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 十数年前、イタリアに初めての緩和治療専門病棟ができた。ミラノの北部にある小さな町の、歴史ある大きな病院の一部が充てられた。濃い赤茶色の古い煉瓦でできた壁が落ち着いた雰囲気で、外壁沿いには高い木立が見えた。訪れたのは真冬だったが木々の深い緑に、『最後の一葉』を思った。
 正面玄関から入り、受付を通ると後ろに小さな広場のような円形のロビーがあり、そこから放射状に廊下が各病棟へと伸びていた。廊下は建物の内側と外側に沿っていて、病棟から病棟へと繋がる部分だけ屋根付きの渡り廊下に変わり、両側から窓の中に中庭や通りの木立を見ながら歩いた。渡り廊下だけ板敷きになっているので、通りかかると歩く調子が変わり、足元に床板が軋むのを聞いて歩いた。

 


 総合病院なので、さまざまな症状を診て、検査して、治療し、看守っていた。
 緩和治療の病棟は、長い廊下の終点近くにあった。敷地内で一番日当たりがよく静かで、病棟への入り口の天井がとても高かったのを今でもよく思い出す。明るい空色に塗られた円蓋の下を通り抜けるとき、頭上の窓からさんさんと日が差し込み足元を照らした。
 病院の正面玄関と一番奥の病棟、そしていくつかあるバールを行ったり来たりするうちに、厳しい症状と向き合う関係者達が通る廊下は他の病棟と交差したり重なったりしないように設計されている、ということに気が付いた。黙って廊下を歩くうちに、これから訪れる先、今別れてきた背後のことを思ったり、頭の中を空っぽにしたりした。廊下が長いのには、理由があるのだった。

 

 長らくイタリアでは、看護師は修道女達の任務だった。看護師専門学校ができたのは、1954年のことである。しかしそこへ入学するのにも、本人の出身地のひとかどの人物(神父や市長など)二人以上からの推薦が必要だったという。

 現在、ヴェネツィアのサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の両翼には、保健所と古書を集めた図書館を含む博物館を内包している。正面玄関を入ると、高天井の下に広い廊下が続き、保健所のある棟に入る。厳かな壁画はルネサンス前に描かれたもので、神なるものへの讃歌である。数百年前の石壁と床、高い天井に灯る薄い照明の下を歩いていくうちに、次第に厳かな気分になってくる。検査や診療に訪れる人たちは、どのような気持ちでここを歩くのだろう。

 


 検査棟に続いて、各科の専門病棟が続く。中庭を四辺で囲んだ、上から見れば額縁のような構造が五枠、運河に沿って並んでいる。運河は救急棟への搬送口と夜間の出入り口になっている。ヴェネツィアの交通機関は、船だけだ。急患も救急船で運ばれてくる。最短時間で出航し、あるいは岸に着いて搬送するために最適な間隔で、救急船の係留杭が打たれている。船は細い水路でも小回り良く走れるように小型だが、船腹は幅広で安定している。速度を出せるよう、鋭い舳先を内海側に向けて係留している。病院専用の運河なのだ。前後左右に、救急船の航路を阻む一艘の舟もない。

 
 

 薄暗い院内から、トンネルのような廊下の先に緑色の運河の水面が光って見える。 
 内海側に抜けると、病棟最後部の正面にサン・ミケーレ島が対している。墓の島である。
 重篤な患者の病棟は、何とこの最端部にあるのだった。窓から見えるのは、広くて波の立たない内海と常緑の糸杉に覆われた霊園である。異国で命を絶った聖マルコが大理石の棺に入って流れ着いたと伝承されるブラーノ島は、その内海の先にある。
 ヴェネツィアが始まって終わる、という風景がその窓の中にある。