表紙にカラスの写真ないし絵のある本は、だいたいハード系のミステリーか、ちょっと怖い話である。しかも、揃いも揃ってカラスが正しくなく、美しくもない。何かの陰謀かと思うほどだ。

 

人間が動物に対して抱いている印象なんて、実に適当なものである。例えばライオンは百獣の王であり、プライドの高いハンターであると思われてきた。だから、ライオンが獲物を食べている後ろでハイエナが待っていれば、当然のように「ライオンが倒した獲物をコソコソ狙う、卑屈なハイエナ」だと信じ込んだ。だが、実際には、夜間にハイエナが倒した獲物をライオンが奪い取って食べている場合も多いことがわかっている。

最たるものはオオカミだ。オオカミは長らく悪魔の使いであり、神に逆らうものであり、羊を襲い人を襲い、赤ずきんのかわいい女の子が歩いていれば先回りして襲う、徹底した悪役だった。これは羊飼いの宗教に強く影響された結果である。荒野でやっと羊を飼っている人々にとって、狼ほど敬遠したい相手はいなかったに違いない。また、中世ヨーロッパの森の中で、武器を持たない庶民がオオカミの咆哮を聞けば震え上がっただろうことも、想像に難くない。

確かにオオカミは怖い。もしオオカミが怖くないというなら、体重50キロ程度、ということはハスキーやシェパードくらいの野犬が現れた時のことを想像してほしい。しかも相手は集団である。私は中型犬1頭にだって勝つ自信はない。河内弁で怒鳴りつけて野犬3頭を追い払ったことはあるが。

もちろん、オオカミは決して邪悪な存在ではない。ないのだが、擁護が行きすぎると贔屓の引き倒しになる。1970年代頃から急激に「オオカミは悪くない」という風潮が生まれた。一つには人間中心主義で唯物論的な科学からの脱却を目指したニューサイエンスの影響もあるだろう。また、ニューサイエンスはしばしばスピリチュアル系と親和性が高いので、融和的な自然観や、アニミズム的な世界観と結びつくことがある。ここに、この時期からわかってきたオオカミの行動……例えば共同繁殖を行い、自分の子供でなくても餌を運んでくるなど……がフィーチャーされると、オオカミは高貴なる野生の象徴として祭り上げられる(こういった拡大家族的な繁殖は、ヒッピー・ムーブメントにおけるコミュニティの姿とも重なることは指摘しておこう)。

F・モウワットの『オオカミよ、なげくな』(1963年、新訳は『狼が語る:ネバー・クライ・ウルフ』)は当時の環境行政の無能さや偏見を突いた、事実に基づくニュートラルな読み物である。だがディズニーが映画化した『ネバー・クライ・ウルフ』(1983年)になると、ちょっと雰囲気が違う。映画『イルカの日』(1973年)なども涙なしには見られない名作だが、やはりちょっと、イルカが人間的すぎ、いってみれば「海にいるオトモダチ」すぎる。

問題は、そういった人間の見方という勝手な流行が、現実世界を左右してしまうこともある、という点だ。例えば「日本にオオカミを再導入すれば野生動物問題は全て解決」みたいな考えは、しばしば「アメリカで健康なオオカミが人を襲った記録はない」という記述に基づいている。だからオオカミは安全ですよ、という言い分だ。私も元ネタになった本を昔読んだ。その時は驚いたが、よくよく考えたらアメリカでは武装した開拓民が相手であり、しかも短期間のうちにオオカミは絶滅に近いところまで追い込まれているのだ。襲う暇もなければ、襲っても返り討ちにあうだけである。丸腰の中世ヨーロッパの農民とはワケが違うだろう。

もちろん、20世紀初頭までヨーロッパの新聞にしばしば掲載されたというヨタ話……「オオカミの群れに取り囲まれて孤立した村の恐怖!」みたいなのは、今で言えば怪しげな都市伝説程度なものだろうし、遡れば15世紀のパリ市内にまで侵入し、市民を恐怖のどん底に叩き込んだ狼王クルトーあたりが元ネタかと思われる。だが、ヨーロッパやアジアでは人間がオオカミに襲われたという話はいくつもあり、信頼性の高いものも多数ある。

ニュートラルに動物というものを考えてみてほしい。捕食動物は常に、食べやすい獲物を襲う。そこには高貴な精神もなければ邪悪な企みもない。そんな余計なことを考えていたら飢え死にするばかりだ。シカが食べやすければシカを襲うだろう。野生のシカよりも襲いやすい獲物がいれば、そちらを狙うだろう。その獲物がシカ以外の野生動物であるか、家畜であるか、人間であるかは、捕食者にとってあまり問題ではない。オオカミが人間を付け狙う悪魔であるはずはないが、さりとて、決して人間を襲わない高貴な動物であるはずもなく、ただ人間の偏見と、その偏見への反動によって、悪魔にされたり奉られたり、本人とは関係ないところで評価が乱高下しているのである。

 

これは、カラスも同じだ。

例えば「カラスは人間を狙って糞を落とす」というお話は常にある。だが、カラスは常に糞を落としているものである。当たったのが偶然か狙ったのかを区別するのは簡単ではない。

そこで、思考実験として、道を歩いていてカラスの糞が偶然にも命中する確率を求めてみる。考え方は、あなたがカラスに遭遇する確率×その時にカラスが糞をする確率×あなたの体の範囲内に糞が落ちる確率、だ。

さて、カラスに遭遇する確率。今朝、私が通勤する途中、3度カラスの下を通った。便宜上これを使うと、私は1日3回、月に約75回、年に約900回、カラスの下を通る。

次に、鳥が糞をするタイミング。鳥はしたくなったら糞をするが、飛び立つ直前、あるいは直後に糞を落とすことがしばしばある。飛行前に体を軽くしたいのかもしれないし、グッと力を入れると出てしまうということもあるだろう。また、カラスは人が近づくと緊張する。これも排糞を誘発する要因の一つだ。

しかも、都市部においてカラスはだいたい、電線や看板に止まっている。こういったものは、歩道の上に作られている。つまり、歩道を歩けば自動的にカラスに接近することになる。仮に歩道の幅を2メートル、人間の肩幅を50センチとすると、すでに25%の確率でカラスの「爆撃可能圏内」に入っている。

ここで仮に、人間が3メートル以内にいる場合、ある瞬間にカラスが必ず糞をすると仮定する。カラスの前後3メートル、つまり6メートルの距離に対して、人間の厚みはざっと30センチ。つまり距離に対して5%になる。左右方向でカラスの爆撃圏内に入っている確率は25%だったから、1.25%の確率で、糞の落ちる範囲内に自分がいる、ということになる。年間900回、カラスの下を通るとすると、1年に平均11回ほど糞が命中する計算になる。

私は過去40年以上生きて来て、カラスの糞が命中したのは1回だ(カラスを肩に乗せていた時は除く)。さあ、計算値と比べてみて、どうかな?

 

もちろんこれは単なる仮想的な数字で、カラスの飛ぶ方向なんかも計算に入っていない。だから計算結果にも特に意味はない。だが、こういった確率論的な考え方をしないと、「実際はいっぱい糞をしているのだが、そのほとんどはあなたに当たっていない」という事実を人間はなかなか思いつかない。当たった時のイヤーな記憶だけが残るからである。

何より、「人間を狙って糞をする」と発想するには、「糞は汚いから、かけられたら嫌に違いない。よし嫌がらせのために落としてやれ」という思考が必要だ。人間にとっては常識だが、これが鳥に通用するかどうか、まずそこを考えなくてはいけない。

実のところ、鳥は糞をあまり気にしない。巣の中にいる雛は、餌をもらうと向きを変えてお尻を突き出し、糞をする。この糞は膜に包まれているので扱いやすいのだが、親鳥はこれをパクっとくわえて運び出して捨てるか、あるいは飲み込んでしまう。糞が腐ると不衛生だから合理的ではあるが、飲み込む、というのは衝撃的な始末の仕方である。

ある程度大きくなった雛は巣からお尻を出して糞を落とすようになるが、間違って巣の上に落ちてもわりと平気である。巣の下や周囲がどうなっているかも、あまり気にしない。

また、カラスがねぐらで寝る時は、多くの個体が枝に止まっている。当然、自分の上にも誰かがいる。そいつが糞を落とせば当然、べちゃっと浴びることになる。これもあまり気にしていない。実際、朝イチのカラスは背中に白い糞をつけていることがある。

こう考えると、「糞は汚い」という感覚自体が、動物の中でそれほど一般的ではない、と言えそうである。イヌなんか他のイヌの糞の上でごろごろするし(これは糞に含まれる誘引物質のせいもあるのだが)。

糞を「嫌がらせ」にも使うのはチンパンジーなど類人猿だ。彼らは外敵に向かって糞を投げつける。しかし、忌避するからというより、「緊張してウンコしちゃったから、手近にあるので投げた」というだけのことかもしれない。投げた後、特に手をきれいにしたがるというわけでもない。ボノボ(チンパンジーにごく近縁な類人猿)はある程度成長すると糞を嫌がるという研究が最近出たのだが、「最近やっとわかった」ということは、明確でも常識でもなかった、ということだ。糞を徹底的に嫌うのは、極めて人間的な感覚なのである。

そう考えると、カラスが人間を狙って糞を落として嫌がらせをするとしたら、「自分は糞なんて別に気にしたことないけど、あいつらはどうやらひどく嫌うらしい、ならば糞を落とせば嫌がるだろう、ここで待っていればあいつが真下を通るぞ、ここから落とせばちょうど頭の上に落ちるはずだ、よし今だ!」という、想像以上に高度なことをしているはずなのである。何が高度って、「自分は気にしないがあいつは嫌いなようだ」と推論するあたりが極めて高度だ。自他の区別がきちんとついていなくてはいけないし、自分とは異なる相手の心理を仮定しなくてはいけない。これは人間だって子供の時は無理である。

カラスが絶対にやらないとは言わないが、そう簡単ではないことは、おわかりいただけただろうか?

人間は動物に対してイメージを投射し、そのイメージに従って行動を類推する。もちろん学者だって行動を類推するし、私もカラスの行動を擬人化して説明もする。だが、動物学者はその類推の不確かさもちゃんとわかっている。実際の生物の行動は、人間のイメージを超えたものであることも少なくない。そこが生物学の奥行きであり、面白さである。

エビフライ♪

次回につづく