創刊50号となる秋号では、4本の新連載が始まりました。若松英輔さんによる「岡倉天心 日本近代絵画を創った描かぬ巨匠」、南直哉さんの「超越と実存 私流仏教史」、三宮麻由子さんによる「暮らしのサウンドスケイプ」、そして冬号から連載を本格スタートさせる石川直樹さんによる「いまヒマラヤに登ること」の予告的「連載第0回」。以下、それぞれご紹介します。

「岡倉天心 日本近代絵画を創った描かぬ巨匠」

「アジアは一つ」の言葉、あるいは茶道を通して日本文化を世界に知らしめた思想家として知られる岡倉天心。しかし彼の最大の偉業はといえば、二十世紀において世界的にも最たる芸術「近代日本画」を創りあげたことにあるといえるでしょう。

 ただし、彼にはほとんど描いた作品はありません。描いたのは、もっぱら横山大観、下村観山、菱田春草、橋本雅邦らの弟子たちでした。そもそも天心には、絵心すらなかったといいます。さらに横柄でプライドが高く、酒癖も悪かったのだとか。そんな彼に、なぜ当代一流の絵描きたちが次々と師として惹きつけられていったのか? またその精神が後代の奥村土牛や東山魁夷などにも脈々と継がれていったのはなぜか……?
 それは、ひとえに天心の生み出した、ある独自の美意識に魅せられたからでした。「対象ではなく、空気を描け!」、天心はよくこう語り、弟子たちに自らの美意識を伝えていました。画法、主題はもちろんのこと、描き出そうとする精神においても、近代以前の日本画の枠組みを全て取り払い、今一度、地に足をつけた古来の日本精神、アジアのアイデンティティの境地を模索し、描き出そうと挑んだのです。その境地のことを天心は「霊域」と呼びました。あるいは、宗教にも近い境地といえるのかもしれません。この確固とした美のカリスマ性に、多くの芸術家たちが魅せられていったのです。
 幼い頃から培った宗教的精神性、それにその対極にある人間の素直な欲求から、深淵に潜む“究極の境地”を、生涯をかけて表現しようとした天心の霊性一代記。『井筒俊彦 叡知の哲学』で知の巨人の隠された真実を明かし、話題を呼んだ若松英輔氏の次なる挑戦作です。

「超越と実存 私流仏教史」

 仏教とは何か――。
 約2500年前、ブッダというひとりの人間が始めた仏教。以降、それはいかなる教えなのか、ということについては、数えきれないほどの論者がさまざまに考究してきた問題です。この大いなる問いに挑むのが、禅僧・南直哉師です。
 南師は、20代前半に一念発起して出家。曹洞宗の総本山である福井県・永平寺で約20年近い修行生活をおくり、現在は青森県恐山の菩提寺の院代(住職代理)、福井県霊泉寺の住職を務めています。著作も多く、寓話的問答集『老師と少年』(新潮文庫)や曹洞宗の開祖・道元禅師の主著に迫った『「正法眼蔵」を読む』(講談社選書メチエ)、恐山での経験を語った『恐山―死者のいる場所』(新潮新書)など、僧侶としての経験を軸にして、積極的に言論活動を行っています。本書は、南師が10年以上にわたって行ってきた「仏教史」の講座がもとになっています。「仏教史」についても、これまで僧侶から研究者、作家にいたるまで、数多の著作があります。しかしそれらの「仏教史」と本連載を隔てるものは、「仏教とは何か」という問いの深さです。言い換えればそれは、「私はなぜ仏教を必要としているのか」という問いでもあります。
「30年前、曹洞宗で出家したとき、私は仏教や宗祖道元禅師の遺した言説を正しいと信じていたわけでも、成仏や悟りを目指していたわけでもない」(「考える人」2014秋号)そう言い切る南師は、なぜ仏教を選び、その道を歩むことになったのか――。
「なぜ私は仏教が必要なのか」という切実な問いから始まる仏教史が、教科書に書かれているような「仏教2500年の歴史」を淡々と記述した退屈なものになるはずがありません。同時にそれは、ブッダに始まり、竜樹、中国仏教の祖師たち、最澄、空海、法然、道元、親鸞などといった偉大なる祖師たちが「なぜ仏教を必要としたのか」に迫ることをも意味します。
 そして、忘れてはいけないのはメインタイトルである「超越と実存」という言葉です。まるで哲学書や思想書に冠せられるようなタイトルですが、この「超越と実存」と「仏教史」がどう絡み合っていくのか。それこそが本連載の醍醐味となる予定ですが、ここではひとことだけ。「本連載は、仏教史という体裁を借りたひとつの思想書である」とだけ言っておきましょう。
 挿絵は、画家・木下晋氏の作品集「祈りの心」から拝借。南師の原稿と比肩する、見る者の目を離さない濃密な絵もお楽しみください。

「暮らしのサウンドスケイプ」

 四歳のときに目の手術によって視力を失ったエッセイストの三宮麻由子さんは、目で見える景色こそ無くしたものの、音など視覚以外の情報から独自の「景色(シーン)」を手に入れてきました。玄人はだしの腕前のピアノから、数百種の野鳥の声を聴き分けて「会話」する能力、英語とフランス語を使いこなす語学力、体の感覚を頼りに半紙に向かう書道……など、マルチに才能を発揮する三宮さんは、研ぎ澄まされた感覚と選び抜かれた言葉遣いで、さりげない日常から独自の景色を切り出してくれます。オバタクミさんの美しいエッチングとともに、味わっていただきたいエッセイです。

「いまヒマラヤに登ること」

 写真家で作家の石川直樹さんが、はじめて世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)に登頂成功したのは2001年のこと。当時石川さんは23歳でした。その後、ヒマラヤからは足が遠のきましたが、2011年にふたたびエベレストに登頂したのをきっかけに、登山シーズンになると毎年せっせとヒマラヤに通い始め、第4位のローツェ、第8位のマナスル、第5位のマカルーと、次々とヒマラヤの高峰を登頂し、写真を撮り、現地からレポートを送り続けています。なぜふたたび、石川さんはヒマラヤに通い始めたのでしょう。
 それは峻峰を登りきる爽快感や達成感、そしてそこに広がる美しい景色だけが理由ではなさそうです。個性的な現地のシェルパたちや、公募遠征隊を組織する人々とのたくさんの出会いが大きくかかわってきます。本連載は石川さんが10年以上かけて取り組んできたヒマラヤ登山の新しい姿、そして周辺で支える人々が描き出されることになるでしょう。

 力強い新連載4本が加わった「考える人」、ぜひ手にとってください。