さて、前回まで「ニワトリがいかに人に愛されてきたか」を書いた。単に利用し尽くされているだけのような気もするが、何にしてもニワトリは人間と関わりの深い鳥である。古くは朝を告げる神の鳥だったし、律儀に卵を産んでくれるし、肉だっておいしい。それにヒヨコはカワイイ。まさに人間の友である。

だが、私としてはこう言いたい。カラスじゃダメなんですか? カラスじゃ、ダメなんですか? 大事なことなので二度言いました。

いや、本当はわかっているのだ。世間一般の基準で、カラスじゃダメなのである。だが、ここではカラスを心から擁護しつつ、なんでカラスがダメなのかを論じてみる。

 

まず第一に、カラスはかわいくないか?

カラスはかわいいのだが、当然のようにヒヨコには負ける。あれは無条件に、問答無用に、わかりやすく、カワイイ。これは「子供のシェマ」と言われるものに関係している。

子供のシェマというのは、コンラート・ローレンツが提唱した概念だ(シェマはドイツ語でSchema、英語ならスキーム)。赤ん坊を考えてもらうとわかりやすいが、大人と子供はプロポーションや顔立ちがかなり違う。これは体の部分ごとの成長の速度が違うせいだ。脳や眼球は最初からそれなりの大きさがあるが、手足は成長にともなってグングン伸びる。

ローレンツが提唱したのは、この子供っぽいプロポーションこそが「かわいい」と感じさせる理由であり、「人間は生まれつき、子供っぽさをかわいいと感じるように進化した」ということだ。ローレンツの挙げた子供の特徴とは、体の割に大きく丸い頭、頭の下半分に偏った顔、大きな目、短くて丸い突出部(例えば鼻・子犬を想像してほしい)、短い手足、高い声などである。これが子供のシェマだ。これは本来、発生学的な制約なのだが、人間にとって「幼い」と判断する基準でもある。

アニメや漫画のキャラを考えるとわかるが、こういった特徴を満たすとキャラは子供っぽくなる。同じキャラで年齢を描き分ける時はこの特性が利用される。一方、ミッキーマウスのイラストを年代順に並べると次第に「子供っぽい」デザインに変化していることがわかる。ミッキーは人々が見慣れてしまわないよう、かわいさを強調し続けてきた結果、そのカワイイ特徴がインフレーションを起こしているのである。

そして、ローレンツの意見では、これにはさらに奥深い攻防がある。

子供っぽい特徴を見ると「カワイイ!」と思い込む個体は、より熱心に子供を世話する。だから繁殖上有利である。子供にとっても、子供っぽい姿で「カワイイ!」と思わせて世話を引き出すのは有利である。つまり、哺乳類は子供を見るとカワイイと思うように、また、子供はなるべくカワイイ姿でいるように、子供のシェマをあざとく強調しながら進化した可能性がある。

だが、哺乳類ではないヒヨコはこれには当てはまらない。鳥には哺乳類のような、かわいさに対する感受性がなさそうだからだ。鳥で問題になるのは、むしろ鳴き声とか翼を振るしぐさ、嘴と口の中の色である。スズメの雛は嘴が黄色いが、あれは親に対して「ここに餌をやれ」というサインになっている。親鳥はこれを見ると餌を与えずにいられないらしい。

これについては(他の小鳥でだが)「どこまで簡略化しても大丈夫だろうか」と研究した人がいる。最初は雛の精巧な模型を作り、次に顔だけにし、嘴だけにしても、親は黄色い口に餌を与え続けた。最後はマッチ棒を黄色く塗って組み合わせた菱形を巣に立てておいたら、親鳥はその中に餌を放り込んだ。要するに、「自分の巣にいる、黄色くてパカッと口を開けたもの」なら何でもいいのであった。

というわけで、ニワトリが小さくて丸くてモフモフしたものを可愛がる、という話は聞かない。第一、ニワトリはヒナに餌を与えない。ヒナは勝手に親の後を付いて歩いて、勝手に餌をつつくのだ。ヒヨコが小さくて丸くてモフモフでつぶらな目をしているのは、単に発生上の問題にすぎないのだろう。いや待てよ、子育て中のキツネなんかもヒヨコを見たらやはり「カワイイー!」と思って捕食をためらうからヒヨコの生存上有利とか…… さすがにそれはないか? とにかく、人間の暴走する脳はヒヨコを見ても哺乳類の子供を見るように「カワイイー!!」と反応する。

 

ではカラスの子供は? 

ニワトリやカモは早成性といい、生まれた時から羽が生えていて、すぐ立って歩ける。それに対して、カラスは多くの鳥と同様、晩成性と呼ばれるタイプだ。生まれた時は裸で、目も開いていない。腹ばかりがぽっこりふくれて、見た目はトカゲと餓鬼のあいのこのようである。間違ってもかわいくない。むしろ、気色悪い。だが、生まれた時にかわいくないのは、ツバメでもスズメでも同じだ。せめて巣立つまで待ってほしい。

カラスの巣立ち雛はやんちゃで、翼や尻尾が短く、目がキョトンとしている。うん、これは「カワイイ」要素だ。だが、「カワイイ」の大事な要素である丸さはない。羽を膨らませていればそれなりだが、普段はむしろ、親よりも痩せっぽちである。

いやいや、せめて顔がかわいければ。あまり知られていないが、カラスの雛は目が青い。青い目なんてまるでフランス人形だ。だが…… 青い虹彩に黒い瞳が目立つため、青い三白眼になってしまっている。これでは親よりも目つきが悪い。そして、真っ赤な口を開けて「お腹へった」と鳴く。鳴き声は「ぐわー」というダミ声だ。はい、ヒヨコ勝利。

 

では、カラスはニワトリのように人の役に立つか?

……立たない。全然、役に立たない。そもそもカラスを飼うのは大変だ。カラスはニワトリと違って飛ぶから、狭い場所では飼えない。若いカラスは集団性だが、集団内に順位があるので喧嘩するわ、よその集団に移動するわ、そう簡単に群れで飼っておけるようなものでもない。餌にしても大量にタンパク質を必要とするので、草や雑穀でいいというわけにはいかない。カラスに食わせる餌があるなら、人間が自分で食べた方が効率的である。何より、多くのカラスは繁殖するのにペアの縄張りがいる。営巣場所も高い木の上だ。ニワトリのように簡単に小屋の中で繁殖させられるようなものではない。家禽の素質はひとかけらもない、とわかる。

 

ではせめて、宗教的に重要な鳥であり得るか?

カラスはかつて太陽の鳥、神聖な鳥、神の使いであったのだが、これは主に狩猟採集民の世界でのことだ。とはいえ、まあその場合でもトリッキーでわがままでやりたい放題な神だが。オーストラリアの伝説では、カラスが人間を作った理由は「浮気相手がほしかったから」としている。その後の宗教では、特に神聖な鳥ではなく、むしろ悪者扱いである。戦乱や疫病で人が死ぬとカラスが集まってくるので、どちらかというと「死」に近しい鳥に見えるせいだろう。芥川龍之介の『羅生門』ではないが、近世以前にはその辺で人が死んでいるのは珍しくなかったはずだ。刑罰も野ざらしなど苛烈なものがあった。そういうところで死体をつついているカラスを見れば、そりゃ印象は最悪だろう。いや、カラスから見れば、野外で死んでいればそれは全て「肉」でしかないのだが。

強いていえば、ヒマラヤ地方の鳥葬を行う地域では、カラス類はハゲワシと並んで聖なる鳥である。死者をついばむ鳥は、魂を肉体から解き放ち、天へと連れてゆくものだからだ。かつてチベットでは遠くを飛ぶカラスにさえ手を合わせて拝んだという。だがこれも、火葬や土葬の文化圏では、あまり関係ない。

 

最後に、食味について。

カラスは食える。食べても毒ではないというだけでなく、ちゃんとレシピが存在する。かのフランスにだってレシピがあるから、決してゲテモノではない。

しかし、うまいかと言われれば、これまた微妙である。まず、カラスは痩せている。ニワトリと比べて肉の歩留まりが圧倒的に低い。野生なので脂もなく、ガチガチの赤身である。

なら低脂肪でヘルシーかというと、まあ確かにそうなのだが、あまりに固くて味も素っ気もない。私は棒棒鶏も鳥わさも大好きだが、あれを棒棒鴉や烏わさにしたら、多分うまくない。

何より、カラスの肉は鉄臭い。これは筋肉中にミオグロビンという、ヘモグロビンに類似した物質を大量に含むからで、これはつまり酸素保持能力と運動能力の高さを示すものなのだが、同時にレバーっぽい臭い、もっといえば血の臭いの元でもある。下処理すればなんとかなるらしいのだが、逆にいえば、下処理しないとかなりクセが強いということだ。しかもレバーっぽい味は加熱すればするほど強くなるので、料理法にも工夫がいる。

ということで、少なくとも現代の肉用鶏と比べれば、ニワトリの圧勝である。

 

さて、こう書いてくるとカラスの存在価値が何もない。泣きたくなってきた。

だが、カラスは生態系の構成者であり、ちゃんと自然の中で役割を果たしている。特に大きいのが、種子散布である。

カラスは果実をよく食べる。そして、糞と一緒に種子を落とし、その植物の繁殖を手助けする。植物の方も、鳥に食べられるように進化して来た歴史がある。果実に糖分やタンパク質を溜め込んでおいしくするのは鳥に食べてもらうためだし、熟した果実の派手な色も鳥に見つけてもらうための宣伝である。果実の中には一度動物の消化管を通らないと発芽しないものも多い。

カラスの大きさなら、小鳥では食べられない大きな果実もくわえて運んでくれる。大きな種子もOKだ。もし飲み込めないとしても、地面に捨ててくれれば発芽のチャンスがある。しかも、カラスの1日の移動距離は数十キロに及ぶこともあるから、非常に広い範囲に種子をバラまいてくれるわけだ。

これは植物にとって大事なことである。実際のところ、種子の生存率が一番高いのは親木からちょっと離れたあたりなのだが(遠すぎるとどこに落ちるかわからないから成長できる保証がないし、かといって親木の真下だと光が当たらなかったりしてやはり育ちにくい)、ダメもとで遠くまで種子を散布するのは重要だ。となると、どんな大きさでも、うんと遠くにでも、種子を届けてくれる「運び屋」として、カラスは大きな役割を果たしている。カラスは森を作っているのだ。

 

だがまあ、こんな小理屈はどうでもいい。役に立つから擁護しようなんてのは、あまりに傲慢な態度である。ニンゲンごときの役に立とうが立つまいが、カラスは今日も黒い翼を広げて生きている。

そしらぬ顔