養老孟司さんが食べ物についてこれだけ論じられたのは珍しいのではないでしょうか? 連載「万物流転」の今回のテーマは、食べ物と人間です。

 養老さんとは何度か食事をご一緒したことがあります。しかし不思議なことに、養老さんがどんなふうにものを食べていたか、という印象がほとんど残っていません。昔、最高の技術を持った武士は、箸の先を一ミリぐらいしか汚さず、まったく音を立てずに食事をすることができた、と言います。食べる気配を漂わせないこともまた、武士の力量だったのです。養老さんにはそんな武士の血が流れているのでしょうか(?)。

 以下、何ケ所か養老さんの文章を引用して、紹介に代えたいと思います。

 私はグルメではないが、まずいものならわかる。

 以前から講演をする機会が多い。食事時にかかると、弁当が出る。一日に二回、これを食べると、お腹が張る。変な張り方だから、ついに症状を覚えた。そのうち、一度食べても張ることがあるとわかった。弁当のなにかが悪いに違いない。

 私は味の濃いものを好むが、それは味音痴の証拠とされる。自己を弁護していうなら、そうではない。素材がまずいから、味を濃くしないと、食べた気がしない、食べられないのである。

(前略)鶏は機械ではないが、機械と同じ扱いを受けている。生きものをそんなふうに扱って、まともなはずがない。それに気づかないのは、消費者が現場を見ないからであろう。現場を見ている人は、商売だから競争上やむをえないとか、経済効率だとか思っているに違いない。経済効率を優先したときの鶏の姿がああだということは、同じく経済効率を優先した社会の人間の姿がああだということである。なぜそれに気づかないか、そのほうが不思議だというしかない。