相棒になったばかりの馬と一緒に、互いにぎこちない指示とぎこちない動きで田舎道を進んでいく。目指すは南西100km。標高3000mにある美しい湖、ソンクル湖だ。

 第一の目的地をソンクル湖としたのには理由が2つあった。

 1つは、馬と共に大きな町を通る時までに、このぎこちない動きを解消したかったという点だ。道中、大きな町を通ることになった際におれと馬との息が合っていなければ、何かしらの問題が生じる可能性が高い。例えば、万が一にでも馬が暴れて車や人を蹴ってしまうようなことがあれば、当然賠償しなければならない。結果、おれはこの冒険を中止せざるを得なくなるだろう。コチコルから出発する場合、最も人通りが少なそうな道を選んで進むとソンクル湖に至る。コチコルからソンクル湖までは100kmほどあるので、それまでに馬との連携度を上げることができるだろう。

 2つ目の理由は、馬の健康を考えたからだ。以前、ロバと共にモロッコを冒険した時は、毎日安定して水を確保するのにとても苦労した。今回の冒険における馬の運動量から逆算すると、一日に少なくとも45Lの水が必要だ。ソンクル湖へ向かうルートであれば、途中は山道が多いので川や沢がたくさんあるだろうから、水の確保は比較的簡単にできるはずだ。

 おれの冒険では、動物たちの健康管理を最優先事項として扱うことにしている。当然ながら、おれの冒険に動物たちを付き合わせてしまっているわけだから、健康管理は可能な限りきめ細かく行い、動物たちが不調に陥った際は冒険を一旦中止すべきだ。

 そして冒険が終わってからは、付き合ってくれた動物たちがその後少しでも幸せに暮らせるようできる限り配慮したい。この馬のその後に関してはまだ明確なアイデアは浮かんでいないが、冒険をする中で馬と向き合って考えていけば、おのずと答えは出るだろう。

 

 しばらく行くと、大きな通りに出た。この通りはコチコルとナリンを結ぶ、南北に走る国道だ。大型のトラックなどがたくさん通るので少し危険度は増すが、35kmほど先の曲がり角を曲がれば山道に入るので、それまでの辛抱だ。

 後方から、乗用車が走って来た。その瞬間、馬の雰囲気が変わり、馬は立ち止まった。

 ……どうしたんだろう。なんだか緊張しているようだ。

 おれが馬の様子を詳しく確認しようと身を乗り出したその瞬間、乗用車がおれを追い抜き、それと同時に馬は跳ねるように走り出した! 道沿いではなく、道から外れる方向に。

 おれは振り落とされそうになったが、馬具が足に上手くはまっていたおかげで落馬は免れた。慌てて手綱を引き、懸命に馬を止まらせようとする。馬はなおも暴れていたが、しばらくすると落ち着いたようで、きちんと指示した方向に進んでくれるようになった。

 どうやらこの馬は、車が怖いようだ。非常に臆病な性格なのかもしれない。日本と違い、車道を馬で移動するのが一般的なここキルギスでは珍しい存在だ。キルギスでこの馬以外の馬は既に何頭も見てきたが、どの馬も車を怖がらず、全く気にせず歩いていた。しかし、この馬は明らかに車を怖がっているようだったので、可能な限り自動車を避けて進むようにすべきかもしれない。

 その後、少し狭い道を歩いていた時のことだ。今度は前から車が2台来た。しかし反対車線で距離があったので、馬は怖がらないだろうと考えていたが、甘かった。あろうことか後ろの1台が無理な追い越しをし、こちら側の車線へ大きくはみ出した状態でこちらへ向かって来た。

 この時、道の両端は石のガードレールで囲まれていて、先ほどのように道から逸れる方向に逃げることはできなかった。馬が先ほどと同じように暴れでもしたら、車両との接触事故になってしまう可能性は非常に高い……!

 焦りながらも車に対して「止まってくれ!」と身ぶり手ぶりで伝えようとするが、車はそれを無視し、むしろスピードを上げたようにも見えた。

 絶望と後悔の念が、体中に広がった。……が、考えている場合ではない。馬はかなり緊張しているようで、立ち止まって後ろ足に体重をかけ始めた。前足を上げて踵を返し、逃げる準備だ。

 おれはしっかりと手綱を握り、馬を撫でながら「問題ないから」と優しく言い続けた。おれが知る限り、少なくともラクダやロバは飼い主の機嫌や感情を驚くほど正確に察知し、それに応じて行動を変えていた。ここでおれが焦っているのがバレたら、きっと馬も焦ってパニックになってしまうだろう。逆におれが堂々と構えていれば、「あれ? 今は大丈夫な状況なのか?」と馬が考えてくれて、暴れない可能性もあった。

 そして、前から来た車とすれ違う。車は100km/hを超えているんじゃないかというような速度で、おれと馬の15cmほど横をかすめて行った。その後、結局馬は暴れ始めたが、車のスピードがあまりにも速かったことや、おれが撫でていた効果があったのか、暴れるのが少し遅れ、大事には至らずに済んだ。

 あ、危なかった……! しかし、こんなことを続けていたら、そのうち本当に事故になってしまうだろう。

 おれは道路沿いに進むのをやめ、道路わきに広がる草原を進むことにした。

奥の円形の建物がボウズイ


 時折見かけるボウズイと呼ばれる円形の移動式住居や、道路沿いに流れる川を眺めながらゆっくりと進む。馬はアスファルトよりも草地の方が進みやすいようで、なんだか機嫌がいいように見えた。

 ちなみにこの馬には出発前、蹄鉄を付けてもらっていた。キルギスでは蹄鉄を付けるのは一般的ではなかったので蹄鉄技師を探すのに苦労したが、長距離移動するのであれば必要な措置だ。

 

 その後は特に危ないことはなく、夕方通りがかった「キルギスタン」という名のカフェの前にテントを張らせてもらい、野宿することになった。

 カフェの裏手には湿地が広がっていて小川があったので、馬の水分補給には困らなかった。また、カフェの前には家畜用の小屋があり、中では牛や馬、七面鳥などが飼育されていた。カフェの店主はとても優しい男で、おれが牛や馬の放牧を手伝うと、お礼に夕食を振る舞ってくれた。

 

 そして、次の日の朝。目を覚まし、熱を測ると37℃だった。

 かなり体力や判断力が戻ってきたようだったので、これを機に馬の新たな名前を決めることにした。もともとこの馬にはマキシムスという名がついてはいたが、ピンと来ないので新しい名前をつけることにしよう。キルギス語で意味のある名前にしたかったので、キルギス語の辞書をバックパックから引っ張り出し、良い表現はないかと探す。初めは「臆病な」という意味の「コルコック」という名前が呼びやすいのではないかと思ったが、さすがに馬に対して「臆病者」と呼ぶのも失礼に感じたので、別の名前を考えることにした。

 結局、車とすれ違った時の馬の動きから、「飛び跳ねる / 飛び回る」という意味のキルギス語である「セキル」という名前が良いのではないかと考えた。

 ……よし、今回の冒険でのおれの相棒の名前は、マキシムス改め、セキルだ!!

 

 その後、出発前の日課としてセキルの体調を確認する為に、体温計を尻に挿す。セキルは臆病だが大人しい馬なので、特に嫌がりはしなかった。ただし、たまに放屁によって攻撃してくるので注意が必要だ。一瞬意識が遠のく。

 そして、呼吸数や脈拍数に大きな異常がないかの確認も重要だ。体力が十分に残っているかどうかや、興奮しているかどうかの目安になる。

 最後に、聴診器を使用して腸の蠕動ぜんどう音を確認し、消化器官が正常に働いていることを確かめる。これは、腸閉塞と呼ばれる重大な疾患を予防、あるいは早期発見し治療する為に必要な措置だ。

 腸閉塞とはその名の通り、腸が詰まってしまう病態を指している。馬は、胃の入り口にある筋肉が発達しているせいで嘔吐することができない。そのため、胃腸が捻れる等なんらかの原因で詰まってしまうと、疝痛せんつうと呼ばれる激しい腹痛が発生し、放置すると最悪の場合死に至る。食事の量や内容、タイミングをコントロールしたり、聴診器で蠕動音を確認したりすることである程度の予防や早期発見が可能なので、日々の健康管理が非常に重要だ。

 セキルの体調確認を終えてから、おれは出発の準備を始めた。乗馬練習をする時間がなかったので、馬具の装着も1人でやるのは初めてだ。昨日セキルに装着していた馬具はほとんど外れていたので、再度装着しようとする……が、これがなかなか難しかった。

 ……しまった。

 熱があってぼんやりしていたせいで、馬具の付け方については大まかにしか確認できていなかった。馬具にはたくさんの紐や穴があり、全てを正確に組み立てるのはなかなか難しそうだった。

 いくら熱で朦朧としていたとはいえ、そこはしっかり確認しておくべきだっただろう……と、心の中で自分に嫌悪感を募らせたが、分からないものは仕方がない。目の前に馬具を並べて、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤すること30分。合理的な配置を考えたり、昨日撮影した写真を確認したりすることで、なんとかそれらしい外見にすることができた。

 さあ、出発だ!

 この日は、おれがセキルとの移動に慣れ始めたこともあり、昨日よりも格段にスムーズに進むことができた。可能な限り車道を避けて、道路わきに広がる野原を通って進む。片側が崖、もう片側は川になっているような道で、どうしても車道を通らなければならない場合は、車が来ていないことを確認してからできる限り素早く通り抜けるようにした。

 今回の冒険を安全かつスムーズに進めるには、特に五感を研ぎ澄ます必要があった。

 セキルはやはり道路が苦手なようで、道を逸れて道路から脇道へ入ることが多かったが、その脇道が最終的に道路に合流できているのかどうかは、かなり目を凝らさなければ分からない。幸い、キルギスには家畜が安全に移動を行うための「家畜用の道」がたくさんあった。危険な狭い道路ではだいたいの場合家畜のための脇道があり、道路の先で再度合流できるようになっていた。これは、家畜と人々の生活が密接に関わっているキルギスならではの仕組みかもしれない。

 そして、視覚以上に必要なのが聴覚だ。車がやって来る音がセキルの呼吸音や蹄鉄の音に紛れてしまわないよう、しっかりと耳を澄まして注意深く聴いていなければならない。

 セキルは特に大型トラックを怖がっているようで、たとえ反対車線であってもすれ違った際は暴れ出す。前方から来る車のスピードや大きさも、可能な限り正確に感じ取らなければならない。

 

 その後、建設中の橋が途中で途切れていて迂回せざるを得なかったり、途中で出会った遊牧民の少年に乗馬のコツを教えてもらったりしながら、おれは初めての村、サルブラクに到着した。

馬を乗りこなす遊牧民の少年


 サルブラクは、どちらかというと村ではなく、長距離トラックの運転手の休憩所、といった感じの場所だった。カフェや雑貨屋はあるが、道で魚を売っている人々の押し売りがかなり強引で、少し面倒だ。

 押し売りに対しては「必要ない」と連呼しながら、まずは雑貨屋へ行き大好物の生卵を購入。以前モロッコで冒険した時は、毎日卵を食べたいが為に2羽の鶏を飼いながら冒険をしたものだが、今回は荷車などがないのでそういったことができない。次にいつ卵が入手できるか分からないので、これは絶対に必要な行為だ。

 買った生卵をそのまま割って、口に流しいれる。すぐさま黄身が口じゅうに広がり、とろっとした白身と混ざり合って、濃厚な甘みがおれの口内を満たす。おれの心は至福で満たされ、思わず身震いをする。

 ……うまいっ!!

 ちなみにもちろんサルモネラ感染症のリスクは承知の上で、おれは海外の生卵を食べることにしている。モロッコでの冒険の時も、道中何十個もの生卵を食べたが一度も感染したことは無かった。いったいどうしてその程度の小さな確率を恐れて、この甘美な味わいを放棄することができるというのだろう。少なくともおれにはできない。

 この村で少し休憩したかったので、セキルから降りて荷物を地面へ降ろす。その際、荷物袋がバックパックの重さに耐えられず、少し破れてしまったようだ。あまりに早過ぎる不具合には感じたが、これだけ重い荷物を袋に入れて運んでいるのだから仕方がないのかもしれない。

 時計を確認すると、まだ昼過ぎだった。破れた荷物袋の応急処置をして休憩を挟んでから、もう少しだけ進めそうだ。

(写真、以上すべて©Gotaro Haruma)

第4回につづく