数年前から楽しみに待つ約束がある。突然に招待状が来て、ぜひどうぞ、と誘いながら、いつ何時に会いましょう、とは書かれていない。季節が変わるだけで、会う場所はいつも同じ。
 <今月25日から二、三日ほど、裏口を開けてお待ちしています>
 どきりと胸を打つ文面も変わらない。
 連絡を受けると、どこにいても万難を排して会いに行く。花に。

 ヴェネツィアに暮らしたきっかけは、サンマルコ広場を対岸に見るジュデッカ島に借家を見つけたからだった。本島はどこも、一年のうち大半が路面も見えないほどの混みようで、普通の暮らしはなかなか大変な状況である。干潟には定期船が停まる小島がいくつも散在するが、大陸側から着く電車の駅からあまり離れてしまうのも不便で、家探しは難航した。どこへ行くにも、海に点在するヴェネツィアでは船で渡らなければならないからである。
 天から見ると魚の形をしているヴェネツィア本島の、ちょうど下腹あたりで停まる定期船がある。対岸の島の岸沿いを点々と縫いながら再び本島へと向かう路線だ。距離にして長いところで500mほどの幅の運河は船で渡るとものの数分なのだが、水の力はたいしたもので、横たわる運河がヴェネツィアと川向こう、というハレとケ、非日常と日常の線引きをしている。
 混沌と魔力に引きずり込まれないように、とヴェネツィア本島を避けて離島ジュデッカに暮らすことに決めたのだった。

 

 引っ越すと、それまでミラノやローマ、トリノなどでは頻繁に会うこともなかったような知人達が、次々と訪ねてきた。水が寄せてはまた引き返す、というふうに。その中の一人が、庭園を専門とする建築家だった。人嫌いで、話し相手は植物だけ。気難しいのか優しいのか、よくわからない。その彼女から突然、
 <来週から遊びにいってもいいでしょうか>
 と連絡があった。引っ越ししたてだった私は慌てて、彼女の話し相手を探しにヴェネツィアを回った。薄暗く湿気が多いこの町では、バルコニーや室内に観葉植物を置く余地はないのではないか。公園は点在するけれど小さく、墓は別の離島にまとめられて建ち、遠くから糸杉が見える程度である。生花の露店も週に一度しか市場には立たず、町中からは数店を残して生花店は姿を消している。

 しかし緑を伝ってのヴェネツィア巡りは、思いのほか奥深い歴史探訪となった。せいぜい苔止まりだろう、と水の町の緑を侮っていた私は、次々と現れる秘密の花園に驚いた。路地を曲がり、突き当たってしまい天を仰ぐと、両脇から迫る建物の間から細長い空が見える。そこには必ず木々の梢や蔓、花があるのだった。

 


 「こういう本を出しましてね。ご参考になるかどうか」
 大学近くにあるこの書店は、出版も行っている。ヴェネツィアをテーマに、案内や図鑑ものを中心に刊行している。渡された新刊本は書店が企画編集した、『ヴェネツィア庭園案内』だった。
 ページの中に、外からはうかがい知ることのないヴェネツィアがあった。
 身元を明かしている庭園主に、片端から<ぜひ見学させてください>と、手紙を送った。
 送ったその日のうちに返事があった。
 <裏口を開けておきますから、どうぞいらしてください>
 ジュデッカ島の住所が書いてあった。定期船の停留所の前から島の反対側へ抜ける、ごく細い路地である。
 裏口を入ると、さまざまな色と香りがわっと鼻先に、目の前に押し寄せた。バラやマーガレット、名を知らない草花がのびのびと生え、花を付けている。蜂が飛ぶ。鬱蒼としているけれど、雑草はなく手入れが行き届いている。時折、頭上をカモメが行くので、ヴェネツィアにいることを思い出すくらいで、まるで大陸側の田舎家を訪れているようだ。
 スイス人だという庭園主はもう何十年も前にヴェネツィアにやってきて、紆余曲折を経た後、今はジュデッカ島の奥で花木と暮らしている。そしてどれかの花が見どころになると、知人達に連絡する。静かに寄せて、押し付けず、また引いて消えていく。
 その日から、季節ごとの約束は続いている。