前回まで、分割不可能な「個」というものがどのように混ざり合うのかということを、ベイトソン父娘のメタローグから水谷信子の「共話」の概念を切り口にして、子どもとの相互作用を観察した。その後に生命史を貫いてきた「開かれた進化」のダイナミクスを振り返ってきた。今回は、「共に在る感覚」ということについて考えていきたいと思う。

 「共在感覚」という概念に出会ったのは、研究者の森田真生さんとの会話の中だった。昨年末、森田さんに誘われて福岡近郊の糸島に対談をしに行った際、事前の話し合いのなかで、わたしが共話に強い関心を抱いていることを伝え、わたしが研究開発をしているインターネット上で共話的なコミュニケーションを交わすインタフェースを見せたら、文化人類学者である木村大治さんの書かれた『共在感覚―アフリカの二つの社会における言語的相互行為から』(京都大学学術出版会、2003)を勧められたのだった。既に絶版となっている同書をわたしはすぐに早稲田大の図書館で予約し、年明けに貪るように読んだ。今年3月には、わたしが参加している共同研究会に参加して頂き、直接、研究についてお話を伺う機会を得た。
 木村さんは1980年代末からザイールの農耕民ボンガンド族、後にカメルーンの狩猟採集民バカ・ピグミー族の現地調査を行い、そこに暮らす人々がどのように会話をしているのかをつぶさに観測している。端的に言えば、本書を通して明らかになるのは、わたしたちが普段おこなっている会話における「共に在る感覚」のリアリティは所与のものではなく、それとは全く異なる関係性があり得るという認識だ。木村さんは次のような興味深い事例を報告している。
 ボンガンド族の人々は、わたしたちの認識からすると「遠くにいても一緒」という感覚をもっている。いついつに誰と一緒にいたか、という調査を行うと、その時には顔の見えないはずの隣家の人間と一緒にいた、という報告がなされる。また、わたしたちは隣家の人には挨拶をするが、彼らは自宅から150メートルの範囲以内の人々とは挨拶を交わさない。それは、その範囲の人々は常に「共に在る」と認識しているからで、わざわざ挨拶をする方がおかしい、という感覚に基づいているのではないか、と木村さんは考える。同様に、壁越しに聞こえてくる隣家の話し声に突然反応して家の境界をまたいだ会話が発生したり、100メートル以上離れている人間を呼ぶとすぐに反応が返ってきたりと、ボンガンドの人々はわたしたちの常識からすると非常に広い範囲で「共に在る」感覚を生きているようだ。
 バカ・ピグミー族の観察では、木村さんは「発話重複と長い沈黙」に注目している。バカ族の人々は集会で会話を楽しむ時に、時として一斉に話しはじめて、発話が重なり合う。そしてある瞬間、長い沈黙の時間が継続するのだが、それを誰も気まずいと感じていない様子である。わたしたちは普通、一緒に話し始めると、「どうぞお先に」と発言権を譲り合うし、沈黙が続くと気まずさを感じ、なにか話題を提供しようと内心躍起になったりしがちである。しかしバカ・ピグミー族においては、重複も沈黙も社会的に問題がないもの、もしくは特有の価値として生きられている可能性がある。木村さんはこのような特徴に「拡散的会話場」という用語を当て分析している。
 ボンガンド族にはもう一つ特徴的な発話の形態があり、木村さんはそれと似たような現象をバカ・ピグミー族においても観察している。それはボナンゴと呼ばれ、村の広場で誰かがいきなり一人言を大声で話し始めることを指す。内容は非常にプライベートなことから、集落全体に関する感想までを含むが、興味深いのは誰もそれを面と向かって受け止めないどころか、むしろ無視しているし、話す方も気にしないで話し続けるという点だ。木村さんはこの「相手を特定しない大声の発話」を「投擲(とうてき)的発話」と呼んでいる。
 木村さんはまた、文化人類学者の川田順造がブルキナファソのモシ族の調査を行った際に生み出した「シンローグ(synlogue)」を例に挙げて、それがバカやボンガンドの人々における「完全に対話的でもなく、そうかといって完全に相手を特定しないブロードキャスティングでもない、ある範囲の人々をぼんやりと相手に発話するという状況」と共通点が多いことも指摘している。川田の『口頭伝承論』(河出書房新社、1992)では、モシ族が夜に集まり、お伽噺や神話などを全員で語り合う「座」の状況が描写されている。その場で共同で語られる話は全員があらすじを知っているものであり、「聞き手はまったく受動的な受信者ではなく、同時に『潜在的な話し手』でもある」。座は「聞き手の相槌や、さまざまなことばの介入があって進行し、ときには座の他の人々によって直され、忘れたりつかえたりしたところを補ってもらったりする」という。これは以前の回で見た、水谷信子の定義した日本語における「共話」の構造とも類似する点が多く、共話が決して日本固有の現象ではないことを示唆している。このモシ族のシンローグと日本語の共話の類似性についてはまた別の回で深掘りしていきたいが、ここでは川田が「声によって、一つの共同性がつくりだされる」と書いていることを指摘しておくにとどめる。
 木村さんの分析した拡散的会話場や投擲的発話、川田順造の観察したシンローグに共通しているのは、話し手と(儀礼的に無視をする場合も含めた)聞き手との関係性のルールに従って、その場に固有の「共に在る感覚」が生成され得るということだ。これはつまり、共在感覚を生み出す機構は、会話のルールやインタフェースに応じて、変容する、つまり、設計可能であるということを意味する。
 本書が刊行されたのは2003年だが、木村さんは後半でインターネットにおけるコミュニケーションの場の設計に共在感覚の概念が適用できることを論じている。たとえばボナンゴにしても、これはまさに物理世界におけるTwitterのようなコミュニケーションとして見ることができる。2006年にローンチしたTwitterは今日、世界中で当たり前のように使われているが、たかだか12年の歳月でわたしたちのインターネットを介した共在感覚は大きく変容したといえる。

 身体的に近接していれば自ずと共在の感覚は生じるが、同じ空間にいながらもそれぞれが孤独を感じることもある。
 現代の家族や友人、恋人たちが、目の前にいながらにして、それぞれが自分のスマートフォンに見入って、会話を交わさない状況は誰しも経験があることだろう。アメリカでメディアの心理的影響を研究するシェリー・タークルはこのテーマを追究した『Reclaiming Conversation: The Power of Talk in a Digital Age』(邦題:『一緒にいてもスマホ―SNSとFTF』、青土社)という本を書いている。タークルは、メディア学者のキャサリン・ヘイルズによる「ハイパーアテンション」(四方八方に拡散する注意)と「ディープアテンション」(一点に集中した注意)の両極の分類を援用しながら、家庭や教育の場においてオンラインからの注意喚起がいかにわたしたちの社会関係に変容を来しているかを分析し、現代のデジタル・コミュニケーションのかたちが本当にわたしたちが望むものなのかについて、再考を迫っている。
 2008年以降、急速に普及したスマートフォンの是非を問う議論で頻繁に登場するのが、「強迫観念」というモチーフだ。現代のネットスラングにFOMOという言葉が存在するが、これはFear of Missing Out、「なにか大事なことを見逃していないか」という恐怖の感覚を指している。一人でいる時でも、誰かといる時でも、スマートフォンのメッセージの通知音が鳴るたびに、まるで脊髄反射のように画面を覗いてしまう、あの感覚だ。これが多くの人々に多大なストレスを強いていることは疑いようのないことだが、別の観点から見てみれば、スマートフォンからアクセスするSNSの方が、物理的に近接した相手との会話よりも、社会的圧力の強い共在の感覚を生んでいるのだとも言えるかもしれない。
 目の前にいる親しい間柄の人間よりも、ネット越しの知人にこそ礼儀も注意も払おうとするのはある意味、当然の社会的な反応だと言える。スマートフォンの通知が届く限りにおいては、わたしたちは四六時中、知り合いに囲まれながら生活しているのだ。ボンガンドの人々にとっては約150メートルの範囲が日常的な共在感覚の境界だと考えれば、わたしたちは場合によっては地球全体にまでその範囲を拡張して生活している、とも考えられるのではないか。
 ここ10年ほどのスマートフォンの浸透でわかったのは、眼前の人間とは物理的に社会空間を共有しているが、オンライン上の知人ともまた実質的(ヴァーチュアル)には社会的に作動する空間を共有しながら、生活できるということだ。この技術的な特性は、その過剰によって多くの社会問題を生み出しているわけだが、適切な設計に基づけば、過剰を回避し、より良いかたちで遠隔の人々と共在感覚を結ぶこともできる。そのためには、必ずしもインターネットを介する必要はない。

 子どもができる数年前、モンゴルの草原に住む遊牧民の居住地に妻と一週間ほど滞在した時に、「個であること」や「私有すること」の感覚を強く揺さぶられる体験をした。
 わたしたちは、首都ウランバートルから西に数百キロ走った大草原のただなかに設営された遊牧民のキャンプを訪れ、現地で野生馬を捕まえて牧場を営んでいる男性から毎朝馬を借りて、一日中草原を自由気ままに走り回るという日々を過ごしていた。どこを見渡してもなだらかな丘陵と草原しかない世界のなかで、ガイドに従ってその時々で行き先を決めながら彷徨っていると、時折別の集落を見つけることがあった。そういう時には決まって、われら日本からの珍客を自分たちのゲル(※遊牧民の住む円形の移動式住居)の中にこころよく招き入れて、手作りの馬乳酒やウルム(※遊牧民が造るバターのような食べ物)をふるまい、大いにもてなしてくれた。
 モンゴルの遊牧民の気前のよさは、気候の変化を追いながら、季節ごとに居住地を移り渡る遊牧民の生活のなかで出会う、見知らぬ他者とつつがなく交易をおこなうために獲得した知恵なのだろう。頭ではそう分かっても、近隣の住民とでさえ交流が薄い東京のような都会の感覚からすると、この自然な気前の良さはやはり尋常ではない。
 そうして何日かを過ごしているうちに、滞在先の居住地を離れる日がやってきた。その朝、わたしたちは毎日馬を借りていた牧場の主にお礼の挨拶に向かったところ、やってほしいことがある、とお願いをされた。馬とは別に飼っている牛たちを運動させたいので、馬に乗って牛追いをしてきてほしい、という。午後の出発まで時間があったので、小一時間ほど牛たちを追いかけ回してから、牧場に戻ると、渡したいものがあるからついてきなさい、と言われた。
 つかつかと牧場の中に入っていく主についていくと、一頭の白い馬の前で立ち止まり、いきなり、この馬を君たちにあげよう、と言う。一瞬何を言われたのか理解ができず、慌てるように「大変ありがたいのだけど、これから日本に帰るので連れていけません」と答えると、そんなことはわかっている、と笑われてしまった。この馬をあげる、というのは、持って帰れ、という意味ではない。君たちが再びここを訪れる時には、君たちが自由に乗っていい。それまで、この馬を手放さずに面倒を見るから、と。
 この牧場主は、いつまたモンゴルに戻ってくるかも定かではないわたしたち夫婦のために、大事な商売道具である馬を一頭確保し続けてくれるというのだ。わたしたちはそれまで、このようなかたちの「贈与」に触れたことは一切なかったので、夫婦で仰天してしまった。
 それは、持ち帰れる手土産を渡すこととは質的に異なる贈与であった。物質的な財産は、それを誰かに手渡した瞬間、その所有先が相手に切り替わり、そこで贈与という行為は完了する。他方で、この人が提案してくれたことは、自ら馬の飼育の負荷を負いながら、彼らが生きている限り、そしてわたしたちがそのことを記憶し続ける限り、継続される種類の贈与だ。馬の使用権、などと書くといかにも野暮ったいが、遊牧民にとっては主な移動手段でもあり、貴重な栄養源でもある馬はことさら特別な価値を持つ。だから、それは権利の貸与や契約などという形式張ったものではなく、なによりも友愛の念を示すための贈り物だった。
 彼の侠気に深く感じ入りつつも、同時に自分が普段住んでいる世界における「所有」や「共有」の定義がなんと狭く、貧しいものであるかを痛感させられ、少しはずかしくも感じた。
 その時からもう8年以上が経過してしまったが、ことあるごとに――モンゴル人力士のニュースを見たり、馬を見たり、あるいは(げん)帝国に関する文献を読む度に――草原で出会った彼らのことを思い出す。いまも元気に過ごしているだろうか。あの白馬ももうすっかり老馬になっているだろう。いつまた会いに訪れられるだろうか。 彼の人に提供された贈り物は、かくも遠い距離と長い時間を超え、今に至って持続する接続線(リンク)をわたしのなかに根付かせたのだった。これもまた、共在感覚の一種ではないだろうか。

 ここまで、共話、共有、共生、そして共在と、「共」ということにまつわる概念を見てきた。共話は、主語や主題を話者の間で共有することで、一時的に主体性の共有地(コモンズ)を作り出す技術である。そこでは個を分断する環世界の境界は意図的に融かされ、人々は声と共に互いの存在を重ね合う。奇しくも(もしくは当然ながら)、この連載で見てきた事例はいずれも人類学者たちによってもたらされた観察に拠るものだった。前にも見たように、ベイトソンは、イアトムル族の儀礼ナヴェンの参加者が一時的に互いの社会的な立場を交換しあうことで、集団の分裂生成(スキズモジェネシス)が抑制される作用を示唆した。アフリカや日本だけではなく、世界各地で見られる共在感覚を生み出す文化や共話のような文法にもまた、自然に生まれる分裂を補修する効能を見て取ることも可能なのかもしれない。

 次回は、この「共」を考えるきっかけとなった小説作品について考えてみたい。

(15回目につづく)