十月の最終日曜日から、冬時間が始まった。その翌日から十日以上にわたって、イタリア全土が悪天候に見舞われた。アフリカからイタリア半島上空を強風が吹き抜けて、各地で大木が倒れ、大雨による山からの鉄砲水で土砂災害を引き起こした。
 ヴェネツィアも例外ではなかった。前日から冠水警報が発令された。保育園から大学まで、すべて休校。繰り返し流れてくる緊急ニュースに心配して電話で見舞うと、
 「こんなの、毎度のこと。これがヴェネツィアだからな」
 淡々としている。彼は外海に面している離島に住み、近海漁業を営んでいる。代々の稼業で、テレビやラジオの天気予報よりもずっと早く正確に空模様を掴んでいる。
 ヴェネツィアに暮らすまでは、町が水に沈むのは、干潟の上に造られた町の構造が時とともに脆弱化し土台ごとズブズブと海底へ向かって沈み始めているからなのだろう、と私は思っていた。地盤の沈下も一因には違いないが、水没の原因は水位の上昇にある。

 
 

 海の都、と呼ばれることもあるが、ヴェネツィアは外海から大陸側に向かって大きな湾状になった中に建立された町である。内海だ。潮流によりその内海の底に土が運ばれ、堆積し、浅瀬から干潟へ、小島ができる。人工的に他所から土砂を運び入れて埋め立てたのではない。
 長い年月の間には、潮流も風向きも変わる。流れ着き溜まってできた干潟があったように、流れ出して崩れて消失してしまう干潟もある。
 ヴェネツィア共和国が繁栄した頃から富裕者や権力者が財を投じたのは、ヴェネツィア本島内の不動産ではなく、大陸側の耕地だった。船乗り達は陸のことを<動じない地(terra ferma)>と呼ぶ。それには、たとえ土があっても干潟はしょせん干潟に過ぎず、永遠に安定した足元とはならない。踏みしめて当てにできるのは大陸の地だけ、という意味が込められている。

 

 将来の水没を怖れて、これまでヴェネツィア人達は真剣に対策を講じてきたのだろうか。
 「沈むかも、だって? それが運命なら、まあ仕方ないだろうね」
 内海に堆積しているのは、海が運んできた土砂だけではない。一千年を超えるヴェネツィアの人々の暮らしから出た排出物が、積み重なっている。怨恨や悲嘆、堕落、鬱憤、絶望、嫉妬がどろどろに腐って沈殿し、海底を押し上げて毒を吹き出している。
 さて今回は、季節風が居座って高い冠水に見舞われた。不穏な警報サイレンが鳴り響く。1966年の194cmの水位には及ばなかったものの、場所によっては150cmを超え、通常ならいったん引いて再び水が押し寄せてくるのだが、今回は水が引かないままさらに上昇した。ヴェネツィアの75%が水に沈み、サンマルコ広場をはじめ多くの観光名所が閉鎖される非常事態となった。冠水のときには廊下のように板の台を渡すのだが、今回の水位は台の高さを越えて役に立たない。濁水で敷石も階段も橋すら見えない。どこからどこまでが運河なのか岸なのか、もうわからない。
 日が暮れ、水に呑まれたままヴェネツィアは静まり返った。強い風が吹きすさぶ音だけが聞こえる。路地は、川に変わってしまった。風を受けて、白い波頭が立つ。
 夜のヴェネツィアは、人間のこれまでの営みの復習のようでもあり、やがて遭う終焉の予習のようでもある。

 

(追記)
歴史的な記録となった冠水はようやく落ち着き、町は日常を取り戻しています。穏やかで美しい冬となりますように。

(写真協力:Vianello V.)