野宿から一夜明け、コチコルへ向かう。セキルの驚くべき回復力もあり、予定より少し早くクバンの家へ到着することができた。以前に一度通ったことがある道だったからだろう。初めてこの道をセキルと通った時は車の往来に怯えながら進まざるを得なかったが、今では安全に進むことができるようになった。セキルは未だに臆病だったが、おれの指示をしっかり聞いて、車が通り過ぎるのを待ってくれるようにはなったので、そのおかげだ。

 どうやらクバンはおれが来るのを事前に知っていたようで、快く迎えてくれた。おそらく今朝会ったクバンの弟が知らせてくれたんだろう。

「おお! 久しぶりだな、Go!! よく来たな、元気か?」

「あぁ、元気だ! もう500kmも冒険したんだぞ!」

「あんなフラフラな状態で出発していたから、正直すぐ失敗して戻って来ると思ってたんだけど、よくやったな!」

「これからイシククル湖に行く予定だ! あと、実はマキシムスの足に問題があるかもしれないんだけど、お父さんに診てもらえないか?」

 クバンの中ではまだこの馬の名前は「マキシムス」だろうから、セキルと名付けたことは伏せることにした。

 クバンはすぐに父親を呼んでくれたので、その場でセキルの診察が始まった。

 クバンの父は、セキルの左後ろ足の傷口の位置が気になったようで、様々な角度から傷を眺めて原因を探っているようだった。確かに、足元の岩などにぶつけて出来たにしては位置が少し高く、尖った石でえぐれたような形跡もないので不自然だ。何か、別の原因があるのだろうか?

 しばらくするとクバンの父親は顔を上げ、おれに答えを教えてくれた。

「蹄鉄だ」

 クバンの父親は、引きずっていた足とは反対の「右」後ろ足を指さした。不思議に思いつつもしゃがみ込み、クバンの父親が指している辺りに目を凝らす。すると、蹄鉄を固定するために下から打ち込まれた金属が、蹄の側面から飛び出しているのが見えた。金属の先端を触ってみると、その1つが異常に尖っているのが分かった。

 ……ああ、どうして気付けなかったんだろうか! これで、今までの奇妙な症状も説明がついた。

 もちろん、セキルとの冒険へ出発した時には金属は引っ込んでいたし、尖りもしていなかった。おそらくだが、長い距離を歩くうちに蹄鉄が少しずつ潰れていき、それに伴って上側の金属が押し出されて伸びたのだろう。そして、足元の石や岩などによって削られて尖り、左後ろ足を傷付けたに違いない。

 やはり、蹄鉄を外せば解決していたようだ。とはいえ、これで物理的な原因も分かったので再発は二度としないだろう。すぐに小さめのハンマーを使用して蹄鉄からはみ出している金属を丸める。今後もこまめに確認していくつもりだが、当分はこれで大丈夫だろう。

 クバンの父親が注射用の鎮痛剤を処方してくれたので、おれは毎日注射しつつ、3日ほどセキルを休ませることにした。

クバンとその長男アルセン


 クバンの家に滞在している間は、洗車や農業の手伝いをして過ごした。クバンは、地面に生えている作物をブロック状にしていく特殊な車を持っている。トロク村で収穫の手伝いをしていた時は鍬を使って全ての作業をやらなければならなかったが、クバンの車が通った後の畑にはビニールひもで結ばれたブロックが等間隔で並んでおり、それを回収するだけでよいのでとても楽だった。

 また、クバンは牛を飼っていたので、牛の乳しぼりの手伝いも毎日やった。クバンの奥さんによると、母牛からは1日に10Lもの牛乳が手に入るらしい。

 絞りたてのぬるくて濃厚な牛乳はおれの大好物だ。毎日10Lも飲み放題とはなんと贅沢なんだろうか。朝起きたら隣に乳牛がいる。そんな夢のような生活を真剣に検討すべきかもしれない。

 

 そして3日が経ち、おれはイシククル湖へ向け出発した。

 セキルは元気いっぱいではあったが、最近休みが多かったせいか、これまで以上に臆病な振る舞いをするようになっていた。車から逃げようとするのはいつもの事だが、道路上の橋やガードレール、そして果てには民家で干されていた大きな絨毯にまで怯えるようになっていた。

 一度怖いと思ってしまうともうダメなようで、セキルは立ち往生して進まなくなる。なかなか困った状況だ。そんな時はセキルから降りて一緒に歩いてやるとうまく進めることが多かった。だからおれは、セキルが怯えている時は可能な限り一緒に歩くことにした。両側をガードレールで挟まれている道など、おれが歩くと却って危険な状況も一部あるにはあるが、基本的にはこのやり方であればセキルも安心してくれるようだ。先を急ぐ必要はないので、セキルとの対話を大切にしつつゆっくりと移動すれば良い。

 


 途中、小さな湖を通りがかったのでセキルに水を飲ませようと水辺まで行ったが、飲まなかった。湖の水は少し塩分を含んでいたので、そのせいかもしれないし、喉が渇いていなかっただけかもしれない。水は数時間前にたくさん飲んでいたし、尿の色や回数も正常なので大丈夫だろう。

 

 日が暮れてきたので、おれはだだっ広い荒野で野宿をすることにした。セキルと出発してからここまでの間には村が点在していたので、人のいない荒野での野宿は今回の冒険では初めてだ。イシククル湖の周りは栄えているらしく、今後誰もいない場所での野宿は難しそうなので、今日はある意味幸運だ。

 ちなみに、セキルは今日だけで30km以上歩いたにも関わらず一度も足を引きずらなかった。やはり蹄鉄が跛行の原因だったようだ。

 

 この日は澄み渡る空に夕陽が映え、とても綺麗だった。セキルがのんびりと草を食べているのを眺めつつ、太陽が沈むに従って赤黒く染まっていく空を眺める。

 
 


 やはり、誰もいない場所での野宿はとても気持ちがいい。ゆったりと流れる時間の中で自分の考えをまとめることができるし、心地よい風を受け止めながら、雄大な風景をぼんやりと眺めることもできる。心がすっと澄んでいくような、そんな感覚を楽しむこともできる。

 夜は、しばらくテントから顔を出して、星空を眺めながら流れ星を探す。都会の明かりなどが無い場所でずっと夜空を眺めていると、意外と流れ星がたくさん流れていることに気付く。2つ、3つと見つけて満足できたら、おしまいだ。

 そして、テントの中へ戻って寝袋に入り、眠りに就く。

 

 その翌日、朝起きて、大きな円形のパンをかじりつつ、セキルの健康チェックをしてから出発する。セキルはいつもより少しだけ速く歩いていて元気いっぱいだったので、早歩きをしても全く問題が無さそうだった。

 このところずっとセキルの足に意識を集中していたので、セキルの背中から伝わる振動だけでどの足が動いているかが分かるようになってきた。それだけセキルとシンクロできるようになったということだろう。なんだかケンタウロスにでもなった気分で楽しい。

 短めの昼休憩をとり、次の町へ向かう。現在目指しているのはイシククル湖の最西端にある、バルクチという人口4万人ほどの大きな町だ。実は数日前、バルクチほど大きな町では野宿場所を探すのに苦労するだろうと予想したおれは、事前に寝床を確保していた。コイチュビットおじさんの親友でありバルクチで暮らしているジョクバイという名の男にコンタクトをとり仲良くなったので、本日は彼の家に滞在させてもらえるはずだ。

 バルクチへ到着したので、さっそくジョクバイおじさんに電話をかける。……が、どうやらおじさんの家はバルクチ郊外にあったようで、イシククル湖とは反対の方向へ逆走する必要があるらしかった。説明によればあと3kmほどで到着するらしい。

バルクチの町


 しかし、4km、5kmと進むも一向におじさんの家には着かなかった。気が付くと、いつの間にか畑や山々が広がる田舎道を歩いていた。

 あとどれだけ歩けば着くのだろうか……。ジョクバイおじさんに電話をかけるも、「あと少しだ」と言われるばかりで実際の距離が分からない。コイチュビットおじさんにも電話してみたが、ジョクバイおじさんの家へ行ったことはないらしく、正確な位置は知らないとのことだった。

 正直、田舎道であればどこでも野宿ができるので、ジョクバイおじさんの家にお邪魔する必要はないかもしれない。これ以上逆走し、明日の移動予定に支障がでると危険だ。おじさんには悪いが、今日はこの辺りで野宿することにしよう。

 そう考え、ジョクバイおじさんに電話をする。

「ジョクバイおじさん、申し訳ない。おじさんの家まであと少しだとは思うんだけど、今日はもう疲れてしまったから、ここで野宿することにするよ」

 おれがそう言うと、おじさんは少し間をおいてから、

「……そうか。分かった。じゃあな」

 とあっさりと答え、電話を切った。

 これで今日は野宿だと考え、テントを張るのにちょうど良い場所を探し始めたが、結局この日は野宿にはならなかった。

 電話では「分かった」と言いながらも、どうやらジョクバイおじさんはその後、わざわざおれを探してくれていたようだ。しばらくしておれはジョクバイおじさんとその息子に出会い、家に泊まらせてもらえることになった。却って迷惑をかけてしまったようで申し訳ない。

 ジョクバイおじさんの家には冷蔵庫やテレビゲームがあり、そしてなんと室内に電気の点くトイレがあった。キルギスでは普通トイレは野外にあり、夜は明かりを持参しなければならない仕組みだったので、一般的な家庭で電気の点くトイレに出会ったのは今回の冒険で初めてのことだった。この日は快適な環境でぐっすりと眠り、体力を回復させることができた。

ジョクバイおじさんの一家。子どもたちを良い学校に通わせる為、トロク村からバルクチへ引っ越したらしい。(写真、以上すべて©︎Gotaro Haruma)


 そして次の日、バルクチを抜け、おれは遂にイシククル湖へ到着した。ここはキルギス最大の観光地なので、車の往来が激しく、また歩道や家畜用の道がほとんどないという危険な道路が続いていた。

 予定では、このイシククル湖を反時計回りに一周回ってコチコルへ戻った段階でセキルとの冒険を終えようと考えていたので、このイシククル湖はいわばラストダンジョンだった。難易度は高くて当然だ。

 危険な道路は避け、湖沿いの草原を進むことに決めてセキルと出発する。

 途中、小川を横切ることがやけに多いのを不思議に思いながらも進んでいると、どんどん地面が柔らかくなっていき、遂には泥沼が広がる湿地帯に出てしまった。

 ……これでは進めない。かなり時間をロスしてしまうことになるが、一旦元の道路へ戻って態勢を立て直すべきだ。

 そう考えたおれはUターンして戻ることにした。しかし、あと少しで舗装された道路に戻れるというところで、事件は起きた。

 セキルに乗って、目の前の小川を渡ろうとすると、川の真ん中辺りでセキルの体が大きく沈んだ。どうやら泥沼になっていたようで、セキルの体がどんどん沈んでいく。……底なしの泥沼なのかもしれない。ぱっと見た感じでは分からなかったので、非常に恐ろしい状況だ。

 考えている間にもどんどん沈む。セキルはじっとしたまま怯えているようで、もう既に腹の辺りまで沈んでおり、荷物袋も一部水没してしまっていた。

 ……これは、順調にまずい状況だ。

 もしこれがゲームの世界であったなら、選択肢が目の前に4つくらい出てくるに違いない。

 今回の場合だと、

1.おれがセキルから降りればセキルが助かる可能性が高いので、泥沼へ飛び込み泳ぐ。
2.セキルが沼を自力で抜けてくれる可能性に賭けて待つ。
3.動かず助けを呼ぶ。
4.セキルの上で立ち上がり、セキルを犠牲にしてでもタイミングよく跳んで向こう岸へ渡る。

 といった感じか。いや、悠長に考えている場合ではないかもしれない。

 ……さて、どうしよう。

(第11回につづく)