2018年8月14日午前11時56分、イタリアのリグリア州ジェノヴァ市で橋が落ちた。私も、ついこの間も通過したところだった。
 <だから新しいものは信用できない>
 イタリアから届いた同僚の第一声を忘れない。
 崩落したのは、ジェノヴァからフランスとの国境の町ヴェンティミリアまでを海沿いに走る高速道路A10号線上の高架橋である。全長1,182m高さ90m。うち210mが、まるで砂の城が崩れるように落ちた。30台を超える自動車やトラックが巻き込まれて落ち、近接する集合住宅も崩壊した。犠牲者43名、負傷者16名。雷混じりの土砂降り続きで、事故直後には「落雷で崩壊したのでは」とする報道もあった。現在、原因を裁判所が精査中だが、脆弱な構造に原因があるとみられている。
 設計者にちなんで『モランディ橋』と呼ばれてきたこの橋は、1967年に竣工された。通称が付いたのは、斬新な外観と最新の建築技法を用いて最速で建立されたことへの賞賛を込めてのことだった。戦後のイタリアの経済ブームの象徴であり、明るい未来の証として捉えられた。
 そして、半世紀。時代の寵児だった橋は落ちた。

 港湾と工業地帯から内陸、フランス方面へと繋がる重要な高速道路で、年間おそそ2500万台強の車両が通行する。海と陸を結ぶ動脈のような役目を果たす。完成当初、「百年以上の耐用性がある」とされていた。しかし当時の試算をはるかに上回る交通量となった上に、コンクリートのひび割れや内部の劣化が派生し、建設時から指摘されていた構造上の脆弱ぶりが露呈。2009年からは、取り壊しが繰り返し議論されてきた最中のことだった。
 しかし、ジェノヴァの橋に限ったことではない。
 有力日刊紙<コリエレ・デッラ・セーラ>は、過去5年間に本件を含めて11の橋が同様の事態で崩落、と一覧を掲載し騒然となった。
 「イタリアで同時期に造られた空港や駅舎、道路、橋などのインフラの多くには、差し迫った改修の必要がある」
 との見解を有識者が述べている。
 知人が思わず叫んだ、
 <新しいものは信用できない>
 は、
 <古代ローマ時代の建築物を見よ>
 の、言わずもがなを踏まえての発言である。確かに、地震国であり洪水などの大規模災害も頻発するイタリアで、数世紀を超えても悠然と無傷で建ち残り、しかもいまだに現役として役目を遂行している橋や劇場、墓地は、ローマ帝国時代に遡るものが多い。

 

 ジェノヴァの事件を見ながら、『ロンドン橋落ちた』を思い出す。
 数多くある伝承童謡の中でも、世界中で翻訳されて有名な歌だ。何度造っても壊れてしまう橋。次にはどういう材料で建てようか、という内容の歌詞が延々と連なる。<金でも銀でもダメ。ならば人を見張りに……>と続く。可愛らしいメロディだが、歌詞には橋が見てきた世の中の移ろいが織り込まれていて、歴史の深い穴を覗き込むような気持ちになる。
 テムズ川にかかるロンドン橋。過去2000年に亘り、そのあたりには橋が架けられてきた。記録に残る最初の橋は、古代ローマ帝国のクラウディウス皇帝による木の橋で、西暦46年に遡る。以降10世紀から12世紀にかけて、火災や戦争などで造っては壊れる、を繰り返してきた。
 橋は、こちらとあちらを結ぶだけではない。流れを止めることもある。時空を超える道でもある。橋は、世の中の流れの上に架かっている。

 8月29日、イタリア人建築家のレンツォ・ピアーノが、ジェノヴァの橋の再建に顧問として協力することが発表された。ジェノヴァ出身で、今年81歳。パリの<ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター>や<関西国際空港旅客ターミナルビル>を手がけてきた。
 「この事故で悲惨なイメージばかりが残るのではなく、再生への架け橋となるようなプロジェクトを」
 と、発表されたイメージ案は、43本の高い照明柱が橋梁に沿って並び、灯されるとそれぞれが帆の形の光を放ち、夜の空に浮かび上がる、というもの。43の明かりは、事故の犠牲者43人へ捧げられる追悼である。古くからジェノヴァは、船を介して陸へ新規のものを運び入れてきた町である。
 再び順風に帆を張って、明るい将来へ繫がる道が架かりますように。

建築家レンツォ・ピアーノさん
©Stefano Goldberg
Ringraziamenti a: Renzo Piano Building Workshop