっと説教くさくなってしまいましたが、とにかく、虫が増えてくるまでは虫供養を続けたいという気持ちがあります。

池田 虫は確かに減っているんですよ。理由はいろいろあるけどやっぱり、農薬の影響はとても大きい。ネオニコチノイドとフィプロニルというふたつがとくにすごいんです。
 フィプロニルは、水田に苗を植える前に使う農薬ですが、それを使ってから田植えをすると、農薬使用は1回で済むんです。虫にとってはそれだけ効く毒だということです。
 上田哲行という、ぼくと同じ大学の二年後輩で、石川県立大学の教授をしていたトンボの専門家がいるんですが、彼が言うには、フィプロニルを使っているところのアキアカネの数は20年前と比べて1000分の1になっている、と。かつては秋になると群れになって飛んでいたアキアカネを、その後、見なくなりましたよね。最近は、使わない県も増えてきて、そういうところでは少しずつ増えてきたかなとも思いますが。なお、フィプロニルはEUでは使用禁止になっています。
 それから、ミツバチが激減したということが少し前から指摘されていましたが、どうやらネオニコチノイドの影響だということがわかってきた。ネオニコチノイドはミツバチの肢から吸収されて、ミツバチの神経系を駄目にするんです。そのせいでミツバチは巣に帰れなくなってしまう。ネオニコチノイドを散布したところでは、一夜にしてミツバチの働き蜂がいなくなってしまうんです。
 ネオニコチノイドも、EUは屋外での使用を全面禁止にしています。ところが、日本では、数年前からネオニコチノイドの規制を緩め、たとえばホウレンソウなら以前の十数倍の濃度で検出されてもいいくらいになった。人間の脳神経系と昆虫の脳神経系とでは、発生的にはまったく違うけれども、やっていることは同じなので、虫の神経系がやられる農薬は人間にとってもまずいのではないかと言う人もいます。ホウレンソウを食べたくなくなるというものです。
 とにかく、ほんとうに虫は減ったと思いますね。
 カミキリムシが好きな人は知っていると思うんだけど、ピドニア(ヒメハナカミキリ)という小さいカミキリムシが、たとえば日光に行くとショウマやシシウドなどの花が真っ黒く見えるほど、いたんですよ。それがいまはほんとうに珍しくなっちゃった。たぶん、腐葉土や朽木を食っている虫だと思うんですけど、そういうところにも農薬の影響が出ているのではないかと思いますね。

虫の面白さ

池田 虫がそれだけ急速に減る環境になっている一方で、人間は平均100歳まで生きるようになるなどと言っている人もいますけどね。そんなに生きられるわけがないだろうと思います。養老先生は生きるかもしれないけどね。
 ぼくは今年3月で大学が定年で、早稲田の名誉教授になった。山梨大学の名誉教授でもあり、TAKAO 599 MUSEUMという博物館の名誉館長でもあるので、「名誉」ばかりが3つある。あと10年もたてば「名誉人間」になっちゃいますね。
 年寄りになるとなぜ昔の話ばかりするようになるかといったら、未来がないからです。未来の話をしてもしようがない。
 それで、昔話をしますが(笑)、養老さんと最初に会ったのはたぶん、1986年に大阪で開かれた構造主義生物学のシンポジウムでだったと思う。そのときにシンポジウムを主宰していた柴谷篤弘先生は、えらいじいさんだった。「えらいじいさん」というと、どうしようもないよぼよぼのじいさんと言っているように聞こえるかもしれないけど、「えらい」というのは「great」という意味で、「very」ということじゃないですよ。いま考えてみたら、当時、柴谷先生は66歳。だからいまのぼくより若かったんだよね…。柴谷先生は真面目な人でね、ぼくはあんまり真面目じゃないんだけど(笑)。そのときに来ていたのは、たとえば佐倉おさむとか、郡司幸夫とか。このふたりもあまり真面目ではなかったな。
 そして、そのとき、養老さんもシンポジウムに来ていたわけだけど、当時は40代だった。ぼくは30代。養老さんは、いまはあまり酒を飲まないけど、そのころは毎晩飲んだくれていて、たばこをいっぱい吸っていて、ぼくは「大丈夫かなこの人は」と思っていたよ。
 ぼくは、昔はチョウも好きだったけど、ずっと好きなのはカミキリムシですよ。養老さんは、持っている標本を見るとゾウムシが好きのようだね。でも、たぶん、もともとはゾウムシだけが特に好きではなかったと思う。

養老 べつにゾウムシが好きというわけではないんだ。ぼくは何十年も大学に勤めている間、あまり虫を捕ったり集めたりする暇がなかった。大学を辞めたとき、これからは虫だと思ってうれしかったんだけど、手元の標本を見たら、めぼしいものはもうゾウムシしか残っていなかったんだよね。
 ぼくは中学生のときに捕ったゾウムシの標本をまだ持っています。ゾウムシは硬くて、かびが生えても、うまく洗ったら元通りに戻ります。たとえば、チョウは特にそうですが、かびが生えたらどうしようもない。ゾウムシはその点では非常に保存しやすい。だから、相当にルーズな人にもお薦めします。
 ゾウムシは集めやすいです。そして、他人が欲しがらない(笑)。たとえばクワガタだと、あるとき池田君がやって来て、箱ごと全部を持っていっちゃった。その調子で、いいものがあると、誰かが持って帰る。珍しくない虫は残る。いろんな人の目を通って、「大丈夫、これは要らない」と言われた虫だけがいま、私のところに残っています。
 いまとなってはゾウムシはできるだけ残すようにしていますから少しは珍しいものがありますけど、名前を付けるときに使ったような虫の標本は大学へ持って行ったので、ぼくのところには置いていません。ぼくのところが火事にでもなって無くなったりしても、まずいですし。
 いま調べている最中の標本はたくさん持っています。そのなかにもたぶん、けっこう珍しいものがありますよ。でも、自分ではわからない。おそらく皆さんもわからないでしょう。
 そもそも何がわかっていないかというと、まず、どのくらいの虫がいるかということがわかっていない。よく、「新種」というけど、その虫が新しいか新しくないかがまずわからないでしょう。種類がとても多いので、まず、大分けにしますよね。大きな区分を最初にして、それで調べなきゃならないんですけど、その区分がまずなかなか分からない。
 その区分がつくようになると、一応、虫が分かるようになる。種よりも大きな分類に属がありますが、属の区分がちゃんとできればそれはもうプロですよ。ふつうは全然できない。
 科くらいまでは、素人でもなんとか分かります。科というのは、カミキリムシとかクワガタムシとかコガネムシという分類ですね。それでも、「これがなんでクワガタなんだ?」という会話によくなります。

池田 たとえば、あの小さいコガネムシのような、マグソクワガタとか。

養老 マグソクワガタのどこがクワガタなんですか。

池田 ふつうはクワガタと思わないよね。コガネムシの小さいやつに見える。

養老 もっと小さいのもいるでしょう。

池田 マダラクワガタね。

養老 あれなんて体長5ミリくらいですよね。
 そういうのをきちんと「これはクワガタだ」と分かるようになると、プロに近い。でも、「それがどうしてクワガタなんですか」という質問をされると、厄介なんです。
 ゾウムシについてだったら、「鼻が長いのがゾウムシなんだよ」とか、適当に返事するんだけどね。でも、ちょっと調べれば分かりますけど、ゾウムシのあの長い鼻は、鼻ではないんです。口なんですよね。

池田 動物のゾウの鼻だと思われているところも、鼻ではなくて、上唇だしね。

養老 それでまた、その「口」が長くないゾウムシもいるんですよ。すると、「口が長くなくて、どうしてゾウムシだって分かるんだよ」という疑問が出るでしょう。そういう話になると大変なんです。その説明を始めると、長い話になってしまう。

池田 同一性についての説明ですね。説明は大変なんだけど、そこが、虫のいちばんの面白さだよな。なぜこれとこれが「同じグループ」にまとめられるのか。なぜこれは「同じ」で、なぜこれは「違う」のか。そういうことを一生懸命、考えるのが面白い。
 個体は全部、違う。人間だってそうです。それを「人間」という同一性にまとめている。カミキリムシだったら、カミキリムシは他の虫と違うということで、カミキリムシ科としてまとめている。そのまとまりはどこにあるのかというと、人間の頭の中にあるわけです。それを考えていることに面白さがある。
 だから、虫の標本だけ見ていてもとても面白い。捕りにいっても面白いけど、いろんな面白さがある。

   養老さんが言ったように、虫はほんとうにたくさん種類がいます。そもそもどのくらいいるのか誰にも分からない。テリー・アーウィンという昆虫学者は、昆虫は3000万種いると言っていました。
 最近になって、それよりもっと多いんじゃないかと言われているのが線虫です。線虫はすでに2万5千種ほどが記載されているんだけど、1億種くらいはいるんじゃないかいう人もいる。いくらなんでも1億種はウソだろうと思いますけどね。線虫は、みんな同じような格好をしているから、種類がたくさんいても、あまり面白くない。
 昆虫は、種類がたくさんいて、姿形がそれぞれ違う。だからこそ情熱が湧きますよね。線虫を集めているという人の話は聞いたことがないもの。あれを集めて面白いというのなら重症のビョーキでしょう。カミキリムシ集めも軽度のビョーキですけどね。
 東京都立大学の大学院の後輩で、草野保という、トウキョウサンショウウオ(サンショウウオ科サンショウウオ属の日本固有種)の生態の研究者がいるんだけど、彼が、「カミキリムシを捕まえた」と言ってぼくに虫をくれたことがある。それを見て、「これはカミキリムシじゃない、カミキリモドキだ」とぼくが言ったんだ。そうしたら草野君が「カミキリモドキとカミキリムシはどこが違うんですか」と聞くから、「よく見ろ、カミキリムシはエレガントだろ、カミキリモドキはダセえじゃねえか」と言ったんですね。すると、草野君は、実習の時に学生に、「分類の仕方は、かっこいいのがカミキリムシで、ダサいのはカミキリモドキ。そうやって分類してください」と説明していた(笑)。そう言われて真面目な学生は困っていたようですけどね。
 ぼくは定時制高校の教師をしていたことがあるんだけど、そのとき、生徒が「モンシロチョウとスジグロチョウはどこが違うんですか」と聞くから、「顕微鏡で拡大して見てみると、スジグロチョウは前肢のところに『スジグロチョウ』と書いてある。モンシロチョウの前肢には『モンシロチョウ』と書いてある」と言った。すると、ほんとうに顕微鏡で調べた生徒がいて、「先生、どこにも書いていません」。冗談が通じなかったよ。
 それはともかく、カミキリムシを集めるのは面白いんですよ。自宅に標本にしなくてはならないものがまだまだいっぱいある。標本作りをいまのペースでやっていったら、最低でもあと250年はかかるということに、このあいだ、気づいた。どう考えても、生きているうちには無理。そうなると、やる気がなくなっちゃうね。これがたとえば「あと5年でできる」というのであれば、毎日、頑張ってやろうと思うでしょう。だけど、あと250年もかかるとなるとなあ…。今日やってもやらなくても大して変わらないな、と思った途端に、やる気が無くなって、酒でも飲んで寝ようかと思ってしまう。
 最初のほうで「名誉教授」「名誉館長」の話をしたけど、「名誉」がつくのはいかがわしいと思いますよね。「名誉博士」とかね。カミキリモドキはもしかしたら「名誉カミキリムシ」かな。
 オーストラリアに行くと、硬いカミキリモドキがいて、あれはかっこいい。Agasmaという属だけど。日本のカミキリモドキは、だいたいがふにゃふにゃしていてやわらかい。
 硬くてもやわらかくても、なぜそれがカミキリモドキかというのかは、やっぱりカミキリモドキという同一性を分類学者が決めているわけです。脚の跗節を見ると、カミキリモドキは5節・5節・4節。カミキリムシは、擬4節といって、見た目には4節・4節・4節。そういう細部で分類する。ただ、そういうところを見なくても、虫を捕って見続けると、なんとなく分かりますよ、それがカミキリムシか、カミキリモドキかというのはね。
 ネキ(ホソコバネカミキリ属の愛称)を見た瞬間にぼくらはそれがカミキリムシだと分かるけど、一般の人が見たら、ハチだと思いますよね。
 違いが分かってくるのは虫の楽しみのひとつですよね。自分で分類することができるようになる。一方で、見ても科も分からないような虫はいっぱいいて、分からないのがいるのがまた面白い。
 虫はコントロールできませんからね。虫屋ではない、ふつうの人は、自分がコントロールできることしか興味がない。虫は行ったって捕れるかどうか分からない。その「捕れるかどうか分からない」というのが面白いんですけどね。
 ぼくは、屋久島に訪れるたびに挑戦しているけれども、ヤクネキという屋久島だけにいる珍しいネキをまだ捕ったことがないんですよ。たぶん、50年くらい前から捕りたいと思って、これまで延べ日数で50日くらいは屋久島へ行っていると思うんだけど、まだ捕れない。捕れそうで捕り逃がしたことはある。今年も行くかどうか分からないけど、行ったら捕りたいな。
 女房に「今回も捕れなかった」と言うと、「捕れなくてよかったですよ。捕れたらきっと死んじゃうよ」なんて言われる。死んでも捕りたいと思いますけどね。生きている間に捕れるかな。
 なんで、そんな金にもならないことに血道をあげているのかなと自分でも思いますけどね。ぼくは早稲田大学にいたとき、毎年、授業を休講にしてヤクネキ捕りに行っていたんだけど、学部長に「今年も屋久島ですか」なんて言われたりしていました。

(後篇はこちら

(2018年6月4日、鎌倉・建長寺で行われた虫塚法要・特別講演「虫との大切な時間 ~養老孟司、池田清彦さんに聞く~」をもとに構成しました)

写真 青木登

池田清彦

 

養老孟司

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。

逆立ち日本論

2007/05/25発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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養老孟司

1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。著書に『唯脳論』『バカの壁』『手入れという思想』『遺言。』『ヒトの壁』など多数。池田清彦との共著に『ほんとうの環境問題』『正義で地球は救えない』など。

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