前2回、アメリカに渡った話に入ったのだが、今回は突然番外編だ! みんな、いいか? 先々週、中学時代の同窓会があり、同学年約200人のうち、約半数が集まった。来年はみんな60歳になるので、今、まだ元気なうちに集まっておかないとその後は難しいのでは、という声が郷里の足利市立協和中学校卒業生の間で出てきたらしい。そこで「俺がやらなきゃ誰がやる!」ということで元生徒会長の永倉君が学年合同同窓会大会の幹事を引き受けてくれたのだ。俺は何もしなくてすまなかったが、3次会まで行ったぞ。永倉君と地元のスナック、エスポワールで中学のころはやっていた歌、「カリフォルニアの青い空」をうたったぞ! もうみんな実名で行くぞ! 44年も前のことだ、許せ!

 そこで会えたのは、この連載でも出てきた懐かしい奴らだ。俺はひそかに、この連載で勝手に登場してもらった面々、特に女子、に会うのは気が引けるなあと思っていた。なので「あ、あの席にMKさんがいる」、「げ、あそこにHMさんがいる」(第2回参照)と気がついた時には、自分はどうすべきなのか決められずにいた。そしてもじもじしていたのである。これじゃ中学生のころといっしょじゃないか! 永遠の中二病かよ俺!

 だがなんと、MKさんこと旧姓倉林正江さんは、俺のほうを向いてニコリとして、「おかぽん先生読んでるよ!」とあのころと変わらぬかわいらしい声で言ってくれたのである。調子に乗った俺は、倉林さんのいるテーブルに移り、しばし旧交を温めたのであった。倉林さんとは中学1年のとき同じクラスだったが、その後2、3年とクラスは別々だったので、たぶん46年ぶりである。倉林さんは中学生のとき水泳部のエースでいつも黒かったのだが、あれは地黒ではなく日焼けだったことがわかった。中学時代の面影は色白になった今も強く残っており、彼女に憧れていた自分も蘇った。倉林さんありがとう。

 元の席に戻ってきた俺の右隣には中学時代ずっと同じクラスで委員長だった大関が、その隣には中学のとき非常にモテた畳屋のせがれ、石川がいた。石川については、連載第2回でIIとして、連載第11回で石河として登場している。そして右手のテーブルにはこれもまた甘いマスクと筋の通った無頼派として女子の人気を集めていた井田がいた。井田は、連載第2回でTI、連載第11回で伊田として登場している。俺たちのクラスの担任が古家(偽名)先生と言う体育の教師で、この教師に俺たちは何度ビンタをもらったのか数え切れない。だが、久しぶりに大関、石川、井田と話しながら、俺たちはビンタをもらって当然の行動をしていたことを思い出した。ビンタは痛かったのだが、それで鼻血を出したのは一度だけで、古家先生なりに手加減していたのだろう。俺も暴力は反対である。しかし、あのころはお互いさまだったし、そのようなコミュニケーションしかとれなかったのだ。語るぞ。

 中学2年のある日、掃除の時間、俺たちは「巨人の星」(梶原一騎原作・川崎のぼる作画・週刊少年マガジン1966-71)の星飛雄馬が投げる「大リーグボール2号・消える魔球」が実現可能かを検証する実験にいそしんでいた。大リーグボール2号は、星飛雄馬が足を高くあげることで砂埃がボールの縫い目に付着し、強烈な回転を持ったボールがバッターボックスで砂埃を巻き上げると共に、自らが吸収した砂埃を吐き出すことによって、見えなくなるのである。委員長・大関は、バッターボックスで左右からホウキで砂埃を立てながら、小石を砂埃と一緒に投げれば、その小石は見えなくなるのではないかと提案した。そしてその提案を俺たちは実践してみた。多分に俺たちの思い込みもあり(実験者効果という)、小石は消えた。その瞬間、バッターボックスにいた俺は後ろから殴られた。古家先生登場であった。

 またある日、これは中学3年かな。オナラにはメタンガスが含まれており、メタンガスは燃えるということを俺たちは理科で習った。理科の教師、須那賀(偽名)先生は、生徒の机に鼻クソをつけて歩くので評判が悪かったが、これを実験しないでいられようか。翌日、みんな掃除の時間までオナラを我慢することにした。委員長・大関が持ってきたマッチを擦り、そこにタイミングよくオナラをするわけだが、そんなにうまくオナラを放出できたのは、無頼派・井田だけであった。そしてマッチの火は井田のオナラを燃料に燃え上がったのである。いや、これも実験者効果かも知れない。たんに炎が揺れただけかもしれないと今は思う。その翌日、俺たちは古家先生に職員室に呼ばれ、順番にビンタをもらった。古家先生はたいへん真っ当に、中学校内でマッチを擦った行為について俺たちを叱った。誰だ、告げ口したのは。だがオナラに火をつけた行為について叱らなかった古家先生はえらい。そしてビンタをする瞬間、彼はニヤニヤ笑いを隠せなかったように思う。

 その他、石川とは非常に久しぶりにもかかわらず、「逆さ語」で会話ができた。「逆さ語」とは文章を文節単位で逆転させて語る言葉である。俺たちは、この「逆さ語」で教師の前で通常語れぬ事をかたり、教師から何度もビンタを食らったのだ(連載第2回参照)。まあ、先生から叱られているのにまだしゃべってる時点でビンタを食らっても仕方ない。俺の今の研究課題である言語の起源への興味は、このように中学生のころからのものなのである。

 こんなことを思い出しながら過ごした同窓会であるが、3次会に至り、無頼派・井田から、「おかぽん、中学の時誰が好きだったか言え!」との命令があり、もう46年(1年時)も前だしと思い、1年の時には倉林さん、2,3年の時にはHMさん(連載第2回参照)だった、と白状した。HMさんにはこの連載のことはばれていないのでHMさんのままで行く。なんとHMさんは3次会のその場におり「中学の時言ってくれたら良かったのにー」とおっしゃった。うれしいなあ。

 時の流れは寂しくもあるが、このように中学生のころの想いを伝えられた俺は幸せである。44年とは、思い出は思い出として語れるようになる時間の長さであるぞ、諸君。年をとるのも悪くないぞ。さて、3次会で泥酔した井田(と話には出てこないが丸山)を、元生徒会長・永倉君に任せ、俺は薄情にもHMさんの娘の運転する車で足利市の実家に戻ったのであった。井田、丸山、元気か。永倉君、ごめんよ。この原稿料で次の飲み会をおごるぞ。

 幸い同窓会では、俺は「おかぽん」と呼ばれ続けていた。中学時代、「おかぽん」の逆さ語読み「んぽかお」から派生した不名誉なあだ名、「〇んぽ・かお」で呼ばれることはなかった(連載第2回参照)。みんな忘れてるんだろうな。よかった。〇には「い」が入る。