「おばちゃん、見て!」
 早朝、階下で会った男の子が、トンと足を先に出して得意げだ。蛍光色がキマっているスニーカーの紐がきちんと結んである。

 


 九月から小学校に上がり、はや一ヶ月余り。ベッペは、自分で靴紐が結べるようになったのだ。学校用のキャリーバッグや皆とお揃いの水色の上っ張りはもちろん、ノートや筆記用具、ペンケースとピカピカに包まれた六歳が、一番嬉しいのは新しい靴である。入学に合わせて、親がスリッポンスニーカーを買ってくれた。「これだと、慌ただしい朝もすぐに履けるものね」。
 ところが通学し始めて二週間ほど経った頃、踵を踏み付けて引きずっているのを先生に見つかった。もうつま先も甲もきつくて、痛かったからだった。
 「これならストラップを剥がすだけで着脱できるし、伸縮する新素材だから冬までは大丈夫でしょう」
 靴屋の店主に勧められて、母親は二足目に最新型のワンタッチストラップのスポーツシューズを買った。
 ベッペは宇宙的なデザインに大喜びしていたが、一週間も経たないうちに再び浮かない顔になった。「足がまた痛いの?」
 ベッペの話を聞いてみると、発端は友達の誕生パーティーらしかった。皆で風船の飾り付けをすることになり、他の子達は難なく風船をタコ糸に結び付けていくのにベッペは上手く結わけない。風船を膨らます役に代わってその場は済んだが、悔しかったのだろう。
 元気のない訳を聞いた母親は、迷わず三足目を買いにいった。閃光が走るデザインで、真っ白の紐を編み上げるタイプである。
 最初は母親が編み上げて要領を教え、次に靴を床に並べて自分で。そしてとうとう履いて自分で紐を結ぶ。
  「見ててね!」
 キャリーバッグを置き、母親の手から放した小さな手で靴紐を解いて、再び結び直して見せた。蝶々結びの輪を固結びにし口元もぎゅっと締めて上を向き、満面の笑みを浮かべた。
 いってらっしゃい、と見送った六歳の足元は不均衡に大きい。

 

 男子中学生が六人でやってきた。自由研究で日本をテーマに選んだので話が聞きたい、という。
 どうぞお入りください。
 けれども少年達は玄関口に立ったまま、もじもじしている。
 イタリアは、靴の国である。外も内も同じ靴のままで暮らす。
 「日本では家に上がるときに玄関で靴を脱いでいるのを、マンガで見たのですけれど……」 
 玄関の先はイタリア領土なのか日本領土なのか、と訊いているのである。
 あっという間に一人が脱ぐと、じゃあ俺も、と残りの少年達も次々と靴を脱いだ。
 「ちょっと待て!」
 リーダー格の少年が脱いだ靴を下げて玄関を入ろうとする仲間達を制して、ヒソヒソと耳打ちした。一同揃って踊り場にスニーカー六足を放置して玄関のドアを急いで閉めてから、ブォンジォルノ、とやっと安堵した顔で家の中へ入ってきたのだった。 
 少年達は、自分達が足元から思春期の芳醇なエネルギーに満ちているのを知っている。

 


 
 犬の散歩仲間のリザを家に呼んだのは、学校を辞めると聞いたからだった。十五歳になったばかり。秋に文系高校に入ったところなのに、なぜ?
 文系の高校は五年制で、厳しい。赤点がある。国語や外国語はもちろん、古代ギリシャ語やラテン語、哲学や思想史に加えて、芸術、数学や物理、化学もある。入学して二ヶ月目あたりで、学期末を待たずに脱落していく生徒も少なからずいる。 
 「お子さんには向いていません。このまま続けて落第を繰り返すより、今のうちに進路転換を勧めます」 
 成績不良の生徒には、校長が直々に家族を呼んで忠告する。それは助言というより、ほぼ警告だ。
 リザの親も呼び出しを受けた。高校に入ってから一度もラテン語の宿題をしなかったからだった。夏からの恋に夢中で、格変化の暗記どころではなかった。
 止む無く、その高校は辞めることになった。
 「特殊技能を習得して働きたい」
 娘の決意を親は断固として認めない。学費のためにアルバイトしようとしても、未成年では雇ってくれる先もない。当分の間、小遣いも減額されるだろう。悔しいけれど、身動きが取れない。早く大人になりたい……。
 リザは思案した。
 自分の持ち物は好きなようにしていいか、親へ伺いを立てた。「もちろん」。すぐにリザは、生まれてからこれまで、洗礼や初聖体拝領式、堅信式、誕生日、クリスマスなどに贈られた記念の貴金属の一切合切を質屋に入れた。
 「見ててね。これ、自立記念よ!」
 持ってきた包みからリザが勢いよく取り出したのは、表面にびっしりと飾り鋲が打たれたショッキングピンクのハイヒールだった。