八月の第一週までは、それでもまだ町はそこそこに機能している。それを過ぎると、店も会社も長期休暇に入る。どの店にも、<9月までお元気で!>というメッセージの横にビーチパラソルが描かれた、休業のお知らせがシャッターに貼ってある。
 かつて八月いっぱい一斉に店が閉まったせいで、食料を買いに行けなくなり餓死寸前に追い込まれた老人達が続出した年があった。以来、市役所の管理のもと市民が干からびてしまわないように、地区ごとの公営市場では最小限の店が開いているようになった。
 夏になると、思いのほか独り暮らしの老人が多いのを知る。
 「きっとイタリアの老後は充実しているのでしょうね」
 日本でよく訊かれる。<一生ほがらか>というステレオタイプのイメージがあるのだろうか。
 イタリアには、どれだけ身体の状態が大変かを国が決める、要介護度の基準も認定もない。介護制度がないので、地域包括支援センターやケアマネージャー、デイケアサービス、送迎付きの通所や訪問リハビリもない。年金は激減する一方だ。年金システムそのものが金欠で崩壊するのは、時間の問題だろう。
  しかし健康保険の一部負担や三割負担、後期高齢者、高額医療などの区分けもない。よって難解な上に本人申請が原則である申請手続きもない。
 <不健康な人をすべて平等に無料で診療する>
 のがイタリアの公的医療機関に課された責務なので、ややこしい区分けはない。
 
 ベルルスコーニが首相だった頃に、増え続ける不法入国者摘発に有用だからと、
 「救急で運ばれてくる中に滞在許可証を持たない者がいたら、即刻警察に通報すること」
 という新法案が国会に提出されたことがあった。即刻、医師連盟は猛反対。
 「苦しむ人は、医療の前にはすべて平等。政治と人の命は別次元。誰もが安心して治療を受ける権利がある」

 イタリアでは、生後一ヶ月以内に税務番号を取得する義務がある。日本のマイナンバーに当たるものだ。出生届出の受付窓口を、市役所は病院に設けている。税務番号が健康保険番号、居住証明番号ともリンクして、管理されつつ守られている。お薬手帳はない。ICを埋め込んだこのカード状の保険証に、全カルテや処方箋の記録、検査の記録が埋め込まれてある。かかりつけの医師と専門医を持つ国立病院が連携して、検査専門の機関で検査を行う。オンラインで一括管理されるデータは、患者本人はもちろんのこと、どの国立医療機関へも転送可能だ。
 医療現場での不備や醜聞が取り沙汰されることも多いイタリアだが、医療関係者を貫くのは<弱者救済>の精神だ。町が空くと、見えなかったものが目に付くようになる。早朝まだ涼しい時間に、車椅子を押したり肩を貸し腕を取ってくれたりして、ゆっくり広場を歩くのは、独り暮らしの老人と介助者の100%は、外国人である。イタリアへ合法的に入国する外国人は、職業ごとにまるで仕分けされたかのように、同じ国の人たちが集まって働くことが多い。青果店や生花店はスリランカで、ヴェネツィアの飲食業や運搬業はバングラデッシュ、ピッツァ店に限っては圧倒的な占有率でエジプトであり、建設業はアルバニアという風に。
 老人の世話役は、東欧人が大半だ。大柄で金髪碧眼の女性が、静かに介助している。住み込みで働く人も多い。イタリアでの身元引き受けと雇用主となり、独り暮らしの老人は自分の面倒を看てもらう代わりに、根無し草のような異国から来た若い人の新しい人生を救う。立場も理由も異なる不運が二つ出会って、相互に力を貸し合っている。